城南宮 曲水の宴 『羽觴は死者の魂の乗り物、遣水はあの世へ向かう川? 』
京都市伏見区 城南宮
曲水の宴・・・11月3日

あれっ、平安時代にタイムスリップ?

城南宮神苑に平安びとが登場ーーー。

①「曲水の宴」の歴史
「曲水の宴」とは遣水(やりみず)に羽觴(うしょう、おしどりの姿を象った盃台)の背に杯を載せて流し、自分の前に羽觴が流れ着くまでに歌が詠めなければ罰として杯を飲み干すす、というものです。
誰ですか、「酒呑みたいから歌なんか詠まないよ」なんて言っているのは~。(笑)

羽觴(うしょう、おしどりの姿を象った盃台)
曲水の宴は古代中国、周公(紀元前1042年ごろ)の時代に始まったとされます。
永和9年(西暦353)3月3日、王羲之が修禊の儀式をして曲水の宴を開いたという記録がありますよ。
曲水の宴は日本に伝わり、『日本書紀』には、顕宗天皇元年(485)3月に『三月上巳幸後苑曲水宴』が行われたことが記されています。
『上巳』とは上旬の巳の日という意味で、元々は3月上旬の巳の日をさしていました。
古代中国の魏(220年-265年)の時代から、『上巳の節句』は3月3日に行われるようになったそうです。
その後、史料から曲水の宴の記事はしばらくとだえます。
次に登場するのは聖武天皇代の神亀5年(728年)の記事です。
これ以降、年中行事となり、3月3日に行われました。
曲水の宴はもともとは3月3日の桃の節句の行事だったということですね。
平安時代に桓武天皇が3月に崩御したことから中止されましたが、その後、嵯峨天皇が復活させています。

②雛祭は身代わり人形に息を吹きかかけて穢れを移し、川や海に流す行事だった。
3月3日は雛祭りで、下鴨神社や和歌山県加太の淡島神社では『雛流し』を行っています。

下鴨神社 流し雛
6月晦日には各地の神社で『夏越の祓』といって人形(ひとがた)に息をふきかけて穢れを人形に移し、川や海に流すという行事が行われています。
雛流しは夏越の祓と同様の神事で、雛人形は身代わり人形であると考えられます。

貴船神社 夏越の祓
3月3日には雛人形を飾りますが、3月3日を過ぎたら早くしまわないと娘が嫁に行けなくなる、などと今でも言いますね。

高取土佐町 雛祭
それは、「人形というものが、もともとは息を吹きかけて穢れを移すためのものだったから」ではないかと思ったりします。
だんだん豪華な人形が作られるようになったために、雛人形は流されなくなりました。
そのかわりに雛人形は首を抜かれて押入れの奥深くにしまいこまれるのです。
(現在は首の抜けない雛人形も多いそうですが、昔のひな人形は首が抜けました。私が持っていた雛人形も首が抜けました。)
人形の首を抜くのは収納のためだと思っていましたが、よく考えてみると気持ち悪いですね。

柿本神社にある柿本人麻呂の神像も首がすぽっと抜けるように作られているそうです。
神像はご神体として、神社のご神殿などに安置するもので、収納など考える必要はなさそうです。
ということは、人麻呂の神像が首が抜けるようになっているのは、収納のためではなく、まじない的なものなのではないでしょうか。
雛人形も人麻呂像と同じで、女の子の身代りとなって穢れをその体内に吸い込んだのち、命を絶たれるべきものとして、首が抜けるように作られているのではないでしょうか。

③羽觴は死者の魂の乗り物、遣水はあの世へ向かう川?
曲水の宴で用いる羽觴(うしょう)は、おしどりを象ったものですが、鳥は死者のイメージが強いです。
「翼をください」という歌に象徴されるように、現代人にとっては鳥は希望の象徴とされることが多いですが、古代人にとってはそうではなかったようです。
古事記には死んだヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという記述があります。
また鳥たちがアメノワカヒコの葬儀を執り行うという記述もあり、鳥には死のイメージが強いです。
ササキという鳥がいますが、これに御をつけるとミササギ(陵)となりますね。
古の人々は鳥とは死んだ人の霊だと考えたのではないでしょうか。
地上から見たのではわからない巨大な古墳の形も、鳥の目線からなら認識できますね。
巨大古墳は鳥になった霊の目線を意識して作られたのではないでしょうか?
ブータンでは、身分の高い人は鳥葬するのだと聞いたことがあります。
残酷なようにも思えますが、鳥に食べてもらうことで空に還る、という信仰があるのだそうです。
これは古事記のヤマトタケルが白鳥になった話を思い出させて興味深いですね。
ちなみに一般人は火葬され、遺灰は小麦粉と混ぜて仏塔型の団子にして川に流し、魚に食べてもらうということです。
インドでも遺灰はガンジス川に流すそうです。
こちらのほうは、夏越の祓いで人形を川に流すことを思い出させてやはり興味深いです。
曲水の宴は鳥と川、両方のアイテムが揃っています。
羽觴は死者の魂の乗り物、遣水はあの世へ向かう川を表現してあるのだったりして?

④酒を呑むのは、厄をもらうこと?
紀貫之が古今和歌集仮名序に次のように書いています。
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり
(力を入れずに天地を動かし
目に見えない鬼神の心をも動かし
男女のなかをも和らげ
猛々しい武士の心をもなぐさめるもの。それが歌である。)
これを読むと、歌とは芸術などではなく、呪術であったことがわかりますね。
おそらく曲水の宴において和歌を詠むのは、羽觴に乗せられた怨霊の心を和らげ、なぐさめるためではないでしょうか。
そして和歌を詠めないと酒を飲む、というのは死者の厄をもらう、という罰なのではないかと思ったりします。
昔、近所のおじさんが厄年で、おばさんが『善哉たいたので食べにおいで』といってくれました。
それで姉や近所の友達と善哉をよばれにいったんですが、その夜、思いがけなく祖母に叱られました。
『善哉もらうことは厄をもらうことなんやで。』と祖母はいうのです~w
曲水の宴で酒を飲むのはこれと同様の意味があるのかも?

當麻のお練り 合成
さらに『迎講』『二十五菩薩練供養』などといって、二十五菩薩があの世から死者を迎えにくる様を表現した行事があります。
この行事は、死者をあの世に届ける儀式であると同時に、この世の人が再生する儀式でもあるといわれます。
これは人形や羽觴のかわりに死者に生きている人の穢れを移してあの世に持っていってもらうというような信仰に基づくものだと思います。
このように考えると毎年3月3日に行われていた曲水の宴が、桓武天皇が3月に崩御したことから中止になった理由がなんとなくわかるような気がしませんか。
人々にはまるで羽觴に乗っている霊が、桓武天皇の霊であるかのように思われたのではないでしょうか。
桓武天皇に自らの穢れを移してあの世にもっていってもらうなど、畏れ多い、ということで、中止になったのかも?

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