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須賀神社 節分祭 懸想文売り 『懸想文売りは節分の鬼だった?』 


京都市左京区 須賀神社
節分祭・・・2月2日 3日

須賀神社 懸想文売り  

①須賀神社節分祭で怪しげな人物を発見!

須賀神社で覆面をかぶった怪しげな人物を発見!(イケメンさんですが❤)
実はこの方、「懸想文売り」なんです。

懸想文とは恋文、ラブレターのことを言います。

須賀神社 懸想文売り と 舞妓さん


②「懸想文売り」は犬神人?


「懸想文売り」は、昔金に困った貴族が小遣い稼ぎで恋文を代筆したのが起源で、覆面をしているのは素性を隠すためだといいます。
ですが、私は、『懸想文売り』の姿を見て、これは犬神人ではないのか?と思いました。

「犬神人」とは祇園社(現在の八坂神社)に隷属し、清水坂あたりに住んでいたとされる人々です。

犬神人 本願寺聖人伝絵

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e6/%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg よりお借りしました。

<a title="覚如 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で" href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg"><img width="256" alt="犬神人 本願寺聖人伝絵" src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e6/%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg"></a>

上は本願寺聖人絵伝に描かれた犬神人です。

祇園祭の綾傘鉾には犬神人のように顔を覆った人も登場します。(下写真2枚)

祇園祭 山鉾巡行 綾傘鉾2 

祇園祭 綾傘鉾 棒振り

祇園祭とはかつて祇園社と呼ばれていた八坂神社の祭礼で、犬神人は祇園社に隷属する民でした。
綾傘鉾の覆面の人々はたぶん犬神人の恰好をしているのだと思います。

でググってみたのですが、やはり懸想文売りは犬神人のようです。

https://blog.goo.ne.jp/kyoto-10nen/e/08347ea3b2fa48eaaa1be44b4de47ecd
↑ こちらのブログ記事(良記事と思いますので、一読をおすすめします。)によれば、
広辞苑には「江戸時代に犬神人(いぬじじん)が売り歩いた」と記載されているとあります。

また上のブログには、延宝4年(1676)刊の『日次紀事』の文章が記されています。
参考になるので、引用させていただきます。

…赤布を著し、白布を以て頭面を覆ひ、わずかに両眼を露見して、紙符を市中に売る、これを懸想文という、俗間男女これを買て、男女相思する所の良縁を祈る、

「赤布を着し」とありますね。
私が須賀神社で出会った懸想文売りはクリーム色の着物を着ていましたが、もともとは赤い着物を着ていたのですね。

下記も上のブログよりの引用です。

梅の枝に恋文をつけて売り歩くと、若い娘が飛び出してきたとか。
かつて「都の祝福芸能者たち」と題した講座で聞いたことがありました。
江戸の後期には復活し、明治になくなった恋文売りが、ここ須賀神社に伝わっているのです。
また、節分のときに齢の数だけの豆と賽銭を紙で包んで道に落としておく(厄落とし)と、人の厄をはらって歩く役目を果たす者もいたそうな。

須賀神社 懸想文売り-2

③赤い着物は犬神人のシンボル?

平清盛は禿と呼ばれる少年たちをスパイとして用いていたとされますが、清盛が用いた禿とは、犬神人のことであるとする説があります。

禿は、結髪しない童形(おかっぱヘアー)で赤い着物をきていたとされます。

犬神人は非人の一とされますが、非人は結髪することが許されず、大人になっても童形(結髪しない髪型)だったので
童子と呼ばれていたそうです。
鬼の子孫と称する八瀬童子なんかも同様の人々ではないかと思います。

犬神人(つるめそ)の 緋縅着たる 暑さかな 

(※記憶が曖昧ですいません、川柳の語句にまちがいがあるかもしれません。もし間違っていたら教えてください。)

上の川柳は、祇園祭で緋色の着物を着た犬神人たちが警護のために町をうろついている様子を詠んだものです。
緋色の着物は犬神人のシンボルのようなものであったのでしょう。

④懸想文売りは節分の鬼だった?

玄武神社 やすらい祭2 
上は玄武神社のやすらい祭を撮影したものです。
結髪しないヘアースタイル、赤い着物、これらは犬神人を思わせます。
そして彼らは「鬼」と呼ばれています。

残念ながら撮影禁止なので写真はないんですが、壬生狂言の節分という演目に登場する鬼も結髪しないヘアースタイルに赤い着物を着ていました。覆面もしていました。

大覚寺狂言 節分厄払い 
大覚寺狂言 節分厄払い 
同様の演目が壬生狂言にもあります。大覚寺狂言の鬼は茶色の着物ですが、壬生狂言の鬼は赤い着物をきていました。


延宝4年(1676)刊の『日次紀事』の文章を思い出してください。

…赤布を著し、白布を以て頭面を覆ひ
とありましたね。
懸想文売りも、本来はこのようなスタイルで懸想文を売っていたのかもしれません。

つまり、懸想文売りとは節分の鬼なのではないでしょうか?

「節分の」というのは、懸想文売りが梅の枝を持っているからです。
梅の花ことばを調べると「2月3日の花」とありました。
2月3日は節分で、ちょうろ梅の花が開化し始めるころですね。

⑤犬神人(鬼)は人々の厄を身に受ける存在?

鬼は豆をまいて追い払うものだ、懸想文は縁起物であり、それを売る懸想文売りは幸福をもたらす存在である。
それがなんで鬼なんだ、といわれるかもしれませんね。

たしかに鬼は豆をまいて追い払われますが、その一方で参拝者のお加持を行ったりもします。

蘆山寺 鬼のお加持 
蘆山寺 鬼のお加持

善水寺 鬼のお加持 
善水寺 鬼のお加持

豆をまいて退治された鬼が心を入れ替えたのだと説明されることもありますが、私の考えはこれとは若干ちがいます。

吉田神社 節分祭 鬼と方相氏

上の写真の四ツ目の人物は吉田神社の追儺式に登場する方相氏です。
写真では方相氏が鬼を退治していますが、平安時代の追儺式には方相氏は登場しますが鬼は登場しません。

がシン子を引き連れた方相氏が「鬼やらい」といいながら宮中を練り歩く、というのが平安時代の追儺式でした。
平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』と記されています。
鬼を追い払ってくれる正義のヒーロー、方相氏を射るというのです。
大江匡房が鬼と方相氏を混同したのではないかという人もいるようですが、私はそうではないと思います。
方相氏は宮中をめぐってその体内に冬の気をすいこみ、いっぱいになったところで弓で射られて殺されるというストーリーになっているのではないかと思います。

ゴキブリホイホイをしかけ、たくさんゴキブリをとったところで、それを燃やして処分するというのに似ていますね。

犬神人は鬼であり、厄をその身に受ける存在だと考えられていたのではないでしょうか。

そして懸想文売りは懸想文を売ることで他人の厄をその身に受けるというような信仰があったのではないでしょうか?

須賀神社 須賀多餅 
須賀多餅でひとやすみ~


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