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高槻 コスモスロード 『見し間、玉、芥のナゾ?』 


高槻 コスモスロード 碧流寺

①三島江は歌枕だった。


三島江は古より歌枕として有名なところだったようで、多くの人が歌を読んでいます。

歌枕とは和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことです。

三島江の玉江の薦をしめしよりおのがとぞ思ういまだ刈らねど 万葉集
(三島江の玉のように美しい葦に標を立てたので、自分のものだと思う。まだ刈っていないけれど。)

薦を女性に喩えて、「唾つけたから俺のだ」と言っているんでしょうかね?
薦は脚の掛詞になっているのかも?だとしたら、作者は脚フェチなのかも♥

葦は湿地帯に生える植物です。
で、写真では見えませんが、このコスモスロードの向こう側は淀川です。
かつて三島江の淀川のほとりには葦が茂っていたのでしょう。

舞洲 葦

舞洲 葦

②三島江を詠んだ歌

他にどんな歌があるのか見てみましょう。現代語訳はよくわからないところが多いので省きます(汗~)

【蘆を詠んだもの】
三島江の江のをしめしよりおのがとぞ思ういまだ刈らねど (万葉集 )
三島江や 露もまだひぬ の葉に つのぐむほどの 春風ぞ吹く (源通光) 
三島江に つのぐみわたる の根の ひとよのほどに 春めきにけり( 曾禰好忠)
の根も つのぐみぬらむ 三島江の 岸の青柳 色づきにけり (藤原家隆 )
乱れの かれ薬もさやに みしまえや 氷のうへは 浦風ぞふく  (為道朝臣)
よそにのみ 三島のの 根を絶えて 刈りにだにやは 今はおとづる (堀川百首 )

【薦(こも)】
三島江の 入江のまこも 雨ふれば いとどしをれて かる人もなし (大納言経信)
三島江の 入江のを 刈りにこそ 我れをば 君は思ひたりけれ (読人しらず)
三島江の 江のまこも かりにだに とはで程ふる 五月雨の空 (藤原行能)

【菅(すげ)】
みしまえに 真菅のなへや もえぬらし 友よぷ駒の けしきしるしも  (小侍従)
みしま江の 入江に生ふる 日管の しらぬ人をも あひみつるかな (藤原基俊)

【水草】
三島江の ひしの浮葉に ぬるを 薦しか夏の 月もさやけき (後鳥羽院 )
しらずとも たづねて知らむ 三島江に 生ふる三稜(みくり)の すぢは絶えじを  (源氏物語)

【松】
住吉の もみゆきは ありけりと こはめづらしく 三島江の浦 (小弁)

【鳥】
三島江の 水鳥さわぐ 夕暮に 袖うちぬらし 今ぞすぎゆく (大僧正尊行)
友鶴の 群れゐしことは 昔にて みしま隠れに 音をのみぞなく (従二位成実)

【貝】
風吹けば  花咲く波の  折るたびに  桜貝寄る 三島江の浦  (西行)

【渡船場】
春霞 かすめるかたや 津の国の ほのみしま江の わたなるらん (藤原頼家)

【漁火】
さてもまた 人しれずのみ 消え佗びぬ 三島がくれの あまの漁火 (正三位知家)

【「見し間」の掛詞】
はつかにも 君をみしまの 芥川 あくとや人の おとづれもせぬ (伊勢)

高槻 三島江 田圃 碧流寺

③三島江から連想される玉川という地名

これらの歌の中には「玉」を読んだものが3首あります。

三島江の江のをしめしよりおのがとぞ思ういまだ刈らねど (万葉集 )
三島江の 江のまこも かりにだに とはで程ふる 五月雨の空 (藤原行能)
三島江の ひしの浮葉に ぬるを 薦しか夏の 月もさやけき (後鳥羽院 )

玉の意味を古語辞典で調べてみると次のようにあります。
a.美しい石。宝石。
b.貝類。真珠。
c.美しいものの形容。
d.丸い形をしたものの形容。

bに貝類とあるので「、風吹けば  花咲く波の  折るたびに  桜貝寄る 三島江の浦  (西行)」も玉を詠んだ歌だといえるかもしれません。

また、玉は魂(たま)と同音で、魂の意味にも用いられているように思えます。
魂とはもちろん「たましい」のことです。

蘆・薦(こも)・菅(すげ)などは淀川の水辺に生殖する植物、菱(ひし)・三稜(みくり)は水草、
松・鳥・貝・わたり(渡船場)も川または湖に関係する言葉です。
(かつてこのあたりまで海であり、河内湖と呼ばれていたため、三島江という地名になったのかもしれない。江とは海や湖が陸地に入り込んだ地形のこと)

高槻 コスモスロード 

しかし玉は特に川に関係するものではなく、三島江とは関係がないという意見もあるかと思います。

でも私は玉という言葉は三島江と関連付けて読まれている可能性があると思います。

というのは、三島江の北方すぐのところに玉川という地名があるのです。
玉川も歌枕として古来より有名な場所でした。

 ④玉川・三島江の東を流れる芥川

そして、「はつかにも 君をみしまの 芥川 あくとや人の おとづれもせぬ (伊勢) 」という歌のなかに「みしま」とあるのは「三島江」をさすものと思いますが、同じ歌の中に「芥川」とありますね。
芥川は、玉川・三島江の東部を流れる川です。

芥川といえば、伊勢物語にある次の歌を思い出します。

白玉か なにぞと人の問ひしとき 露と答えて 消えなましものを
(白玉なの?何なの?と高子が私に問うたとき、あれは露だと答えて、露のように消えてしまえばよかったのに。)

これは伊勢物語の主人公の在原業平が藤原高子と駆け落ちをして芥川のほとりへやってきたのですが、途中で高子が鬼に食われてしまった(実際には高子は兄の藤原基経に取り戻されたことを鬼に食われたと表現したものとされる。)
際、業平が読んだとされる歌です。

高子は深窓の霊場で夜露を見たことがなかったので、業平に「あれはなあに?白玉なの?」と聞いたのです。
しかし業平は嵐がひどくなってきたこともあって、その問いには答えずに、嵐が蔵の中に高子をかくして、自分は蔵の前に立っていたのです。 

私は業平が高子と関係を持っていたと思いますが、この物語は創作だと思いました。
というのは、地名をキーワードとして暗号のように用いた話のように思えるからです。

高槻 コスモスロード ひまわり

芥川のほとりには玉川という地名がありました。
高子が「あれはなあに?白玉なの?」と聞くのにぴったりの地名ですね。
そして高子は鬼に食われてしまい、「露と答えて 消えなましものを」と歌を詠みましたが
芥川の芥とは「くず、ちり」という意味です。

白玉か なにぞと人の問ひしとき 露と答えて 消えなましものを
(白玉なの?何なの?と高子が私に問うたとき、あれは露だと答えて、露のように消えてしまえばよかったのに。)

この歌の「消えなましものを」は一般的に、「業平自身が消えてしまえばよかった」という意味だとされていますが、私は高子が消えてしまえばよかったという意味だと思います。

詳しい説明は省きますが、業平が高子と駆け落ちをしたのは、高子が清和天皇に入内するのを阻むためではないかと思うからです。
また、歌の意味からいっても、「玉のように美しい高子が、露のように消えてしまえばよかった」ととった方が、歌全体につながりが出てすっきりすると思いますがどうでしょう?

それはさておき、芥川の「あくた」とは「チリ、くず」という意味です。
玉が散ってしまった場所として芥川という地名はぴったりではありませんか。

⑤三島江は逢引するのにぴったりの場所

またこの歌には直接出てきませんが、芥川の西、玉川の南にある三島江という地名も意識されていそうです。

そのヒントは伊勢の歌「はつかにも 君をみしまの 芥川 あくとや人の おとづれもせぬ 」にあります。
芥川とあるところから、この歌にある「みしま」は「三島江」のことだと思われますが、「みしま」は「見し間」の掛詞になっています。

平安時代、貴族の女性は男性に姿を見せないのが一般的でした。なので「逢う」「見る」などは、そのまま男女の関係になることを意味する言葉だったのです。

いやー、そう考えると、すごく深い歌だったんですね。

高槻 コスモスロードより交野山を望む 

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[2018/10/27 17:46] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)