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北野異人館 ベンの家 『乞食者はなぜ鹿の痛みを詠ったの?』 


神戸市中央区 ベンの家
2017年12月17日撮影

ベンの家-リビングルーム

①狩猟家の家

北野にある異人館・ベンの家。

かつてベン・アリソンというイギリスの狩猟家が住んでいた家です。
室内には狩られた動物の剥製がたくさんあって異様な雰囲気~。

鹿の剥製もありましたよ。

ベンの家2

②鹿のために痛みを述べて詠んだ歌


鹿といえば、万葉集にこんな歌があります。

乞食人(ほかひひと) が詠ふ歌

愛子(いとこ) 汝兄(なせ)の君 居り居りて 物にい行くと
韓国(からくに)の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来
その皮を 畳に刺し 八重畳 平群(へぐり)の山に
四月(うつき)と 五月(さつき)の間(ほと)に 薬猟 仕ふる時に
あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟(いちひ)が本に
梓弓 八つ手挟(たばさ)み ひめ鏑(かぶら) 八つ手挟み
獣(しし)待つと 吾が居る時に さ牡鹿の 来立ち嘆かく
たちまちに 吾は死ぬべし 

大君に我は仕へむ
我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨坩(すみつほ)              
我が目らは ますみの鏡  我が爪は み弓の弓弭(ゆはず/弓の先の鉄の部分) 
我が毛らは み筆(ふみて)はやし  我が皮は み箱の皮に
我が肉(しし)は み膾(なます)はやし  我が肝は み膾はやし 
我がみげは み塩のはやし 
老いはてぬ 我が身一つに
七重花咲く 八重花咲くと 申し賞(は)やさね 申し賞やさね

右の歌一首は、鹿の為に痛を述べてよめり。

ベンの家3

さあ、みなさん。じっとしていては何もできませんよ。
韓国の虎という神を生け捕りにして八頭もってきて
その皮を畳に敷き、八重畳とし、平群の山に四月と五月の間に行われる薬猟に仕えるとき
片山に二本立つイチイガシのもと、八本の弓矢を構えて鹿を待っていると
雄鹿がやってきて嘆きました。
私はたちまち死にます。
大君(天皇)に私はお仕えします。
私の角は笠の飾りに 私の耳は墨壺に
私の目は澄んだ鏡に 私の爪は弓の弓弭に
私の毛は筆の材料に 私の皮は箱の皮に
私の肉はなます(生肉を切り刻んだ料理)の材料に 私の肝はなますの材料に
私の内臓は塩辛の材料に。
老いはてた私の身ひとつでも七重に花が咲く、八重に花が咲くとほめてください。ほめてください。

右の歌一首は、鹿の為に痛みを述べて読んだ。

ベンの家 北極熊

③奈良時代、鹿は食用にされていた?

薬猟とは5月5日に行われていた行事で、男性は鹿の若角を狩り、女性は薬草摘みを行いました。

耳を墨壺にとか、爪を弓弭に、目を鏡にというのは、喩だと思います。
鹿の耳の形や爪・目が、墨壺や弓弭・鏡に似ているので、こう言っているのでしょう。

しかし、5月5日の薬猟で狩った鹿の若角は薬として用いられていたようですし、
鹿毛は筆に、鹿皮は袋などに、使われていました。

日本では仏教の影響から奈良時代ごろより肉食は禁忌とされたのですが、
肉や肝はなますの材料にとか、内臓は塩辛の材料にと詠われているので、鹿を食用にすることがあったのではないでしょうか。

ベンの家-マントルピース

④乞食人は門付け芸人

乞食人とは門付け芸人のことです。
数年前の住吉祭で、獅子舞が店の中に入っていって舞い、店主からご祝儀をもらっているのを見たことがあります。
こういった獅子舞も門付け芸人だといえるでしょう。
門付け芸人のルーツは古いんですね。

ベンの家-ベッドルーム

⑤トガノの鹿

日本書紀にはトガノの鹿という話があります。

雄鹿が『全身に霜がおりる夢を見た。』と言うと雌鹿が『霜だと思ったのは塩であなたは殺されて塩が振られているのです。』と答えました。
翌朝猟師が雄鹿を射て殺しました。
時の人々は『夢占いのとおりになってしまった』と噂しました。 (トガノの鹿)



鹿の夏毛には白い斑点がありますが、この斑点が霜や塩に喩えられたのではないでしょうか。
そして謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあり、 鹿とは謀反人の比喩なのではないかとする説があります。

大仏殿 鹿のカップル

東大寺にて


⑥鹿鳴草


萩は別名を鹿鳴草といいます。
おそらく萩の白い花が霜や塩を思わせるところから鹿鳴草というのではないかと思います。

萩には紫の花もありますが、紫の花は雌鹿を表していると思います。
というのは、次の二首を鑑賞すると、紫は恋する女性を表す言葉のように思えるからです。


①紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 吾恋ひめやも/大海人皇子
(紫草のように美しいあなた。あなたが憎ければ、人妻と知りながら、こんなに恋い焦がれずにいられるものを。)

②紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰/詠人知らず
(顔をぽっと赤らめた海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)
※紫色に布を染める際、媒染剤として椿の灰をいれると鮮やかに染まったのだそうです。 

百毫寺 萩2 
百毫寺 萩(志貴皇子邸宅跡と伝わります。)
 
⑦志貴皇子暗殺説

昔、図書館で借りて「志貴皇子暗殺説」について説かれた本を読んだのですが、本のタイトルや著者名を忘れてしまいました。(すいません!)

志貴皇子暗殺説とは次のようなものです。

日本続記や類聚三代格によれば、志貴皇子は716年に薨去したとありますが、万葉集の詞書では志貴皇子の薨去年は715年となっています。

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく。)

この歌は志貴皇子が人知れず死んだことを思わせます。
また笠金村は 次のような歌も詠んでいます。

御笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに
(御笠山の野辺を行く道は、これほどにも草繁く荒れてしまったのか。皇子が亡くなって久しい時も経っていないのに。)


こちらの歌は『志貴皇子が死んだのはついこの間のことなのに、野辺道がこんなに荒れているのはなぜなのだ』といぶかっているように思えます。
これらの歌から、志貴皇子は715年に暗殺され、その死が1年近く隠されていたように思われるというのです。

奈良豆比古神社 翁舞 三人翁 
奈良豆比古神社 翁舞(奈良豆比古神社は芸能の神として信仰されています。)

⑧ハンセン病を患った志貴皇子

奈良市にある奈良豆比古神社には次のような伝説が伝えられています。

①志貴皇子の第二皇子である春日王(田原太子)はハンセン病を患い、奈良坂の庵で療養していました。
春日王にはの二人の息子、浄人王と安貴王(秋王)があり、心をこめて春日王の看病をしていました。
ある日、兄の浄人王は春日大社で神楽をって、父の病気平癒を祈りました。
そのかいあって春日王の病気は快方に向かいました。
桓武天皇はこの兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に「弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)」の名と位を与えて、奈良坂の春日宮の神主としました。
のちに志貴皇子の皇子である光仁天皇が即位すると、志貴皇子は光仁天皇より『田原天皇』と追尊されました。
田原天皇はまた春日宮天皇とも呼ばれましたが、これは奈良坂に住んだ春日王と関係があるのかもしれません。


『別冊太陽・梅原猛の世界(平凡社)』によれば、地元の語り部・松岡嘉平さんは①とは別の語りを伝承しておられるとのことです。
 
 ②志貴皇子は限りなく天皇に近い方でした。
そのため、神に祈るときにも左大臣・右大臣がつきそいました。
赤い衣装は天皇の印です。
志貴皇子はハンセン病を患い、病が治りますようにと毎日神に祈りました。
するとぽろりと面がとれ、皇子は元通りの美しい顔となり、病は面に移っていました。
志貴皇子がつけていたのは翁の面でした。
左大臣・右大臣も神に直接対面するのは恐れ多いと翁の面をつけていました。
志貴皇子は病がなおったお礼に再び翁の面をつけて舞を舞いました。
これが翁舞のはじめです。
のちに志貴皇子は第二皇子の春日王とともに奈良津彦神の社に祀られました。
 
 
ハンセン病を患ったのは①の伝説では志貴皇子の子の春日王となっていますが、②の伝説では志貴皇子となっています。
  
奈良豆比古神社 翁舞 白式尉2

奈良豆比古神社 翁舞

春日王は田原太子とも呼ばれており、志貴皇子は田原天皇、春日宮天皇と呼ばれていました。
春日王と志貴皇子は同じ名前で呼ばれていたということになります。
皇族でこのようなケースは他に例がないと思います。
春日王と志貴皇子は同一人物なのではないでしょうか。

⑨非人は謀反人の子孫?

奈良豆比古神社があるあたりは非人たちが住んでいました。
非人とは寺社に隷属し、清掃・警備・死体の処理・神事などを行っていた人々のことです。
文献上に非人という言葉が初めて登場するのは、842年とされています。
橘逸勢が謀反を企てたとして、天皇から非人の姓を与えられたというのです。

そして古より日本では先祖の霊は子孫が祭祀または慰霊するべき、とする考え方がありました。
大神神社の大物主の祟りで疫病が流行ったとき、大物主の子のオオタタネコを大神神社の神官としたところ祟りがおさまったという話もあります。

非人とは謀反人の子孫なのではないでしょうか?

そして芸能とは現在では娯楽ですが、もともとは神を慰める神事であったと考えられます。

その神事=芸能を行う乞食人が、鹿=謀反人の痛みを述べるというのは、謀反の罪で殺された先祖の霊を慰霊しているということなのではないでしょうか?

ベンの家 



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[2018/01/05 15:41] 兵庫 | トラックバック(-) | コメント(-)