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京都駅ビル お正月イルミネーション 『花札の赤短に「あかよろし」と書いてあるのはなぜ?』 


京都市下京区 京都駅ビル
2018年12月30日 撮影

京都駅ビルイルミネーション 花札 

お正月に花札やりますか?

①花札の赤短


花札は四季の植物に動物(月・人物もあり)が組み合わされています。
20点札(光)10点札(種)5点札(短冊)1点札(カス)
1月松に鶴なし松に赤短松のカス(2枚)
2月なし梅に鶯梅に赤短梅のカス(2枚)
3月桜に幕なし桜に赤短桜のカス(2枚)
4月なし藤に不如帰(ほととぎす)藤に短冊藤のカス(2枚)
5月なし菖蒲(あやめ)に八橋菖蒲に短冊菖蒲のカス(2枚)
6月なし牡丹に蝶牡丹に青短牡丹のカス(2枚)
7月なし萩に猪萩に短冊萩にカス(2枚)
8月芒に月芒に雁(かり)なし芒のカス(2枚)
9月なし菊に盃菊に青短菊のカス(2枚)
10月なし紅葉に鹿紅葉に青短紅葉のカス(2枚)
11月柳に小野東風柳に燕柳に短冊柳のカス(鬼札)
12月桐に鳳凰なしなし桐のカス(3枚)


上の表を見ると、「季節がおかしいんじゃないの」とか「なぜこの組み合わせなの」と疑問に思うところがいくつかあるのですが、それはまたの機会に。

今日は赤短のナゾについて考えてみたいと思います。

松・梅・桜の5点札(短冊)には赤短と呼ばれる短冊が描かれています。

京都駅ビルイルミネーション おこしやす

②桜の赤短の「みよしの」は「御吉野」

桜の赤短には「みよしの」と記されています。
「みよしの」は漢字で書くと「御吉野」で、奈良県の吉野のことです。
平安時代以降、吉野山の蔵王権現に桜を献木する習慣が生じ、桜の名所となりました。
桜の短冊にぴったりな文字ですね。

京都駅ビルイルミネーション 花吹雪

③松と梅の赤短は「あのよろし」ではなく「あかよろし」

松と梅には「あのよろし」と書いてあるようですが、「の」のように見えるのは変体仮名の「か」で「あかよろし」と読みます。

現在ひらがなは一音につき一文字ですね。しかしかつては同じ音をあらわすかなが複数あり「変体仮名」とよばれていました。
例えば「か」と発音するひらがなは「か」のみです。
「か」というひらがなは「加」という漢字をくずして書いたところから作られたのですが、「可」をくずしたかなもあったのです。
これが「の」の上に点がついたような文字なのです。

Hiragana KA 01

変体仮名の「か」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hiragana_KA_01.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/Hiragana_KA_01.svgよりお借りしました。
Ocdp [CC0], ウィキメディア・コモンズ経由で


「あかよろし」とは「明らかに宜しい」という意味です。

京都駅ビルイルミネーション 舞妓など

④「あかよろし」ではなく「志かそすむ」をうつし間違えた?

ところが、「あかよろし」ではなく「志かそすむ」をうつし間違えたものだとする説があります。

「志かそすむ」は「しかそすむ」で、百人一首にある次の和歌の3句目ですね。
「わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」

File:Hyakuninisshu 008.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hyakuninisshu_008.jpg?uselang=ja よりお借りしました。

上は古い百人一首かるただと思われ、上の句の「わが庵は 都の辰巳 志かそすむ 」が記されています。

上のかるたの文字は「すむ」はよめても「志かそ」は何が何だかわからないです。草書は読みにくい~。
「あかよろし」と間違えたとしても仕方ないかもしれません。

もしも「あかよろし」ではなく「志かそすむ」であったとしたら、なぜ松と梅の赤短に「志かそすむ」と記されていたのでしょうか?

京都駅ビルイルミネーション 竹細工 

⑤喜撰法師=紀仙法師=惟喬親王?


「わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」と詠んだ喜撰法師は紀仙法師で
紀名虎または紀有常のことだとする説があります。

宇治の喜撰山には喜撰洞があり、喜撰法師像が置かれています。

そして喜撰という言葉は「お茶」の隠語でもあります。
なぜ喜撰が「お茶」の隠語なのでしょうか。

喜撰法師が住んだ宇治は宇治茶の生産地でもあるからでしょうが、それ以上の意味がありそうに思えます。

即身仏となるためには木食といって五穀を断ち、木の実や皮のみを食べる修行をします。
こうすることによって脂肪を落とします。
そして入定する際には漆のお茶を飲みます。
漆を飲むことによって胃に残ったものを吐き出し、さらに漆の防腐作用で死後腐りにくい体になるというのです。
「お茶を飲む」ことは「入定する前に漆のお茶を飲む」ことになぞらえたものではないでしょうか。

京都駅ビルイルミネーション 雪

喜撰法師が住んだ宇治の庵とは喜撰洞を比喩したもので、喜撰法師はこの洞窟の中に埋められたのではないでしょうか。
洞窟の中に埋められたというのは、即身仏となるべく入定したという意味です。

さらに紀名虎の孫で紀有常の甥の惟喬親王 (文徳天皇の第一皇子。母親は紀静子)は虚空蔵法輪寺に籠った際、虚空蔵菩薩より漆の製法を教わったという伝説があります。

惟喬親王像

木地師の里 惟喬親王像

なぜこのような伝説が生じたのでしょうか?
惟喬親王は漆を飲んで入定し、即身仏になったのではないでしょうか。

私は喜撰法師=紀仙法師とは紀名虎の孫で紀有常の甥の惟喬親王のことではないかと思います。
惟喬親王の母親は紀名虎の娘であり紀有常の妹である紀静子で、紀氏の血をひく親王です。
なので惟喬親王を紀仙法師と呼んでもおかしくないように思えます。

松は常緑樹で1年中緑の葉を茂らせています。その姿は腐らない肉体を持つ即身仏のようではありませんか?

仁和寺 京門松 

京門松に用いられている根引き松

⑥小野小町=小野宮=惟喬親王

次に梅について考えてみましょう。

梅の歌を詠んだ小野小町のこんな歌があります。

「花の色は 移りにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」

この歌は古今集では桜の歌に分類されていますが、梅の歌だと考えたほうがしっくりきます。
なぜかというと、小野小町の邸宅跡と伝わる髄心院にははねずの梅が植えられており

髄心院 梅

髄心院 はねずの梅

はねずの梅が満開になるころ、深草少将が小町のもとへ百夜通ったという伝説にもとづいて「はねず踊り」が奉納されます。

随心院 はねずおどり

髄心院 はねず踊り

 はねずの梅は鮮やかなピンク色で、この色のことも「はねず」と言います。
「はねず」色は洗濯すると色褪せやすく、そのため「はねず」は「移る」の枕詞なのです。

1年中緑の葉を茂らせる松とはねずの梅は対照的ですね。

そして私は小野小町と惟喬親王は同一人物だと考えています。
その理由は・・・

a.惟喬親王は小野宮と呼ばれていた。

b.小野小町は古今和歌集の歌人の一人だが、古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多い。

c.古今和歌集仮名序に名前をあげられた六人の歌人、在原業平・遍照・文屋康秀・小野小町・大友黒主・喜撰法師を六歌仙というが、古今和歌集仮名序を書いたといわれる紀貫之は女と偽って日記を書いている。(土佐日記)

d.補陀落寺にある小野小町百歳像は骨格がしっかりしていて男のように見える。これは惟喬親王が入定した姿ではないか。

e.「花の色は 移りにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」
この歌は次のようにも読める。
花の色は 移りにけりな いたづらに わが御代に下(ふ)る ながめ(長雨→長天)せしまに
「わがみよにふるながめせしまに」は「わが御代に下る長雨せしまに」→「わが御代に下る長天せしまに」と変化し
「下る長天」で、「長い天下」という言葉を導いているのではないか。
はねずの梅は長雨で色が褪せて栄華の象徴である桜となった。
私が天皇となって長い天下をおさめるときがきた。
昔と今はすっかり変わる。(死んだ私が生き返る?)
そんな眺めを私は見るのである。


つまり、喜撰法師(紀仙法師)も小野小町もその正体は惟喬親王なのではないかと考えているわけです。

松・・・1年中緑の葉を茂らせる…即身仏になった喜撰法師=惟喬親王
はねずの梅・・・小野小町=惟喬親王

というわけで松と梅の札に「志かそすむ」と書いてあるのかも?

京都駅ビルイルミネーション 和柄  



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