多賀大社からほど近い場所に胡宮神社があり、多賀大社の奥の院と呼ばれているようです。
胡という漢字を家にあった古い漢和辞典で調べてみると、次のように書いてありました。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。胡という漢字には
②に「くび」とあるのが気になります。
多賀大社には杓子を奉納する習慣があるのです。
杓子って人間の頭部に似ているじゃないですか。
④弓で弾く楽器を胡弓というのはなぜ?
胡弓という楽器があります。
三味線に似ていますが、三味線と違って弓で弾きます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E5%BC%93#/media/File:Playing_on_Samisen,_Yokin_and_Kokin.jpg動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!
美しい音色に聞きほれてしまいますね。
四角い箱に柄がついたような形をしていて、しゃもじに似ていますね。
また胴体から切り離した頭部(首・ドクロ)にも似ています。
それで胡弓という名前がつけられたのではないでしょうか。
琉球には胡弓(クーチョー)と読いう楽器がありますが、やはり弓で弾きます。
琉球の胡弓は昔は椰子の実を割って胴にしていたというので、日本の胡弓よりさらに頭部(首・ドクロ)のイメージに近いです。
さらに、擦弦楽器を総称して胡弓と呼ぶこともあり、明治初期にはバイオリンのことも胡弓といっていたようです。

つまり弓でひくものが胡弓であり、似たような形をしていても三味線には胡という漢字は用いられないのです。
これはなぜでしょうか?
それは弓でひくことに、首を刀などで切断しているイメージがあるため「胡=くび」の文字を用いているということでははないでしょうか?
中国の楽器・二胡も弓で弾き、「胡」の文字が使われていますね。
⑤糸切餅は胡弓の弓で切っていた?
多賀大社名物は糸切餅です。
私も菱屋さんで買って帰りました。
洗練されたデザインに見惚れてしまいます。味も甘すぎなくておいしいです♪
胡弓には弦が3本あります。糸切餅の3本の線は、蒙古の旗だと言いますが、本当は胡弓の3本の弦をイメージしたものではないでしょうか。
そして、糸切餅は現在は三味線の弦で切っていますが、もともとは弓の弦で切っていたのでしたね。
弓は弓でも、胡弓の弓で切っていたのではないでしょうか。
これが正しければ、糸切餅の起源は蒙古襲来よりも、時代が下って江戸時代ではないかなと思ったりします。
というのは、胡弓が歴史上に登場するのは江戸時代なので。
⑥多賀大社も平将門も首(ドクロ)の神だった多賀大社は首’(ドクロ)の神だと考えられますが、鴨川のほとりで首が晒された平将門も首(ドクロ)の神だといえるでしょう。
平将門を祀る神社に御首神社というのがありますね。
そういったところから、多賀大社の神様と平将門は習合され、その結果「笑門」の注連縄を飾るようになったのかも?
https://blogs.yahoo.co.jp/to59iwa/32112964.html?__ysp=5aSa6LOA5aSn56S%2BIOW5s%2BWwhumWgA%3D%3D上のブログに御首神社の絵馬の写真がありますが
どことなく多賀の注連縄に似ていませんか?
多賀そばを食べて帰りました。(生麩が入ってる。おいしいです。おすすめ!)
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