fc2ブログ














妙法院 法住寺 後白河天皇陵 新日吉神社 方広寺 豊国神社 など 紅葉 『普賢菩薩と摩耶夫人と6本牙の象』 


京都市東山区 妙法院 法住寺 後白河天皇陵 智積院 方向寺 豊国神社 耳塚 
2017年 11月28日 撮影

 
妙法院 紅葉

妙法院



①後白河法皇院政の地


妙法院は後白河法皇の院御所・法住寺殿の跡地にあります。
後白河法皇はここで院政をとっていたのですね。
付近には法住寺というお寺もあり、その裏手には後白河天皇陵があります。

法住寺 紅葉 
法住寺

後白河天皇陵 桜紅葉 
後白河天皇陵

法住寺の西には三十三間堂がありますが、三十三間堂は法住寺の中の一堂でした。

三十三間堂 通し矢 

三十三間堂 通し矢(撮影は10年以上前の1月)


近くにある新日吉神社は法住寺殿の鎮守だったんですよ。もともとは現在地よりもう少し南にあったようですが。

新日吉神社 紅葉 
新日吉神社

②豊臣秀吉ゆかりの地

のちに豊臣秀吉がここに方広寺を建立し、大仏を安置しました。19mもある巨大な像だったそうです。

方広寺  
方広寺

ところが大仏が完成した翌年、慶長伏見地震がおこって大仏は倒壊していまいました。
近くには秀吉を祀る豊国神社や豊国廟もあります。

 豊国神社 紅葉

豊国神社

豊国廟参道 紅葉

 豊国廟参道

豊国神社の西には耳塚があります。
豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、討ち取った朝鮮や民の兵士の耳や鼻をそぎ取ったものが日本に持ち帰られました。
そしてそれらはここに葬られたのです。

耳塚 桜紅葉

耳塚

妙法院の隣は現在は智積院ですが、もとは3歳でなくなった秀吉の子・鶴松の菩提を弔うために建てられた祥雲寺というお寺でした。
豊臣家を滅亡させた徳川家康が、この土地を玄宥という僧侶に与え、玄宥はもと紀州・根来にあった智積院をここに復興させたのです。
智積院 梅 『家康はなぜ玄宥に土地を与えたのか』 

智積院 金堂 紅葉 
智積院

家康はよほど秀吉が憎かったらしく、秀吉の神格化を塞ぐため、豊国廟の前に新日吉神社を置いて参道を塞いだりしています。(大人げない~)

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kazu_san/hyaku_taiko.htm
こちらのサイトに図入りで説明があります。

また上のサイトによると、「妙法院は豊国廟の参道を封鎖するために新日吉神社を建てる。」とあります。

しかし新日吉神社はさきほども述べたように、法住寺の鎮守で現在地より南にあったのを、移転させたと聞いたことがあります。
たぶん、こちらの方が正しいと思います。

それはそうとして、ここに妙法院の名前があるのが気になりますね。
妙法院が新日吉神社を移転させたのかもしれませんね。
妙法院は皇皇族が住職を務める門跡です。
その妙法院が徳川家康と手を組んで、秀吉の神格化を潰したということなのかも?  

③6本の牙がある象

えー、ここからが本題です。(汗)
妙法院の本尊は象に乗った普賢菩薩像です。
普賢菩薩は女人成仏を説く法華経に登場するため、女性から厚く信仰されました。

普賢菩薩が乗っている象には牙が6本あります。

この象を見ていると、お釈迦様のお母さま・摩耶夫人の伝説を思い出します。
摩耶夫人はヴァイシャーカ月に6本の牙がある白い象が胎内に入る夢を見て、お釈迦様を身ごもったというのです。
そしてルンビニーの園でアショーカ樹(沙羅双樹とも伝わります)を摘もうとして手を伸ばしたところ、右脇からお釈迦様が生まれたと。

子供は両脚の間から生まれてくるものですが、余りにリアルに表現するのもアレだよな、ってことで腕と腕の間・・・といっても腕と腕の間には胴体があるので、脇(腕の付け根)から生まれたと表現したのかな?

普賢菩薩は金剛手菩薩とも呼ばれますが、名前に「金剛手」とあるのは、お釈迦様が摩耶夫人の腕(手)の間〈脇)から生まれたこと関係があったりして?

象に6本の牙がある点も、摩耶夫人を思わせますね。

妙法院-門 紅葉 
妙法院



まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。

歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!




にほんブログ村

 
関連記事

[2017/12/03 20:58] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)