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鞍馬寺 紅葉 『鞍馬寺を創建した藤原伊勢人は架空の人物?』 


鞍馬寺 仁王門 紅葉

鞍馬寺 仁王門

京都市左京区 鞍馬寺
2018年11月17日 撮影


①鞍馬寺は紀氏の寺だったのを藤原氏が奪った?

鞍馬寺にはこんな創建説話が伝えられています。

796年、藤原伊勢人の夢の中に貴船の神が現れ、鞍馬寺をつくるようにと言った。

鞍馬寺から貴船神社までは山道を歩いて30分ほどです。
(現在は台風による倒木で通行禁止なので、叡山電鉄を利用しました。)

貴船神社 紅葉3

貴船神社

貴船神社は平安時代に上賀茂神社の第2摂社となっています。
賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の母神は玉依姫で、下鴨神社に祀られています。
そして貴船神社奥の院にある船形石が玉依姫の乗った船であるという伝説があるので、
貴船神社は上賀茂神社と関係がある神社だということで、上賀茂神社の摂社とされたのではないかと思います。

 鞍馬寺 普明殿 紅葉 
鞍馬寺 普明殿 (ケーブルカーの乗り場です。ちなみにトイレは鳥樞沙摩明王殿w)

ところが兵庫県尼崎市の長洲貴布禰神社には次のように伝わっています。

平安京遷都の際、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が「任務が無事遂行できますように」と自身の守り神に祈願したところ、事がうまく運び、そのお礼にこの社を建てました。

貴船神社(貴布禰神社)は紀氏の神のようですね。
紀氏の神が、藤原氏の藤原伊勢人に寺を作れ、なんて言うもんですかね?

鞍馬寺はもともと紀氏の寺だったのを、のちに藤原氏に奪われたのではないでしょうか?

鞍馬寺 多宝塔 紅葉 
鞍馬寺 ケーブルカーをおりたところには多宝塔が。

②藤原伊勢人

鞍馬寺の創建説話に登場する藤原 伊勢人(ふじわら の いせんど)とはどんな人物なのでしょうか。
生没年は759年~827年。
藤原南家の藤原巨勢麻呂の七男です。

藤原伊勢人は鞍馬寺を創建したのと同年の796年に東寺を創建したとも伝わります。

鞍馬寺 転法輪堂 紅葉3 

鞍馬寺 参道の木が倒れて、転法輪堂が見えていました。

伏見稲荷大社と藤森神社の確執

東寺の鎮守は伏見稲荷大社です。
伏見稲荷大社の南に紀氏の神を祀る藤森神社がありますが、もともと藤森神社は伏見稲荷大社の場所にあったとされています。
その場所に伏見稲荷大社が建てられることになったので、藤森神社は移転したというのです。

東寺 五重塔 
東寺

伏見稲荷大社 舞妓さん 

伏見稲荷大社

藤森神社 藤森祭 神輿 
藤森神社 藤森祭


そのため、伏見稲荷大社付近の人々は今でも藤森神社の氏子だといいます。
藤森神社の祭礼では氏子さんたちは神輿を担いで伏見稲荷神社に乗り込み、その境内にある藤尾社の前で「土地返しや、土地返しや」と叫び
稲荷神社側の人々は「神さん、今お留守、今お留守」と言い返すそうです。

鞍馬寺 紅葉4 

鞍馬寺 参道

氏子さん方にはこんな話が伝わっています。

稲荷山はが藤森神の土地だったが、稲荷神が俵1つ分の土地を貸してほしいと言いました。
俵一つ分くらいならと許可すると、稲荷神は、持っていた俵を解いて長い縄にし、その縄で囲んだ土地を借りました。
しかし期限が来ても返さないので、祭礼の際に「土地返せ」と言っています。

伏見稲荷大社があるあたりは山城国紀伊郡といい、紀氏の土地であったのが、藤原氏や秦氏が権力を持つようになって紀氏は土地を奪われたと考えられています。

鞍馬寺 転法輪堂 紅葉2 
鞍馬寺 転法輪堂

空海のもとにやってきた紀州の神。

『稲荷大明神流記』には次のように記されています。

816年、紀州国熊野で空海は神に出会いました。
神は空海に『弟子になれ』と言いました。
空海はこう答えました。
『私は密教を広めたいと思っているので、仏法で守ってくださるとうれしいです。
東寺であなたをお待ちしています。』
823年、紀州の神が約束通り東寺にやってきたので、空海は大喜びで神をもてなし、
17日間祈祷して神に鎮まっていただきました。


空海が紀州で出会った神とは紀氏の神ではないでしょうか。

 鞍馬寺 転法輪堂 紅葉 
鞍馬寺 転法輪堂
 

⑤伏見稲荷大社は紀氏の神までも奪っていた?

伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神を祭っていますが
柴田實氏によると、四大神とは、五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋姫(おおやつひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神の四柱の神神々のことだということです。(式内社調査報告)

五十猛命(イソタケル)は、スサノオの子で、林業の神です。
記紀の記述によれば五十猛神は紀伊国に祀られている神とあります。紀伊国とは紀州のことです。

 また記紀の記述によれば、大屋都姫命(大屋姫)はスサノオの娘で、五十猛命は兄、抓津姫は妹としており
大屋都姫命と抓津姫はスサノオに命じられて五十猛命と共に全国の山々に木種を撒いたあと紀伊国に戻ったとあります。

そして、和歌山市宇田森の大屋都姫神社では大屋都姫命を、和歌山市伊太祈の伊太祁曽神社では五十猛命を主祭神としています。
都麻都姫命(抓津姫/は都麻都比売神社の主祭神とされていると古い文献には記されていますが、この都麻都比売神社が現在のどの神社のことであるのかは不明です。

紀州は古より林業が盛んだったので、紀州の人々は林業の神・五十猛神や、木種をまいた大屋都姫命・抓津姫を信仰していたのでしょう。
そして紀州は紀氏の本拠地でした。
五十猛神・大屋都姫命・抓津姫は紀氏の神だと考えられるでしょう。

伏見稲荷大社は紀氏の土地を奪っただけでなく、紀氏の神まで奪っていたのでは?

和歌山県有田氏の糸我稲荷神社が最古の稲荷社だともいわれています。

鞍馬寺 金剛寿命院 紅葉 
鞍馬寺 金剛寿命院

⑥秦伊侶具とは空海をモデルとして創作した人物?

空海は東寺建設のために稲荷山から木を伐りだしています。
高さ54.8mの東寺の五重塔。
その心柱とするのに適切な木材が稲荷山にしかなかったので、空海は稲荷山を欲したのではないでしょうか。

『稲荷大明神流記』では紀州の神に鎮まってもらったのは823年となっています。
それ以前には紀氏の神を祀る神社があったはずです。
伏見稲荷大社の創建説話では秦伊侶具が711年に矢を射たとありますが、これはウソっぽいです。

空海の俗名は佐伯真魚といいます。
そして伏見稲荷大社の創建説話に登場する秦伊侶具は「はたのいろぐ」と読みますが、「はたのうろこ」とルビをふってある文書もあります。
さらに空海は秦氏だとする説もあります。


私は秦伊侶具とは空海をモデルとして創作した人物ではないかと思います。

空海は佐伯真魚で『魚』なので、そこからイメージして伊侶具(うろこ)という名前にしたんだったりして?

鞍馬寺 紅葉3 
鞍馬寺 日が沈んで灯篭に明かりが入りました。


⑦藤原伊勢人は架空の人物?

東寺の記録書『東宝記』には「796年、藤原伊勢人が造寺長官となって東寺を建立した」とあるのですが
藤原伊勢人は公式の史書や系譜にはその名前がありません。
そのため架空の人物だとする説があります。

私も藤原伊勢人という人物は架空の人物ではないかと思います。
そして鞍馬寺はもともとは紀氏の神を祀る貴船神社と関係のある寺ではないかと思います。


鞍馬寺 紅葉   
ケーブルはもう終了したので、歩いて下山しますw。



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[2018/11/22 10:44] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)