fc2ブログ














春日大社 舞楽始 『秦河勝は舞楽の神&杓子の神?』 

 
奈良市春日野町  春日大社
舞楽始め・・・成人の日


春日大社 舞楽始 お祓い 
①舞楽と秦河勝

舞楽と深いかかわりがある人物として秦河勝がいます。
秦氏は渡来系氏族であり、秦河勝は聖徳太子のブレーンでした。

聖徳太子は秦河勝の息子や孫に伎楽を学ばせたといわれます。
そしてその子孫が天王寺楽人(がくにん)となって伎楽を伝えたのが、天王寺舞楽だというのです。

春日大社 舞楽始2

②聖徳太子は怨霊だった?

天王寺舞楽を代表する四天王寺の行事といえば聖霊会ですね。
聖霊会はやはり聖徳太子ゆかりの寺・法隆寺でも行われており、「蘇莫者」という演目が演じられます。
天王寺舞楽にも「蘇莫者」はありますが、聖霊会で必ず行われるということはないようです。
下の「蘇莫者」は四天王寺で撮影したものですが、「聖霊会」ではなく「篝の舞楽」の行事の中で演じられたものです。

四天王寺舞楽-蘇莫者 

蘇莫者 聖徳太子は飛鳥と天王寺の間を愛馬「甲斐の黒駒」に乗って往復していたが、あるとき大和川の亀の瀬で、太子が洞簫(どうしょう/中国古代の尺八)を吹いたところ、老猿(信貴の山神)が現れて笛の音に合わせて舞った。これを舞楽にしたものと伝わります。

梅原猛さんは「聖霊会」は聖徳太子の怨霊を鎮めるための祭であり、「蘇莫者」に登場する老猿は聖徳太子の怨霊で、
「蘇莫者」とは「蘇ること莫きもの」という意味ではないかと説かれました。

怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病の流行や天災は怨霊の仕業でひきおこされると考えられていました。

聖徳太子の子孫は蘇我入鹿に攻められて全員斑鳩寺(法隆寺)で首をくくって死に、聖徳太子の血筋は絶えてしまいました。
それで聖徳太子は怨霊になったのではないかと梅原さんはおっしゃいます。

春日大社 舞楽始 振鉾

また聖徳太子が怨霊であることの証拠として、次のような例をあげられています。

①聖徳太子が建てたと伝わる法隆寺の夢殿は、開扉すると大地震がおこると伝えられ、長年あけられたことがありませんでした。
②1908年フェノロサが夢殿の扉をあけたところ、聖徳太子等身大の像と伝わる救世観音がでてきたのですが、布でグルグル巻きにされフランケンシュタインのような状態でした。
また、光背が頭に直接釘で打ち付けられていました。(一般的には足元にたてた棒に光背をつける。)

これらは怨霊封じ込めの呪術ではないかと梅原さんは指摘されたのです。

春日大社 舞楽始

③秦氏が聖徳太子を供養した?

古には芸能は娯楽ではなく呪術的な意味合いを持っていたのではないかと私は考えます。
つまり、神や怨霊を楽しませたり、慰霊したりするのが芸能の目的であったのではないかと思うわけです。

「聖徳太子が秦河勝の息子や孫に伎楽を学ばせた」というのは
「聖徳太子の霊が、自分の霊を慰霊するために、秦河勝の息子や孫に伎楽を学ばせた」という意味ではないでしょうか。

井沢元彦さんは梅原猛さんの説を受けて「聖徳太子が怨霊になったのは彼の子孫が全員法隆寺で首をくくって亡くなったため、先祖の供養や祭祀はその子孫がするべきとされているが、そうした人物がいなくなったためではないか」とおっしゃっています。

そして芸能は呪術であり、供養は慰霊のために演じられることも多かったと思います。

秦氏はそうした供養や慰霊のための呪術にたけており、子孫が絶えて誰も供養慰霊する人がいなくなった聖徳太子を秦氏が供養慰霊した。

そういう意味ではないかと思ったりします。

春日大社 舞楽始3

④秦河勝は怨霊だった?

秦河勝にはこんな伝説もあります。

河勝は摂津国難波の浦からうつぼ舟に乗って船出し,播磨国坂越(しやくし)の浦に着いた。
そこで人々に祟ったので、大荒(おおさけ)大明神としてまつられた。

祟ったということは、聖徳太子だけでなく秦河勝も怨霊だったということでしょうか?

どうも、聖徳太子と秦河勝が混同された結果、
聖徳太子=怨霊
聖徳太子=秦河勝
∴秦河勝=怨霊
となって、このような伝説が作られたのではないかという気がしなくもないです。

 春日大社 舞楽始 

⑤坂越(しやくし)=杓子?

また上の伝説で河勝の霊が播磨国坂越(しやくし)の浦についた、とあるのも気になります。
坂越と書いて「しやくし」と読むのですが、その音は「杓子(しゃくし)」に似ていますね。

そして四天王寺には杓子の神に対する信仰があります。

四天王寺 咳の地蔵尊

上の写真は四天王寺にある「咳の地蔵尊」ですが、「石の地蔵尊」から語呂合わせで「咳の地蔵尊」となったのではないかと思います。

ミシャグジはオシャモジとも呼ばれて信仰されている神で、諏訪地方では白蛇の姿をしているとか、タケミナカタや洩矢神と同一神ともされています。

シャモジを奉納する習慣がある神社はたくさんあり、中には咳にご利益があるとされているところもあります。
それはミシャグジ→御石神→石→セキ→咳という語呂合わせだと思います。

また聖徳太子生誕の地と伝わる橘寺にもたくさんの杓子が奉納されていました。

春日大社 舞楽始め

坂越(しやくし)という地名は、秦河勝が杓子の神であるところからついた、なんてことないかな?

春日大社 舞楽始 



※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村    



関連記事

[2019/01/18 18:00] 奈良の祭 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kntryk.blog.fc2.com/tb.php/1362-30096fe7