多賀大社・・・滋賀県犬上郡多賀町多賀604
秋の訪れをつげる蕎麦の花

これは何の花かな?↓
ここで採れた蕎麦の実が寿命蕎麦になるのかな?
多賀大社境内にある寿命蕎麦の店 ↓
あいにくお腹いっぱいで、食べられなかったw
次回はお腹すかして参拝しよう。
寿命蕎麦という名前は、境内にある寿命石からつけられたのでしょう。↓
鎌倉時代、僧・重源は61歳のとき、東大寺再建を願って伊勢神宮に17日間参籠しました。
擦ると天照大神があらわれて、「東大寺再建のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願しなさい」と告ました。
重源が多賀社に参拝すると「莚」の字の形に虫食いあとのある柏の葉が舞い落ちてきた。
莚=廿(二十)+延
なので、寿命が二十年伸びるということだ!
と重源は喜んだ。
重源はこののち20年の歳月をかけて東大寺再建をはたしたあと、多賀大社にお礼参りにやってきて石に座ってそのまま亡くなったといいます。
多賀大社休憩所より多賀大社拝殿を望む。↑
さざれ石
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
君が代の元歌です。
岐阜県揖斐川町春日には君が代の由来となったといわれるさざれ石があり、藤原朝臣石位左衛門が詠んだ歌だとして次のように伝えられているのだとか。
惟喬親王に仕えていた木地師の藤原朝臣石位左衛門は、親王より「よい椀生地を探せ」と命じられました。
そこであちこち探し回って春日村を発見し、ここに移り住みました。
石位左衛門は春日村と京を行き来する途中で「さざれ石」を発見して
♪ わが君は 千代に八千代に さざれ石の 磐となりて 苔のむすまで
と詠みました。
木地師の藤原朝臣石位左衛門のいう「わが君」とは惟喬親王のことだと考えるのが自然でしょう。
多賀大社のさざれ石は岐阜県揖斐川町春日産のものです。
多賀大社 御神田
実りの秋ですね~
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生石神社(おうしこじんじゃ)・・・兵庫県高砂市阿弥陀町生石171
友人が工場夜景を見に行こうと誘ってくれたので、行ってみたら、
そこはなんと生石神社でした。以前から一度行ってきたいと思っていたのです♪
しかし、駐車場には『午後5時に施錠します』と書いてあります。
すでに午後5時をまわっているし、「だめじゃーん、他の駐車場探さないと~」と友人と話していると
神社の方が来られて「駐車場あけときますから」と言ってくださいました。
ありがとうございます~!
拝殿・本殿の向こう側には巨大な岩が!
ご神体の石の宝殿です。すごいね!

池の上に浮いてるように見えますよ。
これ以上後ろに下がれないので、写真はこれが限界。
広角レンズがほしい~。


後部はこんな感じになっています。
石の宝殿から山上公園にむかう階段が続いています。(写真はないけど、岩を掘って階段にしてありました。)

こんな感じで工場がみえます。夜景というより夕景だけどw

山上公園からおりる階段から撮影した石の宝殿と割拝殿 ↓

社伝によれば、崇神天皇代、疫病が流行したとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたといいます。
同様の話は日本書記にあり、そちらの話では疫病を流行らせているのは大神神社の大物主で、自分の子であるオオタタネコを神官にすれば疫病は収まる、と告げたとあります。
ほか、いろいろな文献に記述があるようですね。
播磨国風土記 | 原の南に作り石がある。 家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。 伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石という。 |
万葉集 | 巻三、生石村主真人の歌にある志都乃石室は、生石神社の石の宝殿をさすか? 「大汝(おおなむち) 少彦名の いましけむ 志都の石屋は 幾代経にけむ」 |
播州石宝殿略縁起 | 神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を作った。 しかし当地の阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧する間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。二神は、未完成の宮殿に鎮まり国土を守ることを誓った |
峯相記 | 天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった |

幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m。重さは推定500トンを越える。竜山石として知られる凝灰岩の岩山の中腹を削って作られており、三方を加工前の岩盤に囲まれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%AE%9D%E6%AE%BF#生石神社の石宝殿
より引用
https://石の宝殿研究会.com/clean-up/
上のサイトをみると、池の下には蛙の置物のようなものがあるようです。水の上からでも見えるようですが、夕方で暗かったので気が付きませんでした。
割拝殿 ↓

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奈良県生駒市 宝山寺

宝山寺の本堂。本堂の後ろは朝日嶽で、般若窟 があります。役小角が般若経を納めたといわれていますよ。

般若窟には弥勒菩薩像が祀られていました。

本堂の向かって左にあるのは聖天堂拝殿。
聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神がい抱き合う男女双体の神です。
もともとインドの神であったのが仏教にとりこまれました。
わかりにくいですが、鳥居には「歓喜天(聖天さんのことを歓喜天ともいいます)」と記されていました。
鳥居を作るのは日本の神だけかと思いましたが、仏教の神にも鳥居をつくるんですね。
また聖天堂に拝殿をつくるというスタイルも始めてみました!

聖天堂拝殿。広角レンズがないと全部入らないですw
聖天さんのシンボルの巾着袋が置かれていますね。巾着の柄はわかりにくいですが打出の小槌でした。

聖天堂拝殿前に置かれた大根が描かれた巾着袋。
大根と巾着袋は聖天さんのシンボルです。

西門付近から聖天堂拝殿、本堂を望む。

多宝塔

多宝塔内部。写真撮影ok~。日曜日は開扉していますよ。

浴室もありました。御坊様が使われるのでしょう。
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兵庫県加古川市志方町広尾1029 円照寺
塀から零れ落ちそうなのうぜんかづらの道
塀の向こう側に見えているのは花の寺・円照寺

珍しいピンク色の彼岸花
1441年に創建されたお寺で、1998年に100m北から現在地に移転したとのこと。
1441年は嘉吉の乱(かきつのらん)があった年ですね。
室町幕府第4代将軍足利義持は息子・足利義量が20歳で亡くなってしまったため、将軍代行を務めていました。
1428年に義持は亡くなりました。
室町幕府では後継者争いを避けるため、嫡男以外の男子は全員出家んするしきたりとなっていました。
しかし嫡男が亡くなっていたため後継者がおらず、義持の4人の息子からくじびきで将軍を決めることにしました。
その結果、比叡山の義円(義教)が還俗して6代将軍に就任しました。
義教は『クジ引き将軍』とからかわれるのが悔しかったのか、守護大名の権力をそぎ、将軍の権力強化を目指します。
義教は守護大名の中でも特に権力があった三管領、斯波家・畠山家や、四職である京極家・山名家の後継者決めに介入。
1439年に起こった永享の乱で将軍の命令を無視していた鎌倉公方の足利持氏を自害に追い込み、鎌倉府を廃止しました。
そのほかにも守護大名を取り潰し、公家の領地(荘園)没収・暗殺、延暦寺を従属させるなどして、万人恐怖と呼ばれるようになります。
義教は播磨(兵庫県)・備前・美作(岡山県)などを治めている守護大名で四職の一つ・赤松家の領地の播磨国を没収し、従兄弟に与えようとしました。
また赤松満祐の弟の領土が没収されたり、同じく四職であった一色家や有力守護大名の一つであった土岐家の当主が暗されるなどの事件がおこりました。
このようなことがああって満祐は将軍暗殺を決意します。
1441年、赤松家はこの頃関東で起きていた結城合戦の勝利のお祝いの宴会で、義教を自宅に招きました。
そして赤松家の家臣たちが宴会に乱入し、義教を斬り殺したのです。
しかし赤松家は山名家を中心とする幕府軍によって攻められ、満祐は自害しました。
赤松家の領地は山名家に与えられ、山名家が治めている領地は8ヶ国となって権力を増大させていきます。
義教の弟・義持の息子は他に3人いたが、彼らは義教によって殺されたり自害に追い込まれていました。
そこで幕府はやむなく義教の息子である足利義勝を9歳で将軍職につけましたが2年後に病死、義勝の弟・義政が8歳で第8代将軍となります。
政治の実権は山名家や畠山家などの管領たちによって行われるようになりました。
管領は義教が没収した守護大名の領地を再び与え、これ以降守護大名の権力が増大し、幕府の権力が弱まっていきます。
山名家と細川家が権力をつけ、二大守護大名の時代となっていきます。
赤松家は衰退しましたが、1443年に三種の神器が奪われる事件が起きた際に赤松家の家臣たちが活躍して手柄をあげ、加賀国の守護となっています。
兵庫県加古川市志方町高畑544の円福寺は赤松は赤松満祐が1397年に創建したと伝わりますので
同じ志方町にあって嘉吉の乱がおこった1441年に創建された円照寺も赤松氏や赤松満祐と関係のあるお寺なのかも?
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道の駅にこんなものが!
椅子じゃないですよw 竪穴式住居跡です。
説明板より
説明板より
説明板より
道の駅丹波おばあちゃんの里の敷地内に、七日市遺跡があるんですね~。
旧石器時代から平安時代まで続いた複合遺跡とのこと。
あれっ、説明版のイラストが風景の中に飛び出したw
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木津川にかかる流れ橋
↑ ポスターより
大きな入道雲が発生
京都府久世郡久御山町と八幡市を繋ぐ橋です。
橋を行き交う人ひとりひとりに物語が感じられますね。
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