Author:佳音
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兵庫県猪名川町 東光寺 屏風岩 棚田 ふるさと館2018年10月中旬 撮影 東光寺①木喰仏天乳寺・東光寺に立ち寄って木喰仏を拝観してきました。どちらのお寺もお堂はしまっていましたが、インターホンを鳴らしてお願いすると、快く拝観させてくださいました。(ありがとうございます!)木喰(1718~1810)は遊行僧で、全国を遊行し各地に一木造の仏像を残しました。天乳寺には勢至菩薩・聖観音、自刻像、東光寺には十王尊・白鬼・葬頭河婆、自刻像、立木子安観音が安置されていました。 東光寺付近の案内板に描かれていた木喰上人自刻像十王とは地獄の裁判官である秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市王・御同転輪王のことです。葬頭河婆は奪衣婆(だつえば)ともいい、三途の川(葬頭河)で亡者の衣服をはぎ取る老婆です。奪衣婆は盗人の両手の指を折り、亡者の衣服を剥ぎ取ります。これを懸衣翁という老爺が衣領樹にかけます。亡者の衣の重さはその者の生前の業を示し、その重さによって死後の処遇を決めるのだとか。白鬼は地獄で責め苦を行う鬼だと説明していただきました。 東光寺付近 コスモス②木食戒木喰上人という名前は、彼が師の木食観海から木食戒を受けたことに由来するのではないかと思います。木食戒とは、穀物を絶って木の実・草のみを食べる修行のことをいいます。こうすると脂肪がへって死後腐りにくい体になるので、入定の前などにも行ったようです。しかし彼が入定したという記録はなく、93歳で亡くなったそうです。 東光寺付近 棚田③日本の庶民は白米ではなく分つき米を食べていた。さて、今日は木食戒において食べることが禁じられた穀物についてです。穀物とは、澱粉質を主体とする種子を食用とするものの総称でコメ、ムギ、アワ、マメ、キビなどをさします。最近の日本ではコメ離れが進んでいるなどと言われますが、先日友人が「日本人の民衆は米ではなく、稗や粟を食べてたんじゃないか」と言うのです。そうかもしれない、と思って調べてみました。 猪名川町立ふるさと館 千枚こぎ日本の稲作は縄文時代晩期から弥生時代早期にかけて始まったとされます。しかしこのころは玄米を食べていたようで、精製米が食べられるようになったのは飛鳥時代とされます。このころの米は古代米と呼ばれる赤や紫の色をした米でした。現在でも販売していますが、白米にこれらの古代米をまぜてたくと色合いも美しく、もちっとした食感がとてもおいしいです。臼に杵で精米した米は「舂米」(しょうまい/つきしね/つきよね)と呼ばれ、宮廷で働く人の給料として支払われていました。米の品種が白米になったのは奈良時代頃です。「白米」は「しらげのよね」と読み、貴族階級の人が食べていました。古代から明治時代にかけの精米は臼と杵でつくというものでした。この精米の作業には大変な時間と労力がかかるため、庶民は少し精米した分づき米(黒米)に、稗・粟などを混ぜて食べていたようです。なぜ玄米ではなく分つき米なのかというと、臼と杵でつくという精米方法では現代の精米機のようにもみがらをきれいに取り除いた玄米はできなかったと考えられるからです。米に稗や粟をまぜていたのは、米を税として納める必要があり、十分な量がなかったためと考えられます。 猪名川町立ふるさと館 足踏回転式脱穀機④江戸患い=脚気江戸時代、政治が安定したこと、農具が発達したこと(三又に分かれた備中鍬、千歯扱の発明など)、新田開発(17世紀初164万町歩→18世紀初297万町歩)などから米の収穫量が増え、庶民も白米を食べるようになってきました当時、おかずは漬物程度であったとされ、白米を食べるようになったことから、ヌカに含まれるビタミンB1が摂取できなくなり「脚気」になる人が増え「江戸患い」と呼ばれました。 猪名川町立ふるさと館 左は種をまく道具だと思います。よく考えられていますね。⑤地域で異なっていた食生活ただし、地域による差があったようで、戦前は雑穀・芋を主食にしていた人も多く、関東の畑作地帯では麦を7割から8割の麦飯を食べていたようです。東京杉並区では大正時代以前は稗を栽培しており、稗と麦を中心に食べていました。一方、明治の初め秋田県権令島義勇の政府への報告書のなかに、「県民は山間僻地でも白米を食している……」とあります。 猪名川町立ふるさと館 一斗升(左)丸型一斗升(中央)俵締め機(右の輪状のもの)さお秤(手前)八個ならんでいるのはハッチンボウ(俵を編む道具)ある人が、日本人は伝統的に米を食べてきたので、米が体にあっているはずだ。米を食べるべきだとおっしゃっていましたが厳密には、貴族は白米、庶民は黒米や稗・粟などを食べてきた、というべきでしょう。そして白米を食べることによって、ビタミンb1不足を引き起こし、脚気という病気にもなっています。現在の私たちが白米を食べても脚気にならないのは、おかずで栄養を補っているからなんですね。そういうことを考えると、「日本人は伝統的に米を食べてきたので、米が体にあっているはずだ。米を食べるべきだ」というのは少し雑な意見のように思えます。 猪名川町立ふるさと館 脱穀機 猪名川町立ふるさと館 水車 屏風岩
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