矢合神社 しだれ桜 『神武東征はニギハヤヒ東征だった?』 


滋賀県長浜市 矢合神社
2018年4月中旬 撮影

矢合神社 鳥居 桜

①猿田彦=応神天皇?

矢合神社の御祭神は猿田彦神・応神天皇です。
このうち応神天皇は明治43年に近所にあった 八幡神社を合併して御祭神となったようです。

なので矢合神社のもともとの御祭神は猿田彦神ということになりますが
明治に八幡神社を合併したころ、人々は猿田彦神と応神天皇は同一神であるという認識があって合併したのかも?
と思ったりします。

矢合神社 桜2

②猿田彦=ニギハヤヒ?

猿田彦神は記紀に「高天原から葦原中国までを照らす神」と記されていますが
「高天原から葦原中国までを照らす神」にぴったりな神名を持つ神がいます。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)です。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という神名は先代旧事本紀に記述されているもので、記紀では単にニギハヤヒとなっています。

ニギハヤヒは物部氏の祖神で、初代神武天皇が日向より東征して畿内入りする以前より、畿内に天下っていたと記紀(古事記・日本書紀)には記されています。
ここから神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説があり、私はこれを支持しています。

記紀が記されたのは奈良時代ですが、このときあえて天皇家にとって都合の悪いこと(神武以前ニギハヤヒが天下っていたこと)を書いたのはなぜでしょうか。
それは、このとき、天皇家以前に物部王朝があったということは周知の事実であったからではないかという説があります。
妥当な見方だと思うんですが、どうでしょうか?

そしてニギハヤヒを神と奉じる長髄彦という者がいて、神武に「天孫はニギハヤヒだ。あなたは天孫だというが、それは嘘だ」と言いました。
このとき、ニギハヤヒが長髄彦を殺したと記紀は記します。
ニギハヤヒは自分が天孫であるのに、自分を神としたう長髄彦を殺してまで、神武に皇位を譲ったとよめますね。

一方、猿田彦は、神武の先祖で天照大神の孫のニニギを高天原から葦原中国まで道案内したとされます。
猿田彦は天照大神の孫・ニニギが天下る手助けをし、ニギハヤヒは天照大神の6代目の孫・神武が畿内で即位する手助けをしています。

猿田彦がニニギを高天原から葦原中国まで案内したというのは、ニギハヤヒが神武に皇位を譲ったということを神代の物語として描いたもののように思えるのです。

矢合神社 手水 しだれ桜

③応神天皇は伊奢沙和気大神に皇位を譲った?

明治43年に合祀された応神天皇についてですが、記紀は応神天皇が伊奢沙和気大神と名前を交換したという物語を記しています。
名前を交換するということは、応神天皇が伊奢沙和気大神に皇位を譲った話であるようにも思えます。

猿田彦=ニギハヤヒ・・・神武に皇位を譲った。
応神天皇・・・・・・・・伊奢沙和気大神に皇位を譲った。

こういう共通点から、猿田彦神と応神天皇は同一視され、その結果明治43年に矢合神社(祭神/サルタヒコ)と八幡神社(御祭神/応神天皇)は合併されたのかも?

矢合神社 馬の像 しだれ桜

④伊奢沙和気大神は朝鮮の神?

応神天皇と名前を交換した伊奢沙和気大神とは福井県敦賀市にある気比神宮の神です。
気比神宮の摂社に角鹿(つぬが)神社があり、ツヌガアラシトを祀っています。

ツヌガアラシトは祟神58年(紀元前40年)に朝鮮半島から日本にやってきて、崇神天皇に5年仕えたとされる人です。
帰国の際、崇神天皇はツヌガアラシトの国に任那という国号を与えたとされます。

このツヌガアラシトを祀る角鹿神社が気比神宮の摂社ということは、気比神宮の御祭神・伊奢沙和気大神もまた朝鮮半島からやってきた人なのでは?

朝鮮半島から船を出すと対馬海流にのって、北九州・出雲・敦賀あたりにつくと言われていますし。

ということは応神天皇は朝鮮半島からやってきた神様と名前を交換したということなのかな?

四天王寺ワッソ 5 
四天王寺ワッソ ツヌガアラシト 角がある人、という意味みたいですね。


⑤神武=応神=伊奢沙和気大神?

応神天皇は九州で生まれ、その後畿内入りするのですが、この畿内入りルートが神武東征ルートと重なるので、応神と神武は同一人物ではないかとする説があります。

そして応神天皇は伊奢沙和気大神と名前を交換しています。
神武=応神=伊奢沙和気大神

初代神武天皇以前、畿内に天下っていたニギハヤヒは物部氏の祖神でしたね。

もしかして、ですが 
神武東征は実は神武の話ではなく、ニギハヤヒの東征だったりしないでしょうか?

⑥神武の故郷の人々・隼人が朝廷に反抗するという矛盾


神武の故郷は日向とされますが、このあたりに住む人々は隼人と呼ばれ、たびたび朝廷に反抗しています。
神武と同郷の隼人が朝廷に反抗するって変じゃないですか?
日向に住んでいたのは実はニギハヤヒだったとしたら、ニギハヤヒの子孫が朝廷に反抗するのは当然のことのように思えます。

そしてすでに述べたように応神=神武と考えられるわけですが、応神天皇は渡来人の神の可能性が高い伊奢沙和気大神と名前を交換しています。
神武は本当は対馬海流に乗って朝鮮半島から敦賀にやってきた渡来人の伊奢沙和気大神であったのが、物部氏の神・応神天皇と名前を交換して大和朝廷の支配者になったんだったりして?

矢合神社 桜 

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[2018/04/13 23:07] 滋賀 | トラックバック(-) | コメント(-)