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月ヶ瀬梅林 『烏梅の製法を伝えた姫若の正体とは?』 

月ヶ瀬湖 梅2

奈良市月ヶ瀬尾山 月ヶ瀬梅林
2018年3月下旬撮影

月ヶ瀬湖 梅  
①烏梅

月ヶ瀬梅林の梅は現在ではその多くが食用とされていますが、かつては梅の実を用いて烏梅(うばい)を作っていたそうです。
烏梅とは若い梅の実にススをまぶして燻製にし、乾燥させたものです。
烏梅は漢方薬の原料に用いたり、染色の触媒剤として用いられていました。
なんでも烏梅に含まれている青酸成分が紅花の染色にかかせなかいのだとか。

月ヶ瀬-民家 紅白の梅

また烏梅は口紅や頬紅を作る際にも用いられていました。

紅の溶液に烏梅を加えて一昼夜おいておくと、紅の色素が沈殿して泥土のようになります。
これを羽二重でこし、蛤の貝殻や皿にいれて乾燥させたものを艶紅といいます。
これを筆でといて口紅や頬紅として用いたそうですよ。

月ヶ瀬 しだれ梅

②姫若伝説

月ヶ瀬村には次のような伝説が伝えられています。

1331年、奈良の笠置にいた御醍醐天皇が、さらに落ち延びる時、天皇家の女官達がこの月ヶ瀬の地に逃げてきました。
その女官のひとり、園生姫が世話をしてくれたお礼にと烏梅の製法を村人に教えました。

園生姫は別名を姫若ともいうそうです。

月ヶ瀬-なまこ壁の家 紅梅

③長宗我部元親の幼少のころのニックネームは姫若子だった。

そこで「姫若」で検索してみると「姫若子」というのが出てきます。
「姫若子」とは長宗我部元親の幼少のころのニックネームです。
幼い頃、長宗我部元親は色が白く軟弱で、「姫若子」とからかわれていたそうです。

月ヶ瀬 赤い橋と梅

④女装して御所を脱出した後醍醐天皇

ここでピンときました!
それで「後醍醐天皇 女装」とキーワードを入れてググってみたのです。

すると、ウィキペディア・元弘の乱に次のように記されていました。

笠置山・赤坂城の戦い

元弘元年(1331年)、後醍醐の側近である吉田定房が六波羅探題に倒幕計画を密告し、またも計画は事前に発覚した。
六波羅探題は軍勢を御所の中にまで送り、後醍醐は女装して御所を脱出し、比叡山へ向かうと見せかけて山城国笠置山で挙兵した。
後醍醐の皇子・護良親王や、河内国の悪党・楠木正成もこれに呼応して、それぞれ大和国の吉野および河内国の下赤阪城で挙兵した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%BC%98%E3%81%AE%E4%B9%B1より引用

月ヶ瀬-小松商店さん しだれ梅

月ヶ瀬村の伝説も1331年で、後醍醐天皇に関係する伝説でしたね・・・・。

烏梅の製法を月ヶ瀬村に伝えた園生姫(姫若)とは女装して御所を脱出した後醍醐天皇のことではないでしょうか?

月ヶ瀬湖 梅2

月ヶ瀬湖 夕景 



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[2018/03/29 18:48] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)