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逢合橋 梅 天の川 夕景 『かささぎが架ける橋は白黒モノトーン?大伴黒主の正体』 

大阪府交野市 逢合橋 機物神社
大阪府枚方市 中山観音寺跡(観音山公園)

天の川 夕景  
天の川

①交野が原を流れる天の川

大阪府枚方市・交野市のあたりは古には交野ケ原とよばれていました。
平安時代には在原業平が惟喬(これたか)親王のお供をして交野が原をおとずれ、こんな歌を詠んでいます。

狩り暮らし たなばたつめに 宿からん 天の川原に  われは来にけり
(一日中狩をして日が暮れてしまったので、棚機津女に宿を借りましょう。天の川原に私たちはやってきたのですから。)


在原業平は「天の川原」と言っていますが、枚方市・交野市を天の川(天野川)という川が流れているのです。

交野 梅 
交野市 逢合橋付近

②牽牛=アルタイル、織姫=ベガ。かささぎが掛ける橋は白鳥座?

1年に1度、七夕(旧暦7月7日)の日にかささぎが天の川に橋をかけ、織姫と牽牛がこの橋を渡って逢瀬を楽しむという伝説がありますね。

観音山公園付近 石碑 
上は枚方市の中山観音寺跡近くに置かれてあった説明版で、夏の北の夜空を描いたものです。
薄いグレー色の部分は天の川で、天の川を挟んでわし座のアルタイルと琴座のベガが対面していますね。
アルタイルは別名を彦星または牽牛星、ベガは別名を織女星とも呼ばれています。
みなさんご存じのように、天の川伝説に登場する牽牛とはアルタイルを擬人化したもの、織姫とはベガを擬人化したものです。

そして天の川の中に白鳥座があります。
古の人はこの白鳥座をかささぎに見立てて上のような伝説を創作したのかも?

逢合橋付近 梅 
交野市 逢合橋付近

③機物神社=織女星、中山観音寺=牽牛星

交野ケ原には天の川を挟んで中山観音寺跡(観音山公園)と機物(はたもの)神社があり、
中山観音寺跡は牽牛星、機物神社は織女星になぞらえられていると言われています。
昔の人は交野ケ原に天上の世界をなぞらえたのですね。

七夕伝説は中国から日本に伝わったものですが、交野ケ原は日本における七夕伝説発祥の地だともいわれていますよ。
(ほかにも福島県宗像市大島など、七夕伝説発祥の地を称する場所は数か所あります。)


郡津駅の西側を南北に流れる川が天野川です。

上の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側香里ヶ丘中央公園の南あたりに中山観音寺跡(観音山公園)があります。
5kmほど離れているかな?


機物神社 七夕飾り 
機物神社

観音山公園 牽牛 七夕飾り

中山観音寺跡 

また牽牛と織姫が年に一度逢瀬を楽しむという合逢橋もあります。
合逢橋はかささぎがかけた橋(天の川の中にある白鳥座?)になぞらえられているのでしょう。

合逢橋って、そんなロマンチックな伝説がある橋なのに、なんの変哲もない普通の橋なんですよ~。
でも見事な梅の花が咲いていたので、この日の合逢橋はよかったです。  

逢合橋-梅                

合逢橋

④七夕は和魂と荒魂を和合させて御霊にする行事だった?

旧暦ではお盆は7月15日を中心とした行事で、7月7日の七夕はお盆のいりの行事でした。

なぜ牽牛と織姫が逢瀬を楽しむというロマンチックな伝説に基づく行事がお盆の行事なのでしょうか?
私の考えを書きます。

神は表れ方で御魂(神の本質)、和魂(神の和やかな側面)、荒魂(神の荒々しい側面)の3つに分けられるといいます。
そして女神は和魂を、男神は荒魂をあらわすとする説があります。
すると、御魂は男女双体になると思います。

御魂(神の本質)・・・・・男女双体?
和魂(神の和やかな側面)・・・女神
荒魂(神の荒々しい側面)・・・男神


お盆には悪い霊(荒魂)も戻ってくると考えられ、そういった悪い霊が祟らないように女神(和魂)と和合させる必要があると考えられ、
それでお盆の入りの行事として七夕があるのではないでしょうか?

枚方パーク 夕景

天の川より枚方パーク観覧車を望む。

⑤かささぎが渡す橋は太極図のような白黒の橋

大友家持がこんな歌を詠んでいますよ。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持
(年に一度、天の川に鵲が橋をかけ、その橋を渡って牽牛と織姫が逢瀬を楽しむという。その橋のようにみえる宮中の階段に白い霜がおりているところを見ると、もうすっかり夜がふけてしまった。)

「霜の 白き」は天上に輝く星が白いのを霜に喩えたとする説もありますが
宮中の階段に霜がおりているのを天の川にかかる橋に見立てたとする説もあります。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

上の動画を見ればわかるとおり、鵲はくっきりした白黒のコントラストを持つ鳥であり、太極図を思わせます。

File:Yin and Yang.svg

太極図

ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。

太極図とは「陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる」という道鏡の考え方をあらわすもので
白は陽、黒は陰とされます。

かささぎは陰陽または太極図を象徴する鳥であると考えられていたのではないでしょうか。

男は陽、女は陰とされるので、男が白=荒魂で、女が黒=和魂となると思います。
そう考えると、太極図は織姫&牽牛を図案化したものだと言ってもいいかも?

⑥白は百引く一=九十九で妖怪、黒は田土、、、、で田の神?


鵲の白黒のコントラストはこの太極図のほか、奈良豆比古神社の翁舞の白式尉・黒式尉を、思い出させます。

奈良豆比古神社 翁舞 三人翁

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉


奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉

奈良豆比古神社では白式尉は志貴皇子で、天皇に近い人であったと伝わっています。左は左大臣、右は右大臣です。

黒式尉は鈴をふり、田植や種まきの所作をします。

さきほど、男神=荒魂、女神=和魂だとする説があるといいましたが、
白=荒霊、黒=和魂とする考え方もあったのではないでしょうか。

白は百-一=白となるので、九十九をあらわします。
九十九はつくもとも読み、九十九神(つくもがみ/付喪神とも)という器物につく妖怪がいます。

黒は分解すると「田」「土」「、、、、」なので白が黒に変化すると、付喪神は田起こしの神、種まき(、、、、は種のように見えるので)の神ということだったりして?

⑦大伴の黒主が歌は、古の猿丸太夫の次なり。

古今和歌集真名序に次のように記されています。

大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。  (読み下し文)

大友黒主とは六歌仙(遍照・在原業平・文屋康秀・小野小町・喜撰法師・大友黒主)の一人である。

 加茂船屋の雛祭 六歌仙の屏風と雛人形

加茂船屋 六歌仙を描いた屏風
 

古今集真名序に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』 とあります。
これはどういう意味なのでしょうか?

鎌倉時代の和歌の第一人者である藤原定家ならば『古の猿丸大夫の次なり』の意味を知っているかもしれない。
そう思って定家が撰んだ百人一首を調べてみました。

百人一首のそれぞれの歌には1から100までの番号が振られています。
もしかしたら定家は『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』という仮名序の文章を受けて、百人一首において猿丸太夫の次大友黒主の正体を明らかにしていたりしないかな?
つまり、猿丸大夫の次の歌人が、大友黒主ではないかと考えたわけです。

百人一首では猿丸大夫は5番でした。
その次・・・6番は大伴家持でした!

大友黒主は大伴黒主と記されることもあります。

また大友黒主と大伴家持はよく似た、というよりもほとんど同じ歌を詠んでいます。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)



白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


ほとんど同じと思われるふたつの歌の、一方は大伴黒主、一方は大伴家持の歌であるというのです。
大伴黒主、大伴家持は同一人物なのではないでしょうか? 

 
祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山ご神体 大伴黒主像


⑧掘り返された死体


大伴黒主は藤原種次暗殺事件に関与したとして、このときすでに死亡して埋葬されていたのですが、死体が掘り返されて流罪となっています。
掘り返された死体は死後時間が経過していたので、腐って蛆がわいたりしていたかも。

真名書に『頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるのはこのことを言っているのではないでしょうか。
『鄙し』という言葉の意味がよくわかりませんが『鄙』とは『田舎』とか『支配の及ばない未開地に住む人々』という意味なので『死体がが風葬された田舎の人ような状態になっていた』という意味なのかもしれません。

黒主山 宵山 
祇園祭 宵山 黒主山

⑨黒=田+土+、、、、(種まき?)=田夫

田夫の 花の前に息めるがごとし。』とあるのは、翁舞の白式尉が黒式尉に転じるように、大友家持という白い神が、黒い神になってしまった、という意味かも、と思ったりします。

黒い神とは、田夫とは田の神・・・黒を分解して、田・土・、、、、(種まき?)の神ということです。

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山2 
祇園祭 黒主山  

⑩白い神から黒い神に転じた大伴家持

家持の歌を私流に現代語訳してみます。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持

まるで太極図のように見える鵲。
また鵲は白い神(荒霊)と黒い神(和霊)が和合しているかのようにも見える。
その鵲が天の川に橋をかけ、年に一度牽牛と織姫が逢瀬を楽しむ。

男神(牽牛)は荒魂、女神(織姫)は和魂であり、男神と女神を和合させることによって、御霊とするのが七夕の行事である。

その天の川に鵲がかける橋のように見える宮中の階段に霜が白く輝いている。
霜は日本書紀のトガノの鹿を思わせる。
鹿は全身に霜が振る夢を見るが、霜だと思ったのは実は塩で、鹿は殺されて塩漬けにされているのだった。
謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあった。
鹿は謀反人の喩えである。
藤原種継暗殺事件の首謀者だと考えられている私もまた謀反人である。

宮中に降りた霜がこんなにも白く見えているということは、私はすでに死んで夜の世界にいるということなのだろう。
そして私は鵲に似た太極図があらわすように、陽が極まって陰となり、白い神(荒魂)から黒い神(和魂)へと変わっていくのだ。


わずか31文字の中に、太極図、天の川伝説、トガノの鹿の伝説なども想像させ、実に味わい深い歌だと思うんですが、どうでしょう?

もちろん死んだ人が歌を詠むことはできません。
大伴家持は何の気なしにこの歌を詠んだのを、古の人がこの歌は大伴家持はこんな歌を詠んだので歌の言霊の力で、歌を実現させてしまったと考えたのかもしれませんね。

天の川より枚方パークをのぞむ 
天の川より枚方パークをのぞむ



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[2018/03/12 11:12] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)