fc2ブログ














多田神社 紅葉 『平季武が産女から受け取った赤子の正体とは?』 


多田神社 橋2

兵庫県川西市 多田神社
2018年11月25日 撮影

①頼光の郎等平季武、産女にあひし話

前回ご紹介した満願寺(満願寺 紅葉 『坂田金時は鉱山の神だった?』 )から4kmほどのところに多田神社があります。
多田神社は満願寺と関係の深い神社で源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀っています。

多田神社 橋

今日は多田神社の御祭神の一、源頼光にちなみ、頼光四天王の一、卜部 季武(うらべ の すえたけ950-1022)の話を。
卜部季武は正式には坂上季武といいますが、今昔物語集には平季武という名前で登場します。

「頼光の郎等平季武、産女にあひし話」
夜、 平季武が馬で川を渡っていると、川の中に産女がいて赤子を渡し、「これを抱け」といった。
季武は女から赤子を受け取り、抱いたまま岸へ向かった。
産女は「子を返せ」と言って追いかけてきたが、季武は陸へ上がって館へむかった。
抱いていた赤子を見ると木の葉だった。

多田神社 西門

②死んだ妊婦の妖怪・産女

産女は死んだ妊婦が変じた妖怪で、血に染まった腰巻を身につけ、人を追いかけたり、かみついたりするとされました。
血に染まった腰巻を身に着けているのは、死んだ妊婦は血の池地獄に堕ちると信じられていたことが由来とされます。

死んだ妊婦が産女にならないように、腹をさいて胎児を取り出し、母親に抱かせて葬ったりしていたようです。

産女がわが子を僧侶に抱かせ、僧侶の念仏や題目によって産女が成仏したなどという話もあるようで、その際には産女はお礼に黄金の袋をくれたといいます。

多田神社 西門2

③下毛野公時→坂田公時→坂田金時と変化した?

ここで閃きました!
平季武が抱いた赤子とは金太郎ではないでしょうか?

坂田金時は実在せず、下毛野公時が坂田金時のモデルであるともいわれます。

藤原道長の日記『御堂関白記』によれば、下毛野公時は1000年には生まれ、1009年に近衛舎人となっています。
そして三条天皇に仕えて歌舞や、騎射、相撲使(相撲取をスカウトする仕事)などをを務めています。
また藤原道長の髄身でもあったようです。
1017年、相撲使としてスカウトに赴いた筑紫で死亡しています。18歳でした。

『今昔物語集』の別の物語に源頼光の郎党「坂田公時」が登場しています。
もしかしたら、下毛野公時→坂田公時→坂田金時 のように変化したのかもしれませんね。

多田神社 田尻稲荷神社

④下毛野氏は下手野国の国造家

毛野(けの、けぬ)氏は、毛野国(群馬県・栃木県)を本拠地とした古代豪族で、10崇神天皇の第1皇子の豊城入彦(とよきいるひこ)命を祖とする皇別氏族とされています。

その後、毛野国は上毛野国(現在の群馬県)と下毛野国(現在の栃木県)にわかれましたが、それぞれの国の国造家が上毛野(かみつけぬ)氏・下毛野(しもつけぬ)氏です。

多田神社 田尻稲荷神社 紅葉2

⑤坂田金時の金とは砂金の金?

下毛野はのちに那須を加えて下野国となったのですが

http://sky.geocities.jp/tuguyasu/kinzoku/kinzo5.html
上のサイトには、「927年、延喜式にみられる諸国の鉱産物。鍬鉄は伯耆、美作、備中、備後。銅鉛は備中、長門、豊前等。砂金・錬金は下野国。砂金は陸奥国。大宰府銀(対馬産)。伊勢産の朱砂(『延喜式』巻廿三)。」と記されています。

平安時代、下野は砂金の産地として有名だったのです。

「下毛野(下野)=砂金」という連想から、「下毛野公時→下毛野金時 」となり、さらに滋賀県坂田郡で盛んだった製鉄業とあわさって坂田金時となったのではないかと思います。

すなわち、坂田金時の金とは砂金の金ではないかと思うわけです。

多田神社 田尻稲荷神社-2

⑥金太郎や産女が抱いた赤子は赤く焼ける金属の比喩?

平季武は川を渡っているときに産女にあって赤子を抱かされたとされますが、砂金は川で採取されます。

さらに金太郎は赤い体で描かれることが多いです。
金太郎の体が赤いのは、製鉄鋳造で金属が赤く焼ける様子を表すという説があります。
赤子もまた製鉄鋳造で金属が赤く焼ける様子を表しているのではないでしょうか。

多田神社 鳥居

⑦卜部季武は頼光が金太郎を家来にしたことと深くかかわっていた。

金太郎にはこんな伝説もがあります。

源頼光は卜部季武季武を従えて信州明呂山にやってきて、山姥(坂田時之の妻)の家に宿を請うた。
山姥は頼光を家にとめ、すきを見て襲ったが、頼光の武力が勝っていた。
山姥は我が子・怪童丸の助命を請い、頼光は怪童丸を家来にした。
怪童丸は坂田金時と名前を改め、頼光四天王の一人となった。

多田神社 拝殿

源頼光が卜部季武を従えていたという点に注意してください。
卜部季武は頼光が金太郎を家来にしたことと深くかかわっているのです。

上の伝説を、もっと比喩的に表現したのが①の産女と赤子の話なのかもしれません。

つまり、山姥=産女、金太郎=赤子(金の袋)というわけです。

多田神社 拝殿2
 
すると平季武が金の袋だと思って持ち帰ったのは実は木の葉だったという残念な結末になってしまいますがw

多田神社 参道3 
あまりに紅葉が美しいので大量アップしちゃおう!(実際はもっときれいなんですが、写真の腕がないので~)
観光客も少ないし、ゆったり紅葉狩できるのでお勧めです。

多田神社 参道2 

多田神社 参道 

※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村  

関連記事

[2018/11/30 10:34] 兵庫県 | トラックバック(-) | コメント(-)