間人 屏風岩 立石  『間人の鳴き砂は間人皇后の泣き声?』 


京都府京丹後市丹後町 屏風岩 立石
2018年4月下旬 撮影


間人 間人皇后と聖徳太子像2

間人 間人皇后 聖徳太子像

①聖徳太子の母君・間人皇后にちなむ地名

間人と書いて「たいざ」と読みます。
超難読地名ですね。

間人という地名は承平年間(931~938年)に編集された和名類聚抄にも記されている古い地名で
地名の由来について、次のような伝説が伝えられています。


587年、崇仏派の蘇我氏vs排仏派の物部氏が争いました。(丁未の乱/ていびのらん)
その際、間人皇后は争乱を避けてこの地を訪れ、村人たちは皇后を厚くもてなしました。
間人皇后は都に戻る際、土地に自分の名前をおくりました。
村人たちは皇后と同じ名前であることを憚って、皇后が退座したこといちなんで、間人を「たいざ」と呼ぶようになりました。

間人 立石 屏風岩 
立岩 屏風岩

②立岩・屏風岩

間人には立岩・屏風岩があります。
太古の火山の痕跡だそうですよ。

 聖徳太子の弟の麻呂子親王が、立岩 に鬼を閉じ込めたという伝説があります。

麻呂子親王は603年に征新羅将軍に任命されて新羅へ向かいましたが、途中明石で妻が亡くなったため、引き返しています。
しかし、事実に反して麻呂子親王が新羅を責めたと考えられていたのかもしれません。
麻呂子親王が立岩に封じ込めた鬼とは新羅の人々の霊なのかもしれませんね。

間人 立石 屏風岩 説明版

立岩 屏風岩 説明版

③麻呂子親王=当麻皇子

聖徳太子の弟の麻呂子親王といっても、麻呂子親王の母親は間人皇后ではなく葛城広子または葛城伊比古郎女とされます。
麻呂子親王は聖徳太子の異母弟なんですね~。
麻呂子親王は別名を当麻皇子ともいい、當麻寺を創建した人物といわれています。

當麻寺 蓮華草 

當麻寺

④當麻(たいま)と間人(たいざ)

當麻寺は付近に住む豪族・當麻氏の氏寺として創建されたとも伝わります。
麻呂子親王(当麻親王)は、當麻氏の祖ともされています。

もしかして、間人(たいざ)という地名も當麻(たいま)からくる地名で、當麻氏が住んでいた場所だったりしないでしょうか?

間人付近 
間人付近

⑤間人もあった鳴き砂

この付近では琴引浜の鳴き砂が有名なのですが、もしかして間人にも鳴き砂があるのではないか?
そう思って調べたところ、やっぱり間人にも鳴き砂のビーチがありました。
http://www.sumihei.com/topics/?p=960
http://orenostyle2011.blog.fc2.com/blog-entry-73.html
上記ブログに、間人にある砂方海水浴場も鳴き砂だと書いてあります。

間人付近 夕景 
間人付近 夕景

⑥石川県琴ヶ浜の鳴き砂はお小夜の鳴き声

私が間人にも鳴き砂があるのではないかと考えた理由をお話しします。

石川県の琴ヶ浜も鳴き砂で、次のような伝説があります。

猟師の重蔵が水死し、恋人のお小夜は悲しむあまり、海に入って死んでしまいました。
琴が浜を歩くときゅっきゅっと音がするのはお小夜の泣き声だといわれています。
参照/輪島ふらっと訪夢 御陣乗太鼓 『男幽霊(土左衛門)は重蔵だった?』  

間人に近い琴引浜には鳴き砂がありますし、間人にも鳴き砂があります。
この鳴き砂の音が間人皇后の泣き声だと考えられた結果、①の伝説が作られたのではないかと思ったのです。

お小夜と間人皇后は習合されているのではないでしょうか。

間人 落日 

⑦御霊・和魂・荒魂

神はその表れ方で、御霊・和魂・荒魂の三つに分けられ、男神は荒魂、女神は和魂を表すとする説があります。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

お小夜は和魂で、お小夜の恋人の重蔵は荒魂だと思います。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・お小夜
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・重蔵


お雛様とお内裏様も女神と男神のペアになっていますね。
すると、お小夜の恋人の重蔵と、間人皇后の夫・用明天皇は習合されているのでしょうか?

そうではなく、重蔵と習合されているのは聖徳太子だと私は考えます。

聖徳太子は用明天皇と間人皇后の間に生まれた皇子で、間人皇后とは親子の関係になります。
ですが、夫婦ではなく、母親を和魂、息子を荒魂と合わせた例もありそうです。

さきほど、お雛様とお内裏さまの話をしましたが、淡嶋神社の御守雛は、普通のお雛様&お内裏のペアとは異なり、男装をした神功皇后(母)と、赤ん坊の少彦名神(子)のペアとなっています。

http://www.geocities.jp/seijiishizawa/NewFiles/hina-okuri.html
↑ こちらのページの一番下に淡嶋神社の御守雛の写真があります。

間人の人々は砂方の浜の鳴き砂を、我が子・聖徳太子の身の上を心配して泣く間人皇后の声だと考えたのではないでしょうか。
(聖徳太子は丁未の乱で、蘇我側に参戦していました。)

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・お小夜・・・間人皇后
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・重蔵・・・・聖徳太子


間人 間人皇后と聖徳太子像 
間人 間人皇后 聖徳太子像


※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!





にほんブログ村    


関連記事
スポンサーサイト

[2018/05/04 01:23] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)