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多賀大社 節分祭 『多賀大社にも将門信仰?』 


滋賀県犬上郡 多賀大社
節分祭・・・2月3日

多賀大社 節分祭2 
多賀大社に3匹の鬼が登場!

多賀大社 節分祭-白鬼 
きゃーーっ!

①多賀大社には平将門信仰があった?

多賀大社門前町(絵馬通り)にはこんな注連縄が飾られていました。
一般的な注連縄は一軒もなく、ぜんぶこれでした。

多賀大社付近 注連縄 

この注連縄を見て、私は「ここにも平将門信仰があったのではないか?」と思いました。

②『蘇民来子孫家』→『将門』→『笑門』?


注連縄に取り付けられた絵馬の形をした札に「笑門」と書いてありますね。
同様の注連縄は京都の祇園や伊勢でも用いられています。

注連縄 

上の写真は祇園の注連縄です。
祇園では1年中この注連縄を門前にかけています。

祇園には八坂神社があります。
この八坂神社の御祭神・スサノオは武塔神(牛頭天皇)と習合されているのですが
武塔神にはこんな伝説があります。

神代の昔、蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟がありました。
蘇民将来は貧乏で巨旦将来は金持ちでした。
あるとき武搭神が「宿を貸してほしい」といって巨旦将来のもとを訪ねましたが、巨旦将来は宿を貸しませんでした。
次に武搭神が蘇民将来のもとを訪れると蘇民将来は快く宿をかし、あたたかく武塔神をもてなしました。
武塔神は蘇民将来に「疫病が流行ったときには茅の輪をつけなさい。」と言って帰られました。
後に疫病が流行り、蘇民将来の子孫は茅の輪をつけました。
武塔神は茅の輪をつけた蘇民将来の子孫は疫病から守りましたが、巨旦将来の子孫をはじめ、茅の輪をつけていない者はみな死んでしまいました。

多賀大社 節分祭4

 この伝説にちなみ、八坂神社では祇園祭のころ、『蘇民将来子孫也』の護符を出しています。

『蘇民来子孫家』を略すと『将門』となり、逆賊とされる平将門に通じるので、『笑門』と札に書いて注連縄につけるようになったのではないか、とする説があります。

平将門は東国に独立国を作ったのですが、朝廷が派遣した藤原秀郷・平重盛らの軍と戦って流れ矢にあたって死亡しました。
平将門の首は京に持ち帰られ、鴨川のほとりで晒されました。
将門の首が晒されたとされる膏薬図子には神田明神を祀る祠がありますが、それは祇園からほど近い場所なのです。

神田明神 

③多賀大社は首の神を祀る神社?
胡宮神社 鳥居 桜 

多賀大社からほど近い場所に胡宮神社があり、多賀大社の奥の院と呼ばれているようです。

胡という漢字を家にあった古い漢和辞典で調べてみると、次のように書いてありました。

獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。
胡という漢字には

②に「くび」とあるのが気になります。
多賀大社には杓子を奉納する習慣があるのです。
杓子って人間の頭部に似ているじゃないですか。

多賀屋

④弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?

胡弓という楽器があります。
三味線に似ていますが、三味線と違って弓で弾きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E5%BC%93#/media/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!
美しい音色に聞きほれてしまいますね。

四角い箱に柄がついたような形をしていて、しゃもじに似ていますね。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ています。
それで胡弓という名前がつけられたのではないでしょうか。

琉球には胡弓(クーチョー)と読いう楽器がありますが、やはり弓で弾きます。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近いです。

さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていたようです。

多賀大社 節分祭3

つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていても三味線には胡という漢字は用いられないのです。
これはなぜでしょうか?

それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるため「胡=くび」の文字を用いているということでははないでしょうか?

中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われていますね。

多賀大社 節分祭2

⑤糸切餅は胡弓の弓で切っていた?

多賀大社名物は糸切餅です。
私も菱屋さんで買って帰りました。

洗練されたデザインに見惚れてしまいます。味も甘すぎなくておいしいです♪

糸切餅

胡弓には弦が3本あります。糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言いますが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないでしょうか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っていますが、もともとは弓の弦で切っていたのでしたね。
弓は弓でも、胡弓の弓で切っていたのではないでしょうか。

これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりします。
というのは、胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代なので。

多賀大社 節分祭

⑥多賀大社も平将門も首(ドクロ)の神だった

多賀大社は首’(ドクロ)の神だと考えられますが、鴨川のほとりで首が晒された平将門も首(ドクロ)の神だといえるでしょう。
平将門を祀る神社に御首神社というのがありますね。

そういったところから、多賀大社の神様と平将門は習合され、その結果「笑門」の注連縄を飾るようになったのかも?

https://blogs.yahoo.co.jp/to59iwa/32112964.html?__ysp=5aSa6LOA5aSn56S%2BIOW5s%2BWwhumWgA%3D%3D
上のブログに御首神社の絵馬の写真がありますが
どことなく多賀の注連縄に似ていませんか?

多賀大社 節分祭 
多賀大社 節分祭 豆まき

多賀そば

多賀そばを食べて帰りました。(生麩が入ってる。おいしいです。おすすめ!)




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[2019/02/06 12:00] 滋賀県 | TB(0) | CM(0)

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