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大蓮寺 蝋梅 『二体に分かれた阿弥陀如来』 

京都市左京区  大蓮寺
2018年1月21日 撮影


大蓮寺 蝋梅

①2体にわかれた阿弥陀如来

京阪電車の中で、大蓮寺のポスターを見て、大蓮寺にやってきました。
同じポスターが大蓮寺にも貼ってありましたよ。

大蓮寺 門 ポスター 

以前の記事、大蓮寺 蓮 雨 『仏教嫌いの後光明天皇がお寺に安産祈願?』 にこんなことを書きました。

1650年、後光明天皇は大蓮寺に典侍・庭田秀子の安産祈願をするよう命じた。
秀子は無事孝子内親王をお産みになられ、ここから大蓮寺は安産祈願の寺として信仰されるようになりました。


そして1650年に後光明天皇が庭田秀子の安産祈願をする以前の話として、こう伝わっています。

1600年、深誉は伏見で金色に輝く阿弥陀如来が供養されることなくおられるのを見つけ、持ち帰って五条に仏堂を建てて安置しました。

後に、この阿弥陀如来は真如堂の阿弥陀如来であることがわかり返還しなければならなくなりました。

残念に思った深誉は二十一日間の念仏を修しました。
すると最後の夜、旅の僧が現れ、深誉と旅の僧はともに念仏を唱えました。
よくあさ、旅の僧の姿はなく、阿弥陀如来が二体になっていました。
深誉はこのうち一体は予定通り真如堂に返し、もう一体は大蓮寺の本尊としました。


一体の仏像が突然2体になるなんてことが実際にあるんでしょうか?

大蓮寺 本堂 蝋梅

②解体修理に出したところ2体になって戻ってきた景清地蔵

奈良・新薬師寺の景清地蔵を解体修理に出したところ、2体になって戻ってきたということがありました。

解体修理の結果、衣の下に裸形の体躯が見つかったので、それに頭部などを補って2体としたのです。

もともとこのお地蔵さまは裸形のお地蔵さまで股間に蓮のつぼみがついているという、禁断のみほとけであり、上に着物を着せていたようです。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/439 http://chabashira.sowzow.com/juumin/19usagi/usagi_024.html(←こちらのサイトに写真が掲載されています。)

胎内から発見された文書から、興福寺別当・実尊の追善を目的として弟子の尊遍が造らせたものであることがわかっているのですが
水野敬三郎さんは、「尊遍が自分の死後に、この像を丸裸で残すことを心配して木造の着物を貼りつけたのではないか」とおっしゃっていますよ。

新薬師寺 きくもも

新薬師寺  きくもも

大蓮寺付近 地図 
近所にはお寺がすごくいっぱいあります。なんで?

③阿弥陀如来・千手観音・不動明王

真如堂・大蓮寺の阿弥陀如来はどちらも裸形のみほとけではなく、木を刻んで着物を表現した、ふつうのタイプのみほとけです。

こちらのサイトに写真が掲載されていました。


http://www.anzan-no-tera.jp/history/index.html(大蓮寺)
http://gifu-sengoku.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_DSC_0012.JPG.html(真如堂)

光背は異なっていますが、仏像本体は写真が不鮮明なのでよくわかりません。
ですが、どちらも中尊が阿弥陀如来、左脇侍が千手観音、右脇侍が不動明王となっています。

同じ仏像というのは、安置形式が同じという意味なのかも?

大蓮寺付近 町並 
大蓮寺付近 町並

こういう阿弥陀三尊像は珍しいのではないでしょうか?
(ほかにもあるよ~、という人、教えてくださいね!)

そしてこの阿弥陀三尊像が安産にご利益があるということだと思いますが、
阿弥陀如来・千手観音・不動明王にはそれぞれどういうご利益があるんでしょうね?

またこの三尊を併せて祀るのはなぜなんでしょうか?
今後の宿題としておきます。

大蓮寺付近 町並2

大蓮寺付近 町並

大蓮寺付近 町並3 
大蓮寺付近 町並

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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




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[2018/01/22 22:44] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)