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子安地蔵寺 藤 『桓武天皇、天然痘大流行の年に産まれる。』 

和歌山県橋本市 子安地蔵寺
2018年4月22日


子安地蔵寺 藤5

①737年、天然痘大流行

737年、行基が地蔵菩薩を刻み、女人安産守護のため安置したのが子安地蔵寺の創建と伝わります。

737年はおそろしい年だったんですよ~。
天然痘が流行りましてね、藤原不比等の四人の息子・武智麻呂・房前・馬界・麻呂(藤原四兄弟)が相次いで亡くなってしまったのです~。
そして「藤原四兄弟の死は長屋王の怨霊の仕業にちがいない!」と噂されたのです。

子安地蔵寺 藤4 (3)  

②長屋王の変


720年、右大臣・藤原不比等が薨去したのち、721年に長屋王(祖父/天武天皇 父/高市皇子)が右大臣となって政権を握りました。
724年に聖武天皇が即位すると長屋王は左大臣となりました。

729年、漆部君足と中臣宮処東人が「長屋王はこっそりと左道を学んで国家を傾けようとしている!」と密告しました。
厳しい取り調べに耐え切れず、長屋王は自殺してしまいました。
これを長屋王の変といいます。
長屋王が国家を傾けようとしている、というのは事実ではなく、藤原氏の陰謀だと考えられています。
のちの738年には長屋王に仕えていた大伴子虫が、「中臣宮処東人がありもしないことをでっちあげて長屋王を自殺に追い込んだ」として
中臣宮処東人を殺す事件もおきています。

ところが政権を手中にした藤原四兄弟が天然痘の流行で次々に死んでしまったので「長屋王の祟りじゃ~!」と騒がれたわけですね。

子安地蔵寺 藤3

③光明皇后の前に現れた長屋王の怨霊

光明皇后にはこんな伝説がありますよ。

光明皇后は法華寺に浴室を建立し、千人の民の汚れを洗い流そうと願を立てました。
千人目は膿のある病人で、病人は皇后に『膿を口で吸い出してほしい』と頼みましだ。
皇后が病人の膿に唇を近づけたとたん、病人は阿閦如来になりました。


法華寺 山茱萸 

光明皇后の千人風呂伝説が伝わる奈良・法華寺の浴室(からぶろ)


膿のある病人とは天然痘のことだと思います。
で、貧乏神はいかにも貧乏そうな姿をしていますね。
天然痘をはやらせる神は天然痘を患った姿をしていると考えられていたのではないでしょうか。

そう、この伝説に登場する天然痘を患った病人とは長屋王の霊ではないかと思うのです。
光明皇后は長屋王の怨霊に殺された藤原四兄弟の妹です。
「次は私が長屋王の怨霊に殺されるかもしれない」という恐怖を、光明皇后は持っていたことでしょう。
そして作者は誰かかわりませんが、光明皇后の気休めのための物語を創作したのですね。
長屋王の怨霊は天然痘をまき散らして人々に祟るのをやめ、成仏して阿閦如来になったという。

病人とは天然痘のことだと思います。
で、貧乏神はいかにも貧乏そうな姿をしていますね。
天然痘をはやらせる神は天然痘を患った姿をしていると考えられていたのではないでしょうか。

子安地蔵寺 池と藤

④長屋王の怨霊、行基の前にも現れる!

行基にも光明皇后と同じような伝説がありますよ。

行基は旅の途中で出会った病人を有馬温泉に連れていきました。
病人は「温泉では私の皮膚病は治らないので、舐めてくれないか」と行基に頼みました。
行基はためらうことなく、膿んで異臭のする病人の肌を舐めました。
すると病人の肌は金色に輝いて薬師如来になりました。


ほとんど光明皇后と同じ伝説ということは、行基が出会った病人も長屋王の怨霊だと思われます。
737年に行基が創建した子安地蔵寺は長屋王の慰霊を目的として作られたものなのかもしれませんね。

子安地蔵寺 藤4 (1)

⑤737年、桓武天皇誕生

737年は桓武天皇が誕生した年でもあります。
桓武天皇は天然痘が大流行している中で生まれたのですね。
桓武天皇の父親・光仁天皇は高野新笠の出産をそれは心配したことでしょう。
それで行基に子安地蔵寺の創建を命じたのかも・・・・
行基は女人安産守護の寺として子安地蔵寺を創建したのではないでしょうか?


子安地蔵寺 小手毬 躑躅 



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