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京都鉄道博物館 鉄道に関係するetc 『業平が都に残してきたつまとは惟喬親王だった?』 

京都市下京区 京都鉄道博物館

京都鉄道博物館 建築限界測定車 
建築限界測定車 別名 おいらん

堂島薬師堂 美しすぐるお化けさん   

↑ これね。関西では花魁(おいらん)ではなく太夫(たゆう)といいますが。
(堂島薬師堂 節分 美しすぐるお化けさん ※節分には変装して町を練り歩く習慣があり、これをお化けといいます。)

惟喬親王は三河に行くことができなかった?


鉄道といえば旅!
それだけのつながりで、こじつけて在原業平のセンチメンタルジャーニー(東くだり)について書いております。(汗)
今日はその3です。

その1・・・
京都鉄道博物館 トワイライトエクスプレスとレトロ列車 『在原業平のセンチメンタルジャーニー』 

その2・・・京都鉄道博物館 扇形車庫と蒸気機関車 『クーデターメンバー三河に集結?』 

その2の記事にこんなことを書きました。

a.在原業平は 唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う
唐衣をずっと着続けているので体になじんできてしまった。そのように慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるやってきた旅をしみじみと思うことだ。)

と歌を詠み、これを聞いた人々は皆涙を流し、乾飯が涙でふやけてしまった。
 
b.六歌仙(遍照・在原業平・喜撰法師・文屋康秀・小野小町・大友黒主)のうち、遍照・在原業平は惟喬親王の歌会のメンバーである。
さらに喜撰法師は紀仙法師で紀有常のことだとする説がある。紀有常は惟喬親王の叔父で、惟喬親王の歌会のメンバーだった。
彼らは歌会と称し、惟喬親王を担ぎ上げて、クーデターを計画していたのではないかという説がある

c.大友黒主とはほかの六歌仙より早い時代の歌人・大友家持のことではないか。
※詳しくは別ブログの次の記事をお読みください。
小野小町は男だった③ 草子洗い『大友黒主と大伴家持は同一人物?』 

d.小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王のことではないか.
「小野小町は穴のない体だった。穴のない待ち針は小町針がなまったものだ」と言われるが、穴のない体とは男性のことではないか。
また古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌というのがたくさんある。
※詳しくは別ブログの次の記事をお読みください。
小野小町は男だった⑯(最終回) 『わがみよにふるながめせしまに』  

e.文屋康秀は三河掾として下向するとき、小野小町に「いっしょに田舎見物に行きませんか」と誘っている。
小野小町=惟喬親王であるとすれば、文屋康秀も惟喬親王の歌会のメンバーだった可能性がある。

f.在原業平が「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う」と歌を詠んだのは三河国八橋である。
そして文屋康秀はは三河掾として下向するとき小野小町を「いっしょに行きませんか」と誘っている。

遍照・在原業平・紀有常(喜撰法師)・文屋康秀はクーデター計画を練るため三河に集結したのかも?

g.小野小町(小野宮/惟喬親王?)は文屋康秀に「行く」と答えているが、何かの事情があっていけなかったのではないか。
在原業平は「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う((唐衣をずっと着続けているので体になじんできてしまった。そのように慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるやってきた旅をしみじみと思うことだ。)」と歌を詠んでいるが、業平が都に残してきた「つま」とは
惟喬親王のことではないか。

京都鉄道博物館-磁石式電話交換機

磁石式電話交換機

②爪形天満宮の正体とは?

g.小野小町(小野宮/惟喬親王?)は文屋康秀に「行く」と答えているが、何かの事情があっていけなかったのではないか。
在原業平は「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う((唐衣をずっと着続けているので体になじんできてしまった。そのように慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるやってきた旅をしみじみと思うことだ。)」と歌を詠んでいるが、業平が都に残してきた「つま」とは
惟喬親王のことではないか。


「つま」とはもともとは夫が妻に対して、また妻が夫に対して呼びかける言葉でした。
在原業平と惟喬親王は男と男でもちろん夫婦ではありません。
ですが、業平一行はどうやら三河で惟喬親王をまつりあげてのクーデター計画を練るために集結したと思われるフシがあり
業平が惟喬親王のことを愛情をこめて「つま」と呼んだと考えると、この歌を聞いていた人が乾飯がふやけてしまうほど泣いたという気持ちが理解できるような気がするなあ、と思ったのでした。
クーデターに失敗すると流罪ですから、彼らは生半可な気持ちで旅をしていたわけではないでしょう。
そして都に惟喬親王を残してきたのだとすると、彼らはそれは惟喬親王の身を案じたことだろうと。

京都鉄道博物館-駅間連絡電話機 
駅間連絡電話機 右下はモールス信号を送る機械

そんなことを考えていると、昔、爪形天満宮をお参りしたことを思い出しました。

清和院 

清和院

爪形天満宮 
爪形天満宮

爪形天満宮は清和院(京都市上京区)の境内にあります。

清和院はもともとは京都御苑内の京都迎賓館がある場所にあったとされます。
この場所には平安時代には藤原良房の邸宅があり、良房の娘・明子(染殿后)が文徳天皇に入内したのち仏心院というお寺が作られたようです。
仏心院には地蔵尊を本尊とする内祈祷所が作られていました。
1661年に御所が炎上してから現在地に移転したようですね。

平安時代、文徳天皇には紀静子との間に長子の惟喬親王が、藤原明子との間に惟仁親王(のちの清和天皇)がありました。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えていたのですが、当時藤原氏が絶大な権力を持っており、文徳天皇は源信にいさめられて惟喬親王を皇太子にすることを諦め、惟仁親王を皇太子としたのです。

京都鉄道博物館2

染殿后の安産祈願をした地蔵菩薩が十輪寺や帯解寺、染殿院にあります。
十輪寺 紅葉 『もみじのてんぷらを食べる呪術』 
帯解寺 桜 『惟喬親王の怨霊封じ込めの地蔵と小町之宮』 

清和院の地蔵菩薩も染殿后の安産祈願のためにつくられたものではないでしょうか。

これらの地蔵菩薩に藤原良房はこんな風に祈願したのではないかと思うのです。
「お地蔵さま、あなたをみほとけとしてお祭りしますので、私の陰謀によってあなたの皇位継承を奪ったことを許してください」

はい、このお地蔵さまとは惟喬親王の生霊とか怨霊を封じ込めたものではないかと思うわけです。

その清和院の境内に爪形天満宮があるというのが、なんかひっかかります。
爪は「つま」とも読みますね。
で「爪弾き」というのは「ある人を忌み嫌って排斥すること」を言います。
惟喬親王および紀氏は藤原良房の他氏排斥の犠牲者です。
爪形天満宮とは惟喬親王のことだったりして?

京都鉄道博物館

 ポイントを制御する機械

京都鉄道博物館-線路

ポイント


京都鉄道博物館 雷鳥など

500系新幹線  シャレ―軽井沢 雷鳥

京都鉄道博物館-環状線など 
0系新幹線 ディーゼル機関車 大阪環状線

京都鉄道博物館-信号 
信号
 

京都鉄道博物館-パンダグラフ  

パンタグラフ

京都鉄道博物館-運転席 
運転席


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[2018/01/27 23:27] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)