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京都鉄道博物館 扇形車庫と蒸気機関車 『歌会メンバー三河に集結?』 


京都市下京区 京都鉄道博物館
  
京都鉄道博物館 SLスチーム号 

①在原業平のセンチメンタルジャーニー

前回の記事で、平安時代、在原業平のセンチメンタルジャーニーについてお話ししました。
京都鉄道博物館 トワイライトエクスプレスとレトロ列車 『在原業平のセンチメンタルジャーニー』 

在原業平は
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う
唐衣をずっと着続けているので体になじんできてしまった。そのように慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるやってきた旅をしみじみと思うことだ。)

と歌を詠み、これを聞いた人々は皆涙を流し、乾飯が涙でふやけてしまったのでした。

京都鉄道博物館 機関車 車輪

機関車 車輪

②折句

業平がこの歌を詠んだのは三河の国・八橋でのことでした。
かきつばたが満開で、その「かきつばた」の文字を句のはじめにつけて歌を詠んだのです。

らごろも
つつなれにし 
ましあれば 
るばるきぬる 
びをしぞ思う

笑点などでやっている「あいうえお作文」と同じですね。
折句というようです。

松本隆さんが作詞したアグネス・チャンさんの「ポケットいっぱいの秘密」も折句になっていますよ。
 
なた くさのうえ
っすり 眠ってた
がお 優しくて
きよって ささやいたの

京都鉄道博物館 機関車


②杜若姫

業平がこの歌を詠んだ三河八橋には無量寿寺というお寺があり、毎年5月になるとカキツバタが満開になるそうです。
行ったことはないんですが~
おそらく業平の歌にちなみ、カキツバタを栽培されているのでしょう

境内には業平竹や杜若姫の供養塔などがあるそうです。

杜若姫とは小野篁の娘で、在原業平を追うも願いかなわず自殺したと伝えられています。

京都鉄道博物館 機関士 火室2 

 

③杜若姫=小野小町?


平安時代の昔のことで、また当時は天皇に入内した女性くらいしか記録に残っていないので
本当に小野篁に杜若姫という娘がいたかどうかわかりません。

しかし一説によると小野小町は小野篁の娘だと言われいるので、杜若姫とは小野小町のことではないかとも思われます。

京都鉄道博物館 機関士の携行品 

機関士の携行品 水筒のデザインのかわいらしさに目が釘付けに!


④六歌仙のうち5人は惟喬親王の歌会メンバーだった?

遍照・在原業平・喜撰法師・文屋康秀・小野小町・大友黒主の6人の歌人は六歌仙と呼ばれています。

大友黒主は、遍照・在原業平らよりも早い時代の歌人・大友家持のことだと思います。
その理由については別ブログの次の記事をお読みください。

小野小町は男だった③ 草子洗い『大友黒主と大伴家持は同一人物?』 

前回の記事で、世継ぎ争いに敗れた文徳天皇の長子・惟喬親王は頻繁に歌会を開いており、そのメンバーに遍照・在原業平がいると書きました。
そして彼らは歌会と称し、惟喬親王を担ぎ上げて、クーデターを計画していたのではないかという説があることをご紹介しました。

京都鉄道博物館 制帽・制服 

また喜撰法師とは紀仙法師のことで、紀名虎または紀有常のことだとする説があります。
紀名虎は惟喬親王の母・紀静子の父、紀有常は紀静子の兄で、やはり惟喬親王の歌会のメンバーです。

そして小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王自身のことではないかと私は考えています。
その理由はいろいろありますが、そのひとつに「小野小町は穴のない体だった。穴のない待ち針は小町針がなまったものだ」と言われていることがあります。
穴のない体とは「性的に不能」という意味であると一般には考えられていますが、私は穴のない体とは男性のことではないかと思います。
また古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌というのがたくさんあります。

詳しくは別ブログの次の記事をお読みください。
小野小町は男だった⑯(最終回) 『わがみよにふるながめせしまに』  

残る文屋康秀は三河掾として下向するとき、小野小町に「いっしょに田舎見物に行きませんか」と誘っています。
小野小町=惟喬親王であるとすれば、文屋康秀も惟喬親王の歌会のメンバーだったと考えられるかもしれません。

京都鉄道博物館 機関車が動くしくみ

⑤クーデターメンバー、三河に集結?


小町は文屋康秀の誘いにこんな風に答えています。

わびぬれば 身をうき草の 根をたえて さそふ水あらば いなむとぞ思ふ
(わびしい暮らしをしており、わが身を憂えています。浮草の根が切れて流れていくように、誘う水があるならば行こうと思います。)

あれっ、業平が友人たちと出かけたのは三河でしたね。
業平と親しい友人とは紀有常や遍照?

もしかして彼らは三河掾となった文屋康秀を訪ねて行き、そこでクーデター計画を練っていたのかも?

京都鉄道博物館 SLスチーム号

⑥都においてきた妻とは惟喬親王のことだった?

でも、惟喬親王は何か事情があって三河に行けなかったんじゃないかと思います。
小野小町(小野宮/惟喬親王?)は文屋康秀に「行く」と答えはしましたが。

というのは、業平は「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う」と歌を詠みましたが
この「つま」とは惟喬親王のことではないか、と思えて仕方ないんです。

「つま」とは夫が妻に対して、また妻が夫に対して呼びかける言葉であったようです。
在原業平と惟喬親王はもちろん夫婦ではありません。
ちょっとBLっぽい雰囲気は漂っていますが(ハーイ、腐女子です~❤)
ですが、業平は惟喬親王のことを愛情をこめて「つま」と呼んだ、なんてことはないかなあ?

そう考えると、乾飯がふやけてしまうほど皆が泣いた、という気持が理解できるように思います。
クーデターメンバーたちは単に業平が奥さんを思う気持ちに同情して泣いたのではなく
都に残してきた惟喬親王の身を案じて泣いたのではないでしょうか?
クーデターに失敗すると自分たちの身も危ういですしね。

あ、クーデターに失敗して三河に集結したという可能性もありますね。

京都鉄道博物館 SLスチーム号 
扇形車庫と転車台。この構造美!

京都鉄道博物館 扇形車庫と蒸気機関車 

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[2018/01/26 08:52] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)