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友呂岐神社 八重桜 水面回廊 桜 『友呂岐神社の布袋像はキリスト像?』 

大阪府寝屋川市 友呂岐神社 水面回廊
2018年4月初旬 撮影

水面回廊 桜 
水面回廊(寝屋川市から枚方市にかけて続く遊歩道。これは枚方市)


①茨田堤

第16代・仁徳天皇は淀川に茨田堤(まむたのつつみ)を築いたとされます。

↓ これは大阪府門真市の堤根神社境内にある茨田堤跡です。

茨田堤 

茨田堤跡(門真市)

②人柱

茨田堤の中で、どうしても決壊してしまう場所が2か所ありました。
そんなとき仁徳天皇の夢の中に神様があらわれ「武蔵のコワクビ(強頸)と河内の人の茨田連衫子(まむたのむらじころもこ)を人柱にすれば工事は成功するだろう」と告げました。
そこでこの二人が人柱にされることになりました。

③沈まなかったヒョウタン

コワクビは泣きながら川の中に入って没しました。
工事は成功しコワクビの断間(こわくびのたえま)と呼ばれました。

コロモコはヒョウタンを川に投げ入れ、「神よ、このヒョウタンを沈めてみよ。沈めることができなければ偽りの神だ。」と言いました。
ヒョウタンは沈まず、コロモコは人柱にならずに済みました。
コロモコは人柱になりませんでしたが工事は成功し、コロモコの断間(ころもこのたえま)と呼ばれました。

大阪府寝屋川市太間(たいま)町 の地名の由来はコロモコの断間からくるといわれ、淀川の堤防に茨田堤の石碑が建てられています。

太間 茨田堤 石碑 
茨田堤の石碑(寝屋川市太間町)

説明板には次のように記されています。

茨田堤

日本書紀に茨田堤の築造は仁徳天皇十一年とあり、これは河川堤として本邦最初のものである。築造は難工事で、強頚継間、衣子断門の伝説がよくそれを語っている。
当時淀川は水量も多く、平流れに広い土地を河道としていいたか、それを二流に分け、その間に農地を確保したのが茨田堤で、一は現在とあまり変わらず西南流し、一は南流して生駒山の西辺で大和川と合していた。その分岐点がこの碑の建つあたりと考えられる。
また土佐日記でいう「わたの泊りの分れの所」もこの地点としてよいだろう。

寝屋川市 水面回廊 
寝屋川市太間町 茨田堤の石碑近くの水面回廊の桜

④コロモコは秦氏だった?

コロモコは「ヒョウタンを沈めることができなければ偽りの神だ」といい、ヒョウタンは沈まなかったので人柱を欲していたのは偽りの神だったということになります。

そのため、コロモコは人柱になりませんでしたが、それでも工事は成功しています。
なぜ工事は成功したのでしょうか?

それはもちろん神の力によるものではなく、治水工事の技術力の成果でしょうね。
で、治水工事といえば思い出すのが秦氏です。

京都桂川の一ノ井堰(葛野大堰)は5世紀ごろに渡来人の秦氏によって築かれたとされます。

コロモコは秦氏だったのではないかと思うのです。

一ノ井堰 
一ノ井堰

⑥コロモコを祀る友呂岐神社と秦河勝の墓

コロモコは治水工事技術に優れた秦氏だったのではないか、と唐突に言っても「ふーん、そうかもね~」と思われるだけですよね。

でも、私がコロモコが秦氏だったと考えるのは、他にも理由があるんです。

大阪府寝屋川市に仁徳天皇とコロモコ、菅原道真を祀る友呂岐神社があります。

友呂岐神社 八重桜  
友呂岐神社

友呂岐神社は、仁徳天皇が茨田の屯倉を置き、皇室の別荘が営まれた所とされます。
コロモコも祀られているところをみると、コロモコはこのあたりに住んでいた人なのではないでしょうか。

そしてこの友呂岐神社の近くには太秦という地名もあります。
太秦といえば京都の太秦が有名ですが、太秦にある広隆寺は秦氏の氏寺ですね。

さらに友呂岐神社の近くには川勝町という地名もあり、秦河勝の墓もあります。

秦河勝の墓 

秦河勝の墓


そういった所から、このあたりは秦氏が住んでいたところではないかと私は考えているのです。

⑦コロモコが信仰していた本当の神とは


秦氏はクリスチャンだという説がありますね。

秦氏の氏寺・広隆寺は別名を太秦寺といいますが、中国ではネストリウス派キリスト教寺院のことを大秦寺といいました。
太秦寺と大秦寺は点があるかないかの違いしかありません。

また広隆寺(太秦寺)に隣接する大酒神社はかつては大闢神社といったそうですが、大闢とはダビデの漢語訳なのです。

大酒神社

大酒神社

コロモコが信仰していた本当の神とはキリストだったのかも?

⑧布袋と弥勒菩薩、キリストの関係

そんなことを考えながら、友呂岐神社境内を散策していると、でっぷりしたおなかの布袋さんがいました。

友呂岐神社 布袋 
友呂岐神社 布袋像

布袋さんは七福神の一ですが、ほかの七福神のメンバー(蛭子・大黒・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人)はいませんでした。
どうも友呂岐神社では布袋さんを単独でお祭りしているようですね。

布袋は弥勒菩薩の化身といわれています。
そして秦氏の氏寺の広隆寺には有名な国宝第一号の弥勒菩薩があります。

Maitreya Koryuji

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Maitreya_Koryuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。
 
作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭 English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


台に注目! なんとヒョウタンの形になっていますよ。


⑨布袋=弥勒菩薩=キリスト?

弥勒菩薩はミトラ教のミトラ神からくると言われますが、キリスト教もまたミトラ教の影響を受けています。
キリストの誕生日は聖書に記述がなく、ミトラ教の冬至祭をキリスト教がとりいれたと考えられています。
弥勒菩薩=ミトラ神=キリスト?


一方、ミトラ神は太陽神です。
かつて歳差運動の影響で、北半球でも空の低い位置に南十字星が見えていたそうです。
そして冬至に向かっていく太陽の南中高度は南十字星の位置に近づいていき、冬至から3日目に再び南中高度をあげていきます。
キリストは太陽神であり、十字架にかけられて死んだというのは、冬至の太陽が南十字星の位置に近づくことを、キリストが3日後に復活したというのは、冬至から3日後の太陽が再び南中高度をあげていくことの比喩だとする説があります。

弥勒菩薩は56億7000万年後に復活するほとけ、そして布袋は死後に姿をみかけられています。これは生き返ったということでしょう。

友呂岐神社は秦氏の神を祀る神社で、布袋は東洋版イエス・キリストだったりして?

広隆寺  
広隆寺



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[2018/04/11 11:53] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)