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多田銀銅山 紅葉 『金太郎は河童だった?』 

多田銀銅山 レンガ遺構 
多田銀銅山 復元レンガ遺構

多田銀銅山 説明板 レンガ遺構復元予想模式図 

多田銀銅山 説明板 採鉱 


多田銀銅山 説明板 選鉱場での作業

多田銀銅山 説明板 精錬 


兵庫県川西市 多田銀銅山
2018年11月24日 撮影


①オオサンショウウオ侍

多田銀銅山は天平時代に開かれたと言い伝えられる鉱山で、大仏鋳造に多田の銅が用いられたともいいます。
先日、明延鉱山の話をしましたが、明延鉱山で採掘された銅も大仏鋳造に用いられたと伝えられています。
先祖は平家の落ち武者という話が各地にあるように、銅が大仏に用いられた云々もあとづけの話じゃないかと思ってしまいます。
一方で、平安時代、源満仲が開発したとも伝わり、どうもこっちのほうが正しいような気がしますね。

多田銀銅山の入り口にあたる「悠久の館」には古いたたら(炉に風を送る道具。パッキンとして狸の毛皮が使われていた!)や産出した鉱物などが展示されていて、係の方が丁寧に説明してくださいました。(ありがとうございました!)

堺鉄砲館 炉とふいご 
堺鉄砲館 たたら(炉の向かって左 木製の箱のようなものがたたら)※悠久の館は写真撮影禁止でした。

その「悠久の館」のパンフレットにオオサンショウウオ侍と言うキャラクターが載せられています。
https://ameblo.jp/dolphinfarm/entry-12078851273.html
↑ こちらの方のブログに写真が掲載されています。

このオオサンショウウオ侍を見て、「おお!」と思いました。
オオサンショウウオ侍がかわいいというのもありますが、岡山県湯原温泉のオオサンショウウオ伝説を思い出したのです。

多田銀銅山付近3 

悠久の館を出て、多田銀銅山 青木間歩へ向かいます。

②はんざき大明神は砂鉄とけら(鉄の塊)の神だった?

オオサンショウウオは別名をはんざきともいい、湯原温泉にははんざき大明神を祀る祠があります。
そしてこんな伝説があるのです。

a.文禄時代(1593~1596)旭川上流の龍頭ヶ淵に全長10mもある大はんざきが住んでいました。
近くを通りかかった人や牛を飲み込んでしまうので、三井彦四郎という若者が大はんざきを退治しようと淵に飛び込みました。
大はんざきは彦四郎を飲み込んでしまいましたが、彦四郎は大はんざきの腹を切り開いて出てきたので無事でした。
しばらくして、夜、彦四郎の家の戸をたたき、号泣する声が聞こえるようになり、まもなく彦四郎一家は全員亡くなってしまいました。
村人たちはこれを大はんざきの祟りであるとして、はんざき大明神の祠をたてて慰霊しました。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

旭川流域では古くよりたたら製鉄に用いる砂鉄が採取されていました。
 はんざきには黒い斑点がありますが、この黒い斑点は砂鉄に似ていないでしょうか。

たたら製鉄では粘土製の炉を木炭で熱した中に砂鉄をいれて溶かします。
龍頭ヶ淵とは、このたたら製鉄の炉のことでは?



上のたたら吹きの動画の11:56あたりから見てください。
たたら吹きの最終段階では「けらだし」といって、炉を崩す作業があります。
炉を崩した中から「けら(鉄の塊)」がでてきます。

はんざきの腹を割るとは炉を割る「けらだし」のことで、中から出て来た「けら」が彦四郎ではないでしょうか。
動画の12:57あたりに「けら」の映像がありますが、長細い形ははんざきの形に似ていますし、
表面がぶつぶつとした感じははんざきの斑点をイメージさせます。

彦四郎・・・砂鉄
彦四郎が飛び込んだ龍頭ヶ淵・・・たたら吹きの炉
はんざきの腹を割る・・・・・・・けらだし(炉を崩す)
はんざきから出て来た彦四郎・・・砂鉄がたたら吹きでけら(鉄の塊)になったもの
彦四郎一家が死んだ・・・・・・・たたら吹きにかかせない鉄穴流しによる川の汚染で、本物のはんざきが死んでしまった


湯原温泉 川霧 百日紅 『はんざき大明神は砂鉄とけら(鉄の塊)の神だった?』 

とまあ、そんな風に考えていたので、多田銀銅山二も何かオオサンショウウオに関する伝説があって、それでオオサンショウウオ侍というキャラクターが作られたのかも、と思ったりしました。(未確認)

青木間歩 入口 
青木間歩

青木間歩 内部 
青木間歩内部

③金太郎は鉱物の神だった?

話は変わって①のところで、多田銀山は平安時代、源満仲が開発したという話をしました。
満仲の子の源頼光は大江山の鬼退治をしたことで有名ですが、頼光には四人の優秀な家来(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)がおり頼光四天王と呼ばれていました。

しかし、このうち坂田金時は実在した人物ではなく、下毛野公時を脚色して創作した人物のようです。
平安末期に成立した『今昔物語集』では源頼光の郎党は『坂田金時』ではなく『坂田公時』となっています。

多田銀銅山 水抜き通風穴跡 
水抜通風穴跡

http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_199.html
上のブログでは、近江国坂田郡に金太郎伝説があり、ここから下毛野公時は坂田金時となったのではないかと説かれています。

b.金太郎は、息長氏の一族として、955年に近江国坂田郡布勢郷(現在の長浜市布施)に生まれた。
その後、小一条の「うばがふところ(番所/ばんふところ)」で乳母によって育てられた。
金太郎は、舟崎の鯉ヶ池で鯉にのったり、常喜の熊岡や足柄山で熊と相撲を取ったりして遊んだ。
本庄の足柄神社の奉納相撲にも出場した。
また名超寺、富施寺などで、学問にも励んだ。
青年となった金太郎は、地元の鍛冶屋で働いた。当時この地は、製鉄業が盛んだったのである。
金太郎20歳のころ、足柄山にやってきた源頼光と出会い、金太郎は頼光の家来となった。
994年、金太郎は伊吹山の山賊を退治し、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光とともに頼光の四天王と称された。


多田銀銅山 青木間歩から瓢箪間歩へいたる道 
青木間歩から瓢箪間歩・台所間歩に向かう道

毛野(けの、けぬ)氏は、毛野国(群馬県・栃木県)を本拠地とした古代豪族です。
その後、毛野国が上毛野国(現在の群馬県)と下毛野国(現在の栃木県)にわかれると、それぞれの国の国造家が上毛野(かみつけぬ)氏・下毛野(しもつけぬ)氏となりました。

下毛野国は下野とも記しますが、
http://sky.geocities.jp/tuguyasu/kinzoku/kinzo5.html
上のサイトには、「927年、延喜式にみられる諸国の鉱産物。鍬鉄は伯耆、美作、備中、備後。銅鉛は備中、長門、豊前等。砂金・錬金は下野国。砂金は陸奥国。大宰府銀(対馬産)。伊勢産の朱砂(『延喜式』巻廿三)。」と記されています。

平安時代、下野は砂金の産地として有名だったのです。
ここから下毛野公時は下毛野金時となり、さらに製鉄業が盛んだった坂田郡の金太郎伝説の影響で坂田金時と変化したように思えます。

多田銀銅山 瓢箪間歩大露頭2 
瓢箪間歩大露頭

金太郎は金と記した赤い菱形の前掛けを身に着けていますが、金とは金属の金を表しているのでしょう。
また前掛けは菱形ですが、これも鉱山や鉱物をあらわすものだと思います。
日本地質学会員の藤井光男氏さんは、群馬県桐生市菱地域は古代鉄生産の里であったとしておられます。

多田銀銅山を開発したと伝わる源満仲が帰依した満願寺には坂田金時の墓がありました。
多田源氏は坂田金時を鉱山または鉱物の神として信仰し、満願寺に坂田金時の墓をつくったのではないでしょうか。

満願寺 紅葉 『坂田金時は鉱山の神だった?』 

多田銀銅山 瓢箪間歩大露頭 
瓢箪間歩大露頭

④金太郎と河童

さらに私は金太郎とは河童ではないかと考えるようになりました。
と言うのは、頼光四天王の一人、卜部 季武(うらべ の すえたけ950-1022)にこんな伝説があるからです。

c.「頼光の郎等平季武、産女にあひし話」
夜、 平季武(卜部季武)が馬で川を渡っていると、川の中に産女がいて赤子を渡し、「これを抱け」といった。
季武は女から赤子を受け取り、抱いたまま岸へ向かった。
産女は「子を返せ」と言って追いかけてきたが、季武は陸へ上がって館へむかった。
抱いていた赤子を見ると木の葉だった。

産女がわが子を僧侶に抱かせ、僧侶の念仏や題目によって産女が成仏したなどという話もあるようで、その際には産女はお礼に黄金の袋をくれたといいます。

多田銀銅山 瓢箪間歩jpg 
瓢箪間歩

砂金は川で採れますね。
産女が卜部 季武に渡した赤子とは砂金の比喩のようにも思えます。

また卜部季武菱と金太郎にはこんな伝説もあります。

d.源頼光は卜部季武を従えて信州明呂山にやってきて、山姥(坂田時之の妻)の家に宿を請うた。
山姥は頼光を家にとめ、すきを見て襲ったが、頼光の武力が勝っていた。
山姥は我が子・怪童丸の助命を請い、頼光は怪童丸を家来にした。
怪童丸は坂田金時と名前を改め、頼光四天王の一人となった。

多田銀銅山 台所間歩 

台所間歩

山姥とは山に住む老婆の妖怪ですが、山は山でも鉱山に住む妖怪なのでしょう。
そして鉱山の妖怪・山姥が川で産んだのが砂金の神・金太郎というわけです。

また卜部季武は坂田金時が源頼光の家来になるのにかかわっている点に注意してください。

cの伝説とdの伝説は比喩の仕方が違ってはいても、同じことを言っているように思えるのです。
ただし、dの伝説の金太郎は鉱山で採取される鉱物、cの伝説の赤子(金太郎?)は川で採取される砂金を表していますが。

 多田銀銅山付近

多田銀銅山付近

⑤河童の特徴
江戸時代以降の一般的な河童の特徴をあげてみます。

a.子供のような体格
b.全身緑色または赤色
c.頭頂部に皿がある。皿が乾くと脱力したり、死ぬ。
d.口は短いくちばし。
e.背中に甲羅がある。
f.手足に水かきがある。
g.肛門が3つある。
h.生臭い。
i.キュウリが好物。
j.相撲が得意
k.土木工事を手伝う。
l.河童を助けた人間に魚を贈った。
m.薬の製法を教えた。
n.溺れた人の尻小玉を抜いて食べる。

金太郎は子供のような体格であり、体は赤いです。
また足柄山で熊と相撲をとったりしたといわれます。

金太郎はおかっぱ頭をしていますが、おかっぱ頭は古くは男子の髪型で、むれないように頭頂部を剃っていました。
その髪をそり落とした部分が皿のように見えます。

金太郎は端午の節句の鯉のぼりにまたがる姿で描かれることも多く、川のイメージがあります。

Kappa jap myth

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kappa_jap_myth.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/Kappa_jap_myth.jpg よりお借りしました。
作者 Toriyama Sekien (Japanese, *1712, †1788) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


河童には亀の甲羅がありますね。
そこで、次の図を見てください。
向かって左が背甲、向かって右が腹甲です。

腹甲は菱形をしています。金太郎の前掛けが菱形になっているのは、それが鉱物を表すと同時に亀の腹甲を表しているのではないでしょうか。

また背甲には六角形や五角形の模様がありますが鉱物の結晶の中には六角形の板状・柱状のものがあり、亀の背甲は鉱山や鉱物を表すもののように思えます。

Chelonia scutes


https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chelonia_scutes.PNG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Chelonia_scutes.PNG よりお借りしました。
(Original uploader) Shyamal [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で



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[2018/12/06 13:11] 兵庫県 | トラックバック(-) | コメント(-)