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上賀茂神社 烏相撲 『紀名虎&藤原良房の世継ぎ争い』 

※上賀茂神社・・京都府京都市北区上賀茂本山339
※烏相撲・・・9月9日 午前10時より(確認をお願いします。)


上賀茂神社 烏相撲 

上賀茂神社の烏相撲の写真をとるのはokなんですが、子供相撲の写真をインターネットにあげるのは禁止とのことでした。
そこで無謀にも自分でイラストを描いて風景と合成してみたんですが、笑えるほどへたくそな絵ですね~。
見苦しくてすいません!


①重陽ってなあに?

陰陽道ではすべてのものは陰陽両面をもつと考えます。
例えば数字では、奇数は陽、偶数は陰の数字としています。
古代中国では、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は、「陽(月)+陽(日)=陰」になるとして避邪の行事が行われていました。
1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は五節句といわれ、お祝いをしたりしますが、もともとは避邪の行事だったんんですね~。

特に9は一桁の奇数としては一番大きな数であるために「陽の極まった数」と考えられ、「陽の極まった数の重日」ということで「重陽」と呼ばれていました。
日本においても宮中では「観菊の宴」などが開かれ、盛大にお祝いされました。

上賀茂神社 烏相撲 斎王代と神官

烏相撲を見つめる斎王代

②重陽と烏相撲

その重陽の日、上賀茂神社では烏相撲が行われます。
なぜ、重陽の日に相撲が行われるのでしょうか?

①で次のように書きました。
a.陰陽道ではすべてのものは陰陽両面をもつと考える。
b.数字では奇数は陽、偶数は陰。
性別を陰陽で考えると、男性が陽、女性が陰となります。

性別天体光度天気生死
太陽



かつては女相撲などもあったそうですが、上賀茂神社の烏相撲は男(陽)と男(陽)が取り組みを行うというもので、これはまさしく重陽となります。
そういうわけで、重陽の日に烏相撲を行っているのではないかと私は思います。

法輪寺 重陽神事2

法輪寺 重陽神事

虚空蔵法輪寺の重陽神事では菊滋童の舞が奉納されますが、菊滋童は古代中国・周の穆王の寵愛を受けていた少年です。
その菊滋童は穆王の枕を超えた罪で流罪になったという伝説があるのですが、これは穆王と菊滋童がBLの関係にあったということでしょう♥

男である穆王と男である菊滋童が重なるのですから、重陽ですね。

重陽の節句が「菊の節句」と言われるのも、イミシンですね~♥(菊は男色の象徴)

③烏相撲は上賀茂神社の親神である松尾の大山咋神に見せるために行われている。

「烏相撲は上賀茂神社の親神である松尾の大山咋神に見せるために行われている」といわれています。

松尾大社 八朔祭 女神輿

松尾大社



つまり、松尾大社のの御祭神・大山咋神は上賀茂神社の御祭神・別雷命の父神様だということですね。

こんな伝説があります。

ある日川から丹塗りの矢が流れてきました。
玉依姫がこれを持ち帰り、枕元に置いて寝るとやがて妊娠し、別雷命が生まれました。

上賀茂神社の御祭神は別雷命で、下鴨神社の御祭神が玉依姫と賀茂健角身命で、玉依姫と賀茂健角身命は夫婦神とされます。
丹塗り矢の正体は賀茂健角身命といういことですね。

で、この玉依姫の父親が松尾大社のの御祭神・大山咋神だというのですね。

上賀茂神社 八咫烏 

三本脚の八咫烏は賀茂健角身命の神使とされます。

④紀名虎と藤原良房の相撲によるバトル

松尾大社は②でお話しした虚空蔵法輪寺(重陽神事で菊滋童の舞が奉納される。)と近い場所にあります。
松尾大社は秦氏の氏神ですが、虚空蔵法輪寺がある付近にかつては三光明星尊を祀る葛野井宮(かずのいぐう)があり、秦氏は葛野井宮を尋ねてこの地にやってきたと伝わります。
虚空蔵法輪寺は秦氏と関係のある寺である可能性が高いです。

そして、この虚空蔵法輪寺には紀氏の母親を持つ惟喬親王の伝説が伝えられています。

平安時代、この寺に惟喬親王が籠もったとき、虚空蔵菩薩が惟喬親王にうるしの製法を授けたというのです。

「なんで紀氏の母親を持つ惟喬親王?秦氏じゃないの?」って?

秦氏創建と伝えられる伏見稲荷大社はもともと紀氏の神を祀る神社であったのを、秦氏が土地を奪ったといわれ、今でも紀氏の氏神を祀る藤森神社の祭では伏見稲荷大社に乗り込んで「土地返せ、土地返せ」とはやし立てるそうです。
松尾大社・虚空蔵法輪寺のあるあたりも、もともと紀氏の土地だったのが、秦氏に奪われたのかも?

 藤森神社 藤森祭 神輿

藤森神社

もしそうだとしたら、オモシロイことになります。

文徳天皇には紀静子との間に惟喬親王が、藤原明子との間に惟仁親王(清和天皇)がありました。
平家物語などに、紀静子の父・紀名虎と藤原明子の父・藤原良房が、いずれの孫を皇太子にするかで対立し、高僧の祈祷合戦・相撲などを行った結果、藤原良房が勝利したと書かれているのです。

紀名虎は847年に亡くなっており、惟仁親王(清和天皇)が生まれたのが850年なので、これは史実ではなく、フィクションなのですが。

「烏相撲は上賀茂神社の親神である松尾の大山咋神に見せるために行われている」といわれてることを思い出してください。

紀名虎または惟喬親王は、松尾の大山咋神とイメージが重ねられているのではないでしょうか。

つまり、烏相撲は、紀名虎または惟喬親王に、世継ぎを決める相撲で、あなた方は負けたんだよ、ということを思い出させるために行われているのかも?

上賀茂神社 烏相撲 斎王代 
烏相撲を見つめる斎王代

上賀茂神社 烏相撲 鳥居 
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[2018/09/21 17:51] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)