京都市左京区 岡崎神社
2017年5月30日 撮影
岡崎神社
①廣峯神社から八坂神社へ遷座する途中、牛頭天皇が休憩された場所 牛頭天皇(スサノオと習合されている)の総本社はどこでしょうか?
「そりゃー、京都の八坂神社だよ」と答える人が多いと思いますし、八坂神社も牛頭天皇の総本社を称しています。
ところが、兵庫県姫路市の広峰神社(兵庫県姫路市広嶺山52)もまた牛頭天皇の総本宮を称しています。。
広峰神社側の資料には次のようにあります。
①869年疫病が流行り、藤原基経が播磨国の牛頭天皇を都に勧請した。
②京都四条にある元祇園梛神社(京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2)は、この時、牛頭天王の乗る御輿を梛の林中に置いて祭ったことが始まりである。

③京都に着いた牛頭天王は北白川の東光寺に祭られた。
④その後、藤原基経が八坂にあった邸宅を寄進して感神院祇園社を建立し、牛頭天王を遷座した。(現在の八坂神社)
⑤しかし疫病はおさまらず、広峯神社の社人を都に招いて白幣祭を行わせたところ疫病はおさまった。
⑥この白幣祭が祇園御霊会のルーツである。
八坂神社しかし八坂神社は鎌倉時代に入ってから広峯神社が言い出したことだとしているようです。
また神戸の祇園神社、大阪の難波八阪神社、そしてここ京都の岡崎神社などは、神様を廣峯神社から八坂神社へ移した際に神様が休憩された場所と伝わっています。
みなさんはどちらが正しいと思いますか?
岡崎神社
②三女五男八柱神岡崎神社ではスサノオ・クシイナダヒメ・三女五男八柱神をおまつりしています。
スサノオは天照大神にいたずらをした罪で高天原を追放され、葦原中国に天下ります。
そして八岐大蛇を退治してアシナヅチ・テナヅチの娘であるクシイナダヒメを救い、彼女と結婚しました。

貴船神社 貴船祭 出雲神楽 八岐大蛇・スサノオ・クシイナダヒメ 三女五男八柱神とはスサノオ・クシイナダヒメの間に生まれた三柱の女神と五柱の男神の総称です。
ウィキペディアの「岡崎神社」の項目のところに記された「三女五男八柱神」の文字をクリックすると、「アマテラスとスサノオの誓約」の項目に飛びます。
岡崎神社・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BEアマテラスとスサノオの誓約・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%81%AE%E8%AA%93%E7%B4%84なんで「アマテラスとスサノオの誓約」に飛ぶんですかね?
「アマテラスとスサノオの誓約」の項目には天照大神とスサノオが誓約の子産みをして宗像三女神(多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命)と五柱の男神(勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘)を産んだという話が記されています。
三女五男八柱神とは宗像三女神と五柱の男神(勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘)だといいたいのでしょうか?
ですが、これらの神々は天照大神とスサノオの間に生まれた神々で、スサノオとクシイナダヒメの間に生まれた神々ではないはずです。
八坂神社の項目には御祭神としてスサノオ・クシイナダヒメ・八柱御子神(八島篠見神・五十猛神・大屋比売神・抓津売神・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命)と神名があげられています。
三女五男八柱神ってこの八柱御子神のことなんじゃないの?と一瞬思いますが、八島篠見神・五十猛神・大屋毘古神が男神大歳神・大屋比売神・抓津売神・宇迦之御魂神・須勢理毘売命が女神のようです。
※大歳神は多くの神々の父親ともされますが、陰陽家では大歳神を頗梨采女のことだとしているそうです。
女神が五柱、男神が三柱なので、三女五男八柱神だとはいえないですね。
元祇園社を称しているもうひとつの神社・広峰神社の御祭神はどうなっているんでしょうか?
正殿・・・スサノオ・五十猛命
左殿・・・クシイナダヒメ・アシナヅチ・テナヅチ
右殿・・・宗像三女神・天忍穂耳命・天穂日命ほか
となっていて、八坂神社や岡崎神社の御祭神とは異なっています。
うーん?
神社名 | 夫婦 | |
| 天照大神&スサノオ | 宗像三女神 多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命 五柱の男神 勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘
|
八坂神社 | スサノオ&クシイナダヒメ | 八柱御子神 八島篠見神・五十猛神・大屋毘古神 大屋比売神・抓津売神・大年神・宇迦之御魂神・・須勢理毘売命
|
岡崎神社 | スサノオ&クシイナダヒメ | 三女五男八柱神 |

八坂神社 西楼門
③日本の神は性別がルーズ
八坂神社の八柱御子神は男神三柱、女神五柱、一方岡崎神社の三女五男八柱神は女神が三柱、男神が五柱で男女の数が逆になっています。
ですが、日本の神は性別がルーズです。
上表では一応大歳神は陰陽家の考えに従って女神としましたが、多くの神々の父神ともされていて、性別が大変ルーズです。
また亀岡祭では、一般には女神とされている宇迦之御魂神は男神でしたし、男神とされている三輪明神は女神でした。
聖徳太子が女に生まれ変わって親鸞の妻になろうといったという伝説もあります。
ですから、岡崎神社の三女五男八柱神は、八坂神社の八柱御子神の性別がすべて逆になったものとも考えられます。
八坂神社 舞殿
④天照大神とクシイナダヒメは同一神?
ウィキペディアが「三女五男八柱神」のリンクを、「アマテラスとスサノオの誓約」にはっているのは、天照大神とスサノオの誓約によって生まれた八柱の神々と、岡崎神社の三女五男八柱神を混同したのかもしれません。
ですが、案外、間違いとも言い切れないかも?
というのは天照大神とクシイナダヒメは同一神であるとも考えられるからです。
スサノオの妻には神大市比賣命もいますが、この神大市比賣命の『大市』という言葉には聞き覚えがあります。
日本書紀に次のように記されています。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となったが、大物主神は昼は姿を見せず、夜になるとやって来た。
倭迹迹日百襲姫命は次のように言った。
『あなたは夜にしかいらっしゃらないので、お顔を見ることができません。今日はもうちょっと留まってお顔を見せて下さい。』
大物主神は『明日の朝はあなたの櫛函に入っていよう。しかし私の形を見て驚かないように。』といった。
朝になって、倭迹迹日百襲姫命は函を開けた。そこには麗しい小蛇がいた。
倭迹迹日百襲姫命は驚いて叫んだ。
大物主神は、『驚くなと言ったのに、私に恥をかかせたな。今度はお前に恥をかかしてやる。』と言って、大物主神は空を舞い三輪山を登っていった。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神が去る姿を仰ぎ見て悔い、座り込んだ拍子に、箸で陰部をついて死んでしまった。
こうして倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られ、墓は箸墓と呼ばれている。
箸墓古墳
倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られています。
神大市比賣命とは大市に葬らた神という意味ではないでしょうか。
とすれば神大市比賣命とは倭迹迹日百襲姫命のことだということになりますね。
また、籠神社で発見された系図に、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』、『またの名を神大市姫命』、『日神ともいう』と記されています。
籠神社の系図も神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命となって整合性がとれます。
籠神社
そして籠神社の系図に記されている、日女命・日神とは天照大神のことだと思われます。
神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命=日女命=天照大神
上の例のように、記紀は一柱の神に複数の名前をつけているのではないかと思えるフシがあります。
なので、クシイナダヒメとは天照大神の別名であり、スサノオ&クシイナダヒメの間に生まれた三女五男八柱神と、
スサノオ&天照大神の間に生まれた宗像三女神+五柱の男神は同一神ではないかとも思えるわけです。
岡崎神社
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[2018/06/06 10:10]
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