京都市左京区 貴船神社2018年11月17日 撮影
①絵馬のルーツ小さな板に願い事などを書いて神社に奉納するもののことを絵馬といいますね。
常陸国風土記や続日紀によると、古には神事の際に本物の馬を献上する習慣にあったそうで、これが絵馬のルーツとされています。
本物の馬を奉納できない人が土や木で作った馬を奉納するようになり、さらに絵に書いた馬を奉納するようになったと考えられています。
なぜ牛や猪ではなく、馬なんでしょうか?
一般的には、神様は馬に乗って現れると考えられていたためとされています。
でも、私は「馬と天然痘が結び付けられた可能性があるかも」と思ったりします。
↑ 大阪府枚方市・片埜神社の境外社・瘡(くさがみ)神社です。
瘡神社は次のような伝説を伝えます。
菅原道真が無実の罪で流罪となり大宰府へ向かう途中、この地で道真の馬が倒れました。
道真は馬を地元の人に託して大宰府へ向かいました。
地元の人は手厚く介抱しましたが、馬は死んでしまいました。
馬が埋葬された場所には馬の好物である草がたくさんお供えされ、「草神様」と呼ばれるようになりました。
この「草神」が「瘡(くさ)神」に転じて「瘡神社」となり、皮膚病にご利益があると信仰されました。
瘡とは皮膚病のことですが、天然痘を意味するものでもあったのではないかと思います。
日本書紀には「瘡発でて死る者――身焼かれ、打たれ、摧かるるが如し」と記されており、天然痘の病状を記したものではないかと考えられています。
天然痘は疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいい、豆粒状の丘疹が全身にできます。
現在では種痘によって天然痘は撲滅されたとされますが、天然痘は近年まで猛威をふるっていた恐ろしい伝染病でした。
奈良時代には藤原四兄弟が天然痘に感染して死亡していますし
孝明天皇(1831-1867)の死因も天然痘であると記録されています。
そして草が好物の馬は、瘡(くさ)を食べてくれる神として信仰されていたため、馬は天然痘の神としても信仰されたようです。
貴船川に貴船神社の馬の像を合成②干ばつには黒馬、長雨には白馬古来朝廷は勅使を派遣して「貴船神社」や「丹生川上神社」に馬を奉納していたそうです。
干ばつの際には雨が降ることをいのって黒馬が、長雨の際には雨が止むことを祈って白馬が奉納されたとのこと。
なぜ天然痘の神である馬が、天気の神ともされたのかについては、わかりません!(きっぱり)
ですが、長雨の際には白馬で、干ばつの際には黒馬が奉納された事の意味については思い当たるふしがあります。
③陰陽思想白と黒といえば、陰陽思想ですよね!
陰陽思想とはこの世にあるすべてのものは陰と陽に分けられるとする中国由来の考え方のことです。
例えば性別では、男が陽で女が陰、天体では太陽が陽で月が陰、光度では明るいのが陽、暗いのが陰などとされます。
そして陰陽を表す太極図は陽が白、陰が黒であらわされます。
太極図https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
そして天気を陰陽でいうと晴が陽で、雨が陰です。
干ばつで雨が降ることを祈る際には、雨は陰なので黒馬を
長雨で雨が止むこと’を祈る際には、晴は陽なので白馬を奉納したと考えると筋が通るのではないでしょうか?
↓ 台風の被害で倒れた木がたくさんありましたが、貴船神社の紅葉はとても美しく、また境内や参道はきちんと片づけられていました。
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[2018/11/20 16:37]
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