大阪市中央区 御堂筋
御堂筋イルミネーション2018 12月31日まで
①難波宮は条坊制の都だった?
大阪の町は条坊制のように碁盤の目のように、東西の道(通り)と南北の道(筋)が交差しています。
条坊制とは中国・朝鮮・日本の宮城都市にみられるもので、条(東西の路)と坊(南北の路)がほぼ直角に交差する左右対称・方形の都市のことをいいます。
京都の東西の道に一条通、四条通などがあるは平安京のなごりだったんですね。
奈良にも二条大路・三条大路・九条など平城京のなごりをとどめる地名が残っています。
藤原京・平城京・平安京などが条坊制の都市であったことは良く知られていますが、大阪にあった難波宮も条坊制であったとする説があります。
645年、中大兄皇子は難波宮で改新の詔を発しました。
その中にこんな文言があるのです。
「京には坊毎(ごと)に長一人を置け。四つの坊には令一人を置け」
さきほど「坊」は南北の道と書きましたが、周囲を大路でかこまれた区域のことも坊と言っていました。
大阪の町が碁盤の目状になっているのは難波宮に始まる?
ありえなくはないですが、改新の詔は信ぴょう性が疑われています。
改新の詔が出されたとされる645年ごろの史料は残っておらず、改新の詔について記されているのは720年に成立した日本書紀なのです。
改新の詔は日本書記のフィクションではないかというのです。
発掘調査をすればわかるかもしれませんが、大阪の町はビルが立ち並んでいて発掘調査が難しいそうです。
②秀吉による大阪の都市整備
大阪の碁盤の目のような町は豊臣秀吉が作ったといわれています。
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[2018/12/28 17:51]
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