京都市北区 平野神社
桜花祭 4月10日
①百済の神を祭る神社平野神社の御祭神は今木神・久度神・古開神・比売神の4柱です。
もともとの御祭神は今木神・久度神・古開神の3柱でしたが、9世紀に比売神をあわせてまつるようになったそうです。
今木神・久度神・古開神って聞いたことのない神様たちですね。どんな神様なのでしょうか?
実は今木神は聖明王、久度神は仇首(きゅうしゅ)王、古開王は沸流王のことなのだそうです。
聖明王とは百済第26代の王(? ~554年)、仇首王(?~- 234年)。
沸流王は百済の開祖・温祚王の兄です。異伝によれば、沸流王が百済の開祖であるともいいますが。
今木神はもともとは大和国で、桓武天皇生母の高野新笠の祖神として祀られていたみたいですね。
782年には平城京の田村後宮で祀られていたようです。
高野新笠は百済系氏族の和(やまと)氏の女性だったのですね~。
平安京遷都に伴ってこの今木神を大内裏からほど近い場所に祀ったのが平野神社の創建とされます。
②今木の双墓
今木神と聞いて、私が頭に思い浮かべるのは今木の双墓です。
日本書紀によれば、蘇我蝦夷と入鹿は生前に今来の土地に双墓をつくったとあります。
奈良県御所市に今来という地名があり、大字古瀬小字ウエ山に隣り合って存在する水泥古墳と泥塚穴古墳が蝦夷、入鹿の双墓ではないかと言われていますが、時代があわないとの指摘もあります。
③今木の双墓はどこにある?黒岩重吾さんは蘇我蝦夷・入鹿の墓、今木の双墓は梅山古墳(現・欽明天皇陵)ではないかとしておられます。
現在の梅山古墳が前方後円墳になっているのは江戸時代に改修されたためで、それ以前の絵には双円墳が描かれているというのです。
黒岩さんが見た絵と同じかどうかわかりませんが、こちらのサイトの下に古い欽明天皇陵を描いた絵が掲載されています。 →
☆
上から見下ろした絵なら古墳の形がはっきりわかりますが、横から見た絵なので古墳の形がはっきりわかりません。
双円墳のようにも、崩れた前方後円墳のようにも見えます。
私は今木の双墓とは飛鳥にある鬼の俎・鬼の雪隠(1基の石室とする説もありますが、2基の石室とする説もあります。)もしくは高松塚古墳・キトラ古墳ではないかと考えていますが~
飛鳥の彼岸花 と 鬼の雪隠(せっちん)・鬼の俎(まないた) 『暴かれた古墳』
④蘇我蝦夷・入鹿は今木神(聖明王)を信仰していた?それはさておき、なぜ蘇我蝦夷・入鹿はなぜ今木に双墓をつくったのでしょうか。
それは今木が今木神を祀る土地であったからではないかと思います。
蘇我氏は崇仏派でした。
そして仏教伝来は552年または538年、百済の聖明王が伝えたとされています。
崇物派の蘇我氏にとって日本に仏教を伝えた聖明王は聖人であったことでしょう。
今木神とは聖明王のことでしたね。
蘇我蝦夷・入鹿は崇拝する今木神のもとで永眠したいと考えたのではないでしょうか。
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[2018/04/03 11:00]
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