2017年11月18日撮影
二ノ瀬駅 きらら①展望列車「きらら」と雲母坂叡山電車の展望列車「きらら」は窓が大きく、車窓から風景を楽しむことができるので大人気です。
「きらら」という名前は、修学院から比叡山に通じる「雲母坂(きららざか)」からとったようですね。
雲母坂の名前の由来は、京都市内からみてこの坂から雲が生じるように見えるからとか
雲母を含む花崗岩由来の砂が多いからなどと言われています。
登山口にあたる雲母橋には親鸞ゆかりの石碑がたっているそうです。行ったことないけど(汗)。
二ノ瀬駅 デオ710形
②親鸞ゆかりの雲母坂浄土真宗の宗祖・親鸞は青蓮院で出家して比叡山延暦寺で修行しました。
そして29歳のときに比叡山を下山して六角堂に籠るのですが、このとき親鸞が降りて来た道が雲母坂なのだそうです。
六角堂に籠った親鸞の夢の中に聖徳太子が出てきて「私が女に生まれ変わってあなたの妻になろう」と言ったというのです。
信者さんには申し訳ないんですが、現代で同じようなことを言う人がいたら、多くの人は「頭おかしくなったんじゃないの?」と思うでしょう。
でも鎌倉時代の人はそうは思わなかったみたいですね。
浄土真宗の宗祖は親鸞とされますが、彼には浄土真宗を開くという意思はなく、親鸞の死後、彼の子孫によって浄土真宗が開かれました。
「きらら」より紅葉のトンネルを写す。③親鸞が肉食妻帯したのは、すべての人が幸せになる道をとくため?それまで僧侶は妻帯が認められていなかったのですが、親鸞の妻は聖徳太子の生まれ変わりということにされ、親鸞の子孫は聖なる血筋ということになったのでしょう。
それだけでなく、親鸞は禁じられていた肉食もしています。
なぜ親鸞は肉食妻帯したのでしょうか。
その理由について、こんな風に解説しているサイトがありました。
親鸞上人の時代、仏教といえば天台宗や真言宗などの山にこもって修行し、欲・怒り・愚痴の煩悩と闘って、本当の幸せになろうとする教えばかりでした。
僧侶は欲のままに行動する、肉を食べ、結婚することは固く禁じられていました。 当時、僧侶が公然と肉食妻帯することは仏教界だけでなく社会を大騒ぎさせることだったのです。
そんな肉食妻帯を公然とされた親鸞聖人を、“己に素直に生きられたお方”といったイメージを持っている人は少なくないようです。しかし肉食妻帯は、己の欲望のままになされた行動ではありませんでした。
その大胆な行動は、山にこもって修行している人も、生きる為に仕事をしている人も、男も女も、老いも若きも、一切の差別なく、すべての人が、本当の幸せになれる道を教えられたのが、本当の仏教であることを明らかにするためだったのです。
https://1kara.tulip-k.jp/naruhodo/201104360.html
③親鸞の登場で寺が世襲制に。
ですが、私は親鸞の登場によって寺が世襲制になったということに、私は反感を持ってしまいます。
親鸞以前のお寺では、世襲はなかったはずです。
もちろんそれは僧侶の妻帯が認められていなかったからです。
仮に僧侶がエッチして子供ができたとしても、公にはできなかったでしょうね。
ところが親鸞の妻が聖徳太子の生まれ変わりだということで、本願寺は世襲制となってしまったのです。
僧侶という職業は、何かを生産するわけではありません。
僧侶は信者からお布施をもらって生きているわけです。
なぜ僧侶が信者からお布施をうけることができたのか。
それは世俗と縁を切り、結婚もせず、昔は人の大きな価値観であったと思われる子孫繁栄を捨て、人々のために祈るという聖職についていたからだと思います。
④親鸞は真言立川流の影響をうけていた?
私は親鸞は真言立川流の影響を受けていたのではないかと思います。
真言立川流れの流祖は仁寛(?-1114年)で、南北朝時代に文寛(1278-1357)によって大成したとされます。
しかし江戸時代に邪教であるとして弾圧され、文献も焚書によって残されていないため、詳しいことは不明ですが
髑髏に和合水と漆を塗り重ねた髑髏本尊をつくり、その前でエッチを繰り返すというようなことをしていたといわれます。
立川流は陰陽道の思想を取り入れたもので、男女和合によって真言宗の本尊・大日如来と一体になることをとくとされます。
そして神はその表れ方で御霊・荒魂・和魂にわけられるといい、男神は荒魂を、女神は和魂をあらわすとする説があります。
陰陽道では男は陽、女は陰なので、荒魂が陽、和魂が陰となります。
御霊・・・神の本質・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・陽
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・陰
御霊・・・神の本質・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・陽・・・親鸞
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・陰・・・親鸞の妻
そのような信仰があったため、親鸞は妻帯したのではないかと思ったりします。
⑤親鸞が肉食したのは、聖天さんの信仰と関係ある?
親鸞が肉食したのは聖天さんの信仰と関係がありそうです。
聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身・ビナヤキャ女神の男女双体の神で、象頭の男女の神がい抱き合うお姿をされています。
そして、こんな伝説があります。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物でした。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになりました。
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまいました。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延しました。
そこで十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われました。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓いました。
この聖天さんの伝説は、この御霊・和魂・荒魂をあらわしたもののように思えます。
御霊・・・神の本質・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・ビナヤキャ・・・・・・親鸞・・・・・陽
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・ビナヤキャ女神・・・・親鸞の妻・・・陰
了徳寺 大根焚
そして親鸞ゆかりの寺・了徳寺では12月に大根焚を行っており、東京の待乳山聖天では1月に大根まつりをおこなって、参拝者にふろふき大根を授与しています。

待乳山聖天 大根まつり
待乳山聖天で大根まつりを行っているのは大根が聖天さんの好物(大根と肉)のひとつだからでしょう。
そして親鸞ゆかりの了徳寺で大根焚を行っているのは、妻帯した親鸞が聖天さんのイメージに重ねられたためだと思います。
聖天さんは大根のほか、肉も好物でした。
さらに、聖天さんの信仰と立川流の信仰には関係があったのではないかと思います。
それで親鸞は肉食を行ったのではないでしょうか。
貴船駅

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[2018/11/26 21:25]
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