三重県桑名市 なばなの里
くまモンのイルミネーションは2018年3月のものです。
なばなの里でバーチャル熊本観光?
熊本城だよね。以下、観光地名まちがってたら教えてくださいね!
①加藤清正は梅毒で亡くなった?熊本城はもともとあった千葉城、隈本城をとりこんで加藤清正(1562年~1611年)が築いたお城です。
この加藤清正の死因は、徳川家康による毒殺説など諸説ありますが、一説に梅毒で亡くなったのではないかともいわれています。
というのは『当代記』という書物に「唐瘡(梅毒)で亡くなった浅野幸長同様、好色ゆえの虚の病で亡くなった」との旨が記されているそうなんです。
草千里かな。草千里では乗馬ができるそうです。②「誰も食わない ワシが食た」のワシはw氏(わし)=梅毒?
そういうわけで、かわいいくまモンや熊本とは何の関係もありませんが、今日は梅毒の話です。
梅毒の事を隠語でw氏(わし)と言うそうです。
w氏とはWassermann反応(ワッセルマン反応/略してW 氏反応)のことで、
梅毒を検査する方法のことです。
アウグスト・フォン・ヴァッサーマン氏が開発しました。
この話を聞いてピンと閃くものがありました。
皆さまは下駄かくしの歌をご存じでしょうか。
下駄かくしチュウレンボウ 橋の下のねずみが 草履をくわえてチュッチュクチュ
ちゅっちゅくまんじゅは誰が食た 誰も食わへん わしが食た 表の看板三味線屋 裏から回って三軒め
この歌の歌詞に「誰も食わない ワシが食た」とありますが、食べたのか食べなかったのか、どっちやねーん、と長年思っていました。
この「ワシ」は梅毒という意味ではないでしょうか?
高浜というところでサーフィンできるらしいけど、どうでしょう?③「下駄かくし」の「チュウレンボウ」は「チョウリンボウ」が訛ったもの?「チュウレンボウ」は「チョウリンボウ」の訛ったものではないかという説があり、かつてコンサートなどの合唱に不適切であるとして抗議されたりしたことがあったようです。
ですがこのブログは歴史と民俗学を考えるブログですので(写真ブログじゃなかったのか~)
「あったもの」を「なかった」というわけにはまいりません。
このまま話をつづけますよ~。
これはどこなのか、わかりませんでした~。たぶん「チョウリンボウ」とは「長吏(ちょうり)ん坊」ということなのでしょう。
長吏とは日本の賤民の一つで、中世には穢多・非人の頭目(親分)、江戸時代には穢多・非人・非人頭のことをいったようです。
「赤ちゃん」の「赤」に「ん坊」をつけて「赤ん坊」といいますが、
これと同様「長吏」に「ん坊」をつけて「長吏ん坊」と言っていたのではないでしょうか。
『日葡辞書』には、長吏は「死んだ獣の皮を剥いだり、牛の皮を剥いだりする人、あるいはらい病(ハンセン病)にたいして監督権をもっている頭」と記されています。
ただし、「長吏」は地方によって仕事内容は異なっていたようです。
そして長吏は遊郭と結びつきが深かったように思えます。
非人総取り締まり役として、穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)という身分がありました。
で、当時罪を犯して死罪一等を減じられる「奴刑(しゃつけい)」によって穢多・非人の身分に落とされることがあったようですが
こうした人が女性であった場合、穢多頭・弾左衛門は彼女たちを遊郭に売る権限を持っていたそうです。
さきほど、「長吏とは江戸時代には穢多・非人・非人頭のことをいった」と書きました。
穢多頭・弾左衛門は長吏とイコールであると考えていいのではないでしょうか。
「下駄かくしチュウリンボウ」のあと、「橋の下のねずみが 草履をくわえてチュッチュクチュ」となっていますが
被差別部落民は、河原・橋の下などに住まわされていたそうです。
ねずみは「チュウチュウ」となきます。
歌では「チュッチュクチュ」とありますが、これもネズミの鳴き声だと思います。
この「チュウ」や「チュッ」から、「チョウリンボウ」を「チュウリンボウ」としたのではないでしょうか?
通潤橋
④鼠鳴きかつて「鼠鳴き」と呼ばれるものがあったそうです。
喜多村筠庭著『嬉遊笑覧』巻之九に次のように記されているそうです。
『丹前能』(元禄十四年)、稲荷の条、「近年御造宮より此かた、鳥居の前には軒を並べ簾をかけ、うつくしき女、男をみれば鼠なき、あやしや狐のわざかととへば、いやいやあれは此処の茶立女、のぞめば奥にともなひ花代が月、酒を望めば外に分入事也とかたる。月・分とは、いかなることぞ。どうも、遊女が男を誘うときに行うものが「鼠鳴き」であったようです。
また、中野栄三著『廓の生活』には吉原の妓楼の習慣として次のような記述があるようです。
拝が終ると男衆は表入口に行って手のひらで柱と羽目板を叩き、鼠鳴きをしてから下足箱の傍らにある下足札の紐を右手に持ち、それを高くあげ鼠鳴きして、下足札で廊下を強く数回打つ、https://gionchoubu.exblog.jp/tags/%E9%81%8A%E5%A5%B3%E3%80%81%E9%BC%A0%E9%B3%B4%E3%81%8D/より引用
「橋の下のねずみ」とは被差別部落の遊女または男衆のことを言っているのではないでしょうか。

天草教会群⑤下駄かくしなのになぜ草履?「草履」は「じょうり」とも読むそうで、「長吏」に似ていますね。
ですが、なにか他の隠語なのかもしれません。
また「下駄かくし」なのになぜ下駄ではなく草履がでてくるのでしょうか?
このあたり、よくわかりません。
下駄目というと、下駄には緒の穴が三つあるところから、三枚目のことですが、関係あるでしょうか?
中野栄三著『廓の生活』に
鼠鳴きをしてから下足箱の傍らにある下足札の紐を右手に持ち、それを高くあげ鼠鳴きして、下足札で廊下を強く数回打つ、とあるのも気になります。
下駄隠しとは、鼠鳴きと関係があるのかもしれませんね。
天草西海岸サンセットライン?自信なし。
⑤毛饅頭「ちゅっちゅくまんじゅ」の「まんじゅ」は女陰だと思います。
女陰のことを俗語で毛饅頭といいますね。
酸ヶ湯温泉では湯治小屋の「まんじゅうふかし」が名物だそうですが、
これは中にお湯を通した木箱に腰掛けてお尻を温めるのだそうです。
女陰のあたりが温まるから、「まんじゅうふかし」というのでしょう。
「ちゅっちゅくまんじゅ」とは、鼠鳴きをする遊女の女陰という意味かもしれませんね。
山鹿灯籠浪漫・百華百彩かな?くまモンが躍っているのは山鹿灯籠踊りだと思う。⑥夙は三味線や鼓弓を弾いた。中世から近世、近畿地方に多く住んでいた賎民のことを夙といいます。
かわたよりも下位の身分で、かわた村の手下となった夙は雑芸能に携わって三味線や鼓弓をひいていたようです。
また和太鼓・三味線などは現在でも部落で作られることが多いとのことです。
下駄や草履も部落で作られることが多かったようです。
熊本には黒川温泉・平山温泉などたくさんの温泉があるそうです。
あー、行ってみたい!⑦下駄隠しは梅毒の売春宿の歌だった?以上のことを踏まえてもう一度下駄隠しの歌を見てみましょう。
下駄かくしチュウレンボウ 橋の下のねずみが 草履をくわえてチュッチュクチュ
ちゅっちゅくまんじゅは誰が食た 誰も食わへん わしが食た 表の看板三味線屋 裏から回って三軒め
下駄かくし長吏ん坊 橋の下に住んでいるネズミ鳴きをする遊女(または売春宿野男衆)が、草履をくわえてチュッチュクチュ
鼠鳴きをする遊女の女陰は誰が食べた(エッチした) 誰も食わない w氏(梅毒)が食べた
表向きの看板は三味線屋になっている 裏から回って3限目がその売春宿だ?
うーん、なんかエロい歌だったっぽいですね。
その意味を知りもせず子供たちが歌っているというのが何だかな~。
「下駄かくし」「草履をくわえてチュッチュクチュ」などの意味はもうちょっと調べて考えてみます。
good night.
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

にほんブログ村
- 関連記事
-