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四天王寺 紅葉 『茶臼山古墳は暴かれた墓?』 


大阪市天王寺区 四天王寺
2013年11月下旬 撮影

四天王寺 桜紅葉


①長持形石棺蓋

四天王寺の宝物館の横になにか置いてありますよ。
手前の細長いのは西門石鳥居の笠石(1294年造)で、鳥居の最上部に使用されていたものだそう。

四天王寺 長持型石棺蓋 西門石鳥居の笠石


奥にあるのは石棺の蓋です。

四天王寺 長持型石棺蓋


説明板には次のように記されていました。

荒陵(あらはか/現在の茶臼山付近)から出土したものとされる。
いつのころからか四天王寺境内に移されて亀井堂東の小溝に架けられ、
江戸時代にはその橋を渡ると安産になると評判になり、四天王寺の七不思議の一つとして言い伝えられてきたが、
明治時代になって古墳時代の石棺の蓋であることが判明してからは移転し、保管されている。


長持型石棺とは主に古墳時代中期に作られたと考えられている石棺です。

古墳時代とは3世紀中頃から7世紀頃をさします。
古墳時代中期は5世紀ぐらいですね。
大阪府堺市の仁徳天皇陵もこのころ作られたと考えられています。

四天王寺 南鐘堂 公孫樹


②茶臼山古墳



長持型石棺が出土したという茶臼山古墳は前方後円墳とされていますが、「古墳ではない」とする説もあります。
「茶臼山古墳は古墳ではない」とする説の論拠は、1986年に発掘調査で埴輪や葺石が出土しなかったということにあります。
しかし2009年の発掘調査では水銀朱が塗られた石室のようなものが発掘されたと発表されています。
四天王寺にある長持型石棺も茶臼山古墳から出土したと伝わっていますし、やはりこれは古墳なのではないでしょうか。

とすれば、なぜ埴輪や葺石が出土しなかったのでしょうか?

 四天王寺 門 公孫樹

③暴かれた古墳

梅原猛さんは中国では謀反人の墓は暴かれることがあり、奈良県明日香村にある石舞台古墳も暴かれた墓ではないかとおっしゃっています。

石舞台古墳は蘇我馬子の墓とされていますが、馬子の孫の蘇我入鹿は自分の屋敷を宮門(みかど)と呼ばせるなど天皇のように振る舞っているのがけしからんとして、645年に中大兄皇子に斬殺されています。
翌日、入鹿の父親の蝦夷は自宅に火をつけて自殺しました。

馬子の墓は謀反人・入鹿の祖父の墓だとして暴かれ、盛り土が取り除かれて石室がむき出しの状態にされたのかも。

石舞台古墳 小焼け

石舞台古墳


④茶臼山古墳は暴かれた古墳?

587年、崇仏派の蘇我氏vs排仏派の物部氏の戦いがありました。
結果、物部氏が負け、蘇我氏側についていた聖徳太子は物部氏から没収した土地と奴婢を用いて四天王寺を建立しました。
四天王寺付近は物部氏の土地だったのですね。

茶臼山古墳は四天王寺西南にある石鳥居から西南に360mほどのところにあります。
茶臼山古墳は物部氏を葬った古墳だったのではないでしょうか。

物部氏は謀反人であり、茶臼山古墳は謀反人を葬った墓であるとして葺石ははがされ、埴輪も撤去されたのではないでしょうか。
さらに石室から石棺も持ちだされ、石棺の中の遺体はどこかに捨てられたのかもしれません。
そして石棺は橋として用いることで、人々に踏みつけられることになっててしまったのでは?

四天王寺 夕景 (合成) 

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[2017/12/10 18:40] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)