大阪府寝屋川市 寝屋川 寝屋長者屋敷跡 山根街道 寝屋神社
2018年4月下旬 撮影
寝屋川 京阪寝屋川市駅付近
①寝屋長者と鉢かづき姫伝説(河州交野郡寝屋長者鉢記)
『河州交野郡(かしゅうかたのごおり)寝屋長者鉢記(ねやちょうじゃはちき)』という書物に次のような物語が記されています。
寝屋長者屋敷跡 説明版より弘安2年(1279年)、河内国片野郡に藤原実高という大長者が住んでいました。
実方には津の国海の里の芦屋長太夫の娘・照見という妻がいました。
照美はなかなか身籠りませんでしたが、長谷寺観音に祈願したところ、ある夜「娘を授けるが、鉄鉢を娘の頭に被せよ」という夢告がありました。
夢告とおり、照見は娘を出産し、初瀬姫と名付けました。
芦屋長太夫の甥・鳴海太郎が悪事を行ったため、芦屋家は貧乏になり、芦屋長者は亡くなってしまいました。
照見も病を患い、初瀬姫は母の病回復祈願のため長谷寺を参拝しました。
すると「母はまもなく往生するだろう」と夢告げがありました。
照見は初瀬姫のは頭に鉢をかぶせてなくなりましたが、鉢は初瀬姫の頭からとれなくなってしまいました。
寝屋川 京阪寝屋川市駅付近 鉢かづき姫は合成
浅路という女性が実高の後妻として嫁いできました。
浅路は実娘のお腎をかわいがり、初瀬姫をかたわ者として嫌い、家を追い出してしまいます。
打上村四辻まで連れ出されたあと、初瀬姫はひとりにされ、八幡までやってきて淀川に身をなげました。
しかしすぐに救助され、淀付近をさまよいました。
藤原山蔭は石清水八幡宮参詣の帰りに初瀬姫と会い、館に連れ帰りました。
浅路は弟作兵衛と手代権九朗に命じて初瀬姫を殺させました。
権九朗は姫の首をもっていましたが、重くなったので淀川に破棄しました。
しかしその首は姫の首ではなく、照見と初瀬姫が信仰していた地蔵尊の首でした。
長谷寺の乳母おこんの夢の中に照見があらわれ、初瀬姫が無事であることをつげました。
後年、おこんは長者となりました。
初瀬姫は山蔭邸の湯殿役として働いているうちに、山蔭の四男・宰相と相思相愛となり契りを結びました。
宰相の母君はふたりの関係を快く思わず、宰相の兄嫁3人と嫁比べをして二人の仲を裂こうとしました。
宰相と初瀬姫は駆け落ちしようとしますが、その時姫の鉢がとれました。
そして鉢から着物や宝物が出、鉢は南の空へ舞い上がって消えました。
嫁比べでは初瀬姫の容姿が美しく、管弦・和歌・書道も秀でていました。
こうして、宰相と初瀬姫は結婚し、宰相は家督相続し、竹の御所に住みました。
実高は妻・浅路のせいでおちぶれ、修行者となり、浅路は路頭に迷います。
初瀬姫は母の供養のため長谷寺に参詣し、父・実高とめぐりあいます。
寝屋長者屋敷跡付近にある山根街道 鉢かづき姫は合成②登場人物は実在した?初瀬姫を屋敷に連れ帰った藤原山蔭は実在した人物です。
総持寺(大阪府茨木)や吉田神社(京都市左京区)を創建した人物ですよ。
ですが、年代があいません。
『河州交野郡寝屋長者鉢記』はこの物語を弘安2年(1279年)のこととしていますが、藤原山蔭の生没年は824年~888年です。(笑)
藤原実高という人物も実在の人物ではないかと思います。
寝屋川市には藤原実高の屋敷跡(1659年ごろまでは現存していたといわれます)がありますし、その近くには堀之内(屋敷の周囲に堀がめぐらされていたのだでしょう)・金門(かなかど/金箔をはった門?)・車司(くるもうじ/牛車用の牛を飼育する人々が生活していた場所)などの地名が残っています。
ですが前妻・照見、後妻・浅路、初瀬姫が実在したのかどうかはわかりません。
藤原山蔭の四男・宰相は実在したのでしょうか?
山蔭には有頼・公利・逐長・言行・兼三・中正・如無の5人の息子と3人の娘ががいます。
宰相とは参議を唐風に言ったものだと思いますが、山蔭の子供のうち参議になった者がいたのかどうか、調べてみましたがわかりませんでした。
寝屋長者屋敷跡付近にある山根街道 鉢かづき姫は合成③空飛ぶ鉢は空飛ぶドクロ?
「鉢が開く」「鉢巻き」「鉢合わせ」など頭のことを鉢ということがあります。
私は鉢かづき姫があたまにかぶっている鉢とはドクロを比喩的にいったものではないかと思います。
平将門の首が飛んだという伝説がありますね。
で、信貴山縁起絵巻には鉢を飛ばすという話があります。
命蓮法師が托鉢のために飛ばした鉢が、長者のところに頻繁にやってくるようになったので、長者はこれに腹を立てて鉢を米蔵に閉じこめました。
すると鉢は倉から飛び出して倉をのせて信貴山に飛び去りました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/Sigisanengi_tobikura.jpg よりお借りしました。
作者 English: unknown 日本語: 作者不詳 (不明) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由でこの物語に登場する空飛ぶ鉢とは平将門の首のような空飛ぶドクロのことであり、鉢かづき姫は頭にドクロを乗せた姫の話ではないかと思うのです。
④川を流れる鉢=川を流れるドクロ?
平安時代、浄蔵という修験者が桂川に鉢を落としたという話もあります。
浄蔵所は吉野山大峰山で修行を終えて帰ろうとしていたところ、蔵王権現が現れて「連れて帰ってほしい」とおっしゃったので、浄蔵は蔵王権現を背負って帰りました。
途中、浄蔵は桂川に鉢を落としてしまいました。
その鉢が流れ着いた場所で蔵王権現は動かなくなったので浄蔵はそこに寺を建てました。
それが蔵王堂光福寺だと伝わっています。 浄蔵が桂川に落とした鉢もドクロの比喩ではないでしょうか?
そして鉢かづき姫は淀川に身を投げていますが、鉢かづき姫が頭にかぶった鉢とはドクロであり、ドクロが川を流れていくという話であるようにも思えます。
また、鉢かづき姫のドクロだと思っていたものが実は地蔵のドクロだったという話も、鉢とはドクロの比喩であることを示しているように思えます。
寝屋川 京阪寝屋川市駅付近⑤𠮷野の神はドクロの神?④でお話しした浄蔵が修行していた奈良県吉野山の金峯山寺に蔵王堂があり、蔵王権現を祀っています。
浄蔵が創建した寺が蔵王堂光福寺という寺名なのは、吉野の蔵王堂からつけたのでしょう。
吉野の蔵王堂では7月7日に蛙飛行事を行っています。

吉野山にある金峯山寺の塔頭に竜王院(脳天大神)があり、頭の神様として信仰されています。
その脳天大神には狛犬ならぬ狛蛙が置かれています。
↑ 飛鳥の亀石は亀ではなく蛙ではないかともいわれていますが、亀や蛙よりももっと妖怪・ぬらりひょんに似ています。
↑ 上は京都の大将軍商店街(妖怪ストリート)に置かれてあった妖怪・ぬらりひょんの人形ですが、眉間に皺があるところまで亀石にそっくりです。
飛鳥の亀石はドクロを象ったものであり、蔵王堂で蛙飛行事を行ったり、龍王院(脳天大神)に狛蛙が置かれているのは、蛙が人間の頭蓋骨=ドクロに似ているためではないでしょうか。
そして信貴山縁起絵巻の飛行する鉢や、浄蔵が桂川に落とした鉢、そして鉢はづき姫が頭にかぶっている鉢はドクロの比喩のように思えるのです。
寝屋川 京阪寝屋川市駅付近
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[2018/04/30 14:38]
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