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大阪城 紅葉 『日本の城郭都市と乱取り』  

大阪市中央区 大阪城(大坂城)
2009年 11月下旬 撮影

 
大坂城 紅葉
大阪城

①豊臣大坂城の周囲は約約7.8km、江戸城の周囲は約15.8km


大阪城はすごく広いです。
外周3kmぐらいあると思います。
レンタル自転車とかあったら移動が楽でいいのになあ~、と思うことがあります。



グーグルマップをみると堀がめぐらされている様子がわかりますね。
現在この堀がめぐらされている一帯は大阪城公園として整備されています。

大阪城は太閤さん(豊臣秀吉)の城といわれますが、現存する遺構は徳川氏によって作られたものがほとんどです。
徳川氏は豊臣秀吉がつくった大坂城を破壊し、盛り土をした上に新しい大坂城をつくったのです。

http://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi/index.html
↑ こちらのサイトには、もともとの大阪城の規模は現在よりも広く、2km四方にもおよぶ大城郭だったと書いてあります。

城郭とは城、または城と郭(くるわ/城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域)の総称です。

江戸城はもっと大きかったんですよね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1291227312?__ysp=5rGf5oi45Z%2BOIOWkp%2BmYquWfjiDlpKfjgY3jgZU%3D
↑ こちらのサイトには秀吉の築いた大坂城の総構えは周囲約7.8km、家光の寛永期で完成をした江戸城は内郭で約7.8km、外郭では約15.8kmで大阪城の2倍と書いてあります。

皇居 正門石橋 
江戸城(皇居) 

②城郭都市

江戸城、大坂城は城郭都市だといえるでしょう。
城郭都市とは、城壁・土塁・堀などで周囲を囲んだ都市のことです。



上の写真はスペイン・アビラの町です。

ウィキペディアよりお借りしました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Murallas_de_%C3%81vila.jpg?uselang=ja
ありがとうございます。

城壁で囲まれた中に民家がたくさんありますね。
このアビラも城郭都市です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E9%83%AD%E9%83%BD%E5%B8%82
上記ウィキペディアには城郭都市の説明の中に日本の「総構え」があり、
その例として江戸城・大坂城・名古屋城・姫路城・郡山城・広島城・彦根城・福岡城・長浜城・甲府城・金沢城・犬山城・伏見城・米沢城・長岡城・松江城・高知城があげられています。

大坂城 紅葉2 
大阪城

③城下町を戦乱から防護する城郭都市

ウィキペディアに次の様に記されています。

世界各国の大半の城郭都市は、城壁に囲まれた中に
城と街が存在する。
それに対し、日本では堺や寺内町のような堀と土塁で囲まれた都市や町は早くから存在していたものの、初期の城下町では領主の居城のみが堀と城壁に囲まれ、街自体は城壁には囲まれていなかった。
しかし、日本においても城下町が発展すると、経済的および政治的価値が上昇し、それにともない城下町を戦乱から防護する必要性が生じた。
そのため町を堀と塁壁で囲む総構えの構築が増加してゆき、次第に城郭都市化していく傾向をみせた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E4%B8%8B%E7%94%BAより引用

※塁壁とはとりでを囲む壁のことです。

そういえば、豊臣秀吉は京都の町をお土居で囲みましたね。京都の町も聚楽第を中心とした城郭都市であったといえるかもしれません。

北野天満宮 御土居2 

北野天満宮に残るお土居

④外国の城には市民が住んでいたが、日本のお城には殿様一家しか住んでいなかった?

武田邦彦さんが次のように書いておられます。

日本のお城は実に奇妙である。なにしろ城がとても小さく、どんなに大きな名古屋城、熊本城なども1000人も住めないぐらいの大きさだ。そ
れに対して、外国の城というとまったく規模が違う。中国では北京城、南京城、トルコのイスタンブールの城、フランスのパリの城壁・・・
どれもこれも威風堂々として、城の中に数万人から数10万人の市民を全部、収容できる。

なんで日本の城は世界でももっとも小さいのだろうか?

外国の城には市民が住んでいたが、日本のお城には不思議なことに殿様一家しか住んでいなかった?! 

簡単に言うと、外国の戦争は「領土獲得より、奴隷獲得」であり、日本の戦争は「領土獲得だけ」だったからだ。


http://takedanet.com/archives/1013802913.html より引用


うう~ん、申し訳ないですが、武田さんは勘違いされていないでしょうか。

a.外国の城には市民が住んでいたが

これは外国の城と、城壁で囲まれた城郭都市について語っておられるのだと思います。

b.日本のお城には不思議なことに殿様一家しか住んでいなかった?! 

①~③で私たちは、堀や土塁などで囲まれた日本の城郭都市には城下町があり領民が住んでいたということを見てきました。
もしも、ウィキペディア等の記述に間違いがありましたら、ぜひ教えて下さい。
「殿様一家しか住んでいなかった」とおっしゃっているので、これは城郭都市の中の天守閣について語っておられるのでしょう。

外国の城郭都市と、日本の城郭都市の中の一部分である天守閣を比較しても意味がないと思うんですが。

「外国の城郭都市には市民が住んでいた.
初期の日本の城は居城だけしかなかったが、城下町が発達すると日本でも市民が住む町を堀や塁壁で囲む城郭都市が形成された。」
というのが正しいのではないかと思えます。

武田さんがあげておられる名古屋城も、ウィキペディアは城郭都市の例としてあげています。

上に掲載したスペインのアビラの城壁が作られたのは、1085年、イスラム教徒に占領されていた町をカスティーリャ=レオン王・アルフォンゾ6世が奪還したあと、アルフォンソ6世の娘婿ラモン・デ・ボルゴーニャによってとされます。
今も城壁がよく保存されていますね。

ところが日本では空襲を受けて多くの建物が破壊されたり、町が近代化する中で、城郭都市が古の姿をとどめているケースが少ないということだと思います。
武田さんの他にも、同じようなことを言う人がいますが、それは現代の城の姿を頭に思い浮かべるためではないでしょうか。

大坂城 紅葉3

⑤乱取り

武田さんは次のようにもおっしゃっています。

c.外国の戦争は「領土獲得より、奴隷獲得」であり、日本の戦争は「領土獲得だけ」だったからだ。

しかしながら、ウィキペディアには次のような記述があります。

戦国時代から安土桃山時代にかけて、戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為。一般には、これを略して乱取り(らんどり・乱取)と呼称された。

当時の軍隊における兵士は農民が多く、食料の配給や戦地での掠奪目的の自主的参加が見られた。人狩りの戦利品が戦後、市に出され、大名もそれら乱暴狼藉を黙過したり、褒美として付近を自由に乱取りさせた。それら狼藉は悪事ではないとされた。

凶作・水害・疫病が起こると、大名は食料獲得のため隣国へ戦争をした。
その結果として領土を獲得し、家臣団に与えて下剋上の芽を摘み取った。
その上で、戦場付近の村を襲い、農作物を根こそぎ奪い、女・子供をさらい売り払うか奴隷にするかした。
女性奴隷の一部は、交易を行うポルトガルによって欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られた。
人身売買の相場は、通常2貫文(約30万円)であったが、大量に乱取りが行われる戦の直後は25文(約4千円)に急落した。
女性を強姦し、抵抗する者は殺した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A より引用

日本でも戦争に負けると領民が奴隷にされることがあったようですね。

大阪城 夕景 


※追記

下の動画を見ると、江戸時代、名古屋城天守閣の周囲に民家があり、民家の外側に堀がめぐらされているのが確認できます。
城壁の有無はわかりませんが、堀も防御システムのひとつだと考えられます。
1870年(明治3年)に徳川慶勝が新政府に名古屋城の破却を申し出ていますので、それまで名古屋城には尾張徳川氏が住んでいたのではないかと思います。
名古屋城は城郭都市だったのです。
そして古の名古屋城は現在よりももっと広大な城であったのです。



動画お借りしました。
動画主さん、ありがとうございます。



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[2017/11/20 00:00] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)