阪急池田市駅周辺
がんがら火祭・・・8月24日(2020年は中止)
①池田の町を死者が練り歩く?
がんがらと町中に響き渡る鉦の音、松脂の焦げるにおいはどこか懐かしく、なぜか心が高揚してしまいます。
がんがら火は二本の松明を上部で合わせて山型にしたもので、『人』という文字に見えます。
がんがら火はお盆にこの世に戻ってきた死者の霊が池田の町を練り歩くさまを表したものなのではないでしょうか。
大文字と大一文字の送り火が点火されます。

②大は天で、一は地?
送り火の 『大』や『大一』は何を表すものなのでしょうか。
『大』は星を象ったものだとか、人間を表す、『大』は天で『一』は地を表しているなどの説があります。
『大』は天、『一』は地を表すものであるならば、『大』は男性を、『一』は女性を表しているといってもいいと思います。
陰陽の考え方では、天が陽で、地が陰。
また、日が陽で、月が陰。
男が陽で、女が陰となっているからです。
また、八卦では乾の卦は自然では天を表しますが、家族では父(男性)を表します。
坤の卦は自然では地を表しますが、家族では母(女性)を表します。
③逢瀬と先祖供養の関係は?

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
旧暦ではお盆は7月15日を中心として行われており、7月7日の七夕は盆の入りの行事でした。
お盆には死者の霊がこの世に戻ってくると考えられ、その供養を行う習慣がありますね。
いっぽう七夕は牽牛と織姫が1年に1度の逢瀬を楽しむ日とされています。
逢瀬と先祖供養はどう関係があるのでしょうか。
盆の時期には死者の霊が戻ってくると考えられていましたが、死者の霊の中には荒霊のような人に禍をもたらすものもあります。
そのため、このような荒霊を鎮魂する必要があると昔の人々は考えたのでしょう。
そして男女和合は荒霊を鎮魂する方法だと考えられたのではないかと私は思います。
神はその表れ方によって、御霊・和霊・荒霊の3つに分けられるといいます。
そして女神は和霊を、男神は荒霊をあらわしているとする説があります。
ということは御霊とは男女双体ということになりますね。
御霊・・・神の本質・・・男女双体
和霊・・・神の和やかな側面・・・女神
荒霊・・・神の荒々しい側面・・・男神
神と霊はほとんど同じものだと考えてもいいと思います。
そして伏羲、女媧は二柱の蛇身の神がからみつく男女双体の姿で現され、伏羲の右手と女媧の左手はつながっていますが
仏教の神・大聖歓喜天もまた男女双体の姿をしています。
この歓喜天の説話を読めば、男女双体の意味がわかると思います。
昔、インドの国中に不幸なできごとが蔓延し、それらはビナヤキャの祟りであるとされた。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。 上の絵ではわかりにくいですが、歓喜天はビナヤキャ女神が、ビナヤキャの足をふみつける姿で現されます。
日本には道祖神という男女双体の神がいます。。
道祖神は一般的には手をつなぎ合う姿で現されますが、中には足を踏みつけているものや、和合する姿のものもあります。
おそらく伏羲&女媧、歓喜天、道祖神は習合されているのだと思います。
このように、荒霊(男神)に和霊(女神)を和合させることで、御霊(仏法守護の神)となるという考え方が古にはあったのではないかと思います。
そのためお盆の行事として牽牛と織姫が逢瀬を楽しむ七夕の行事があり、がんがら火祭では天=男性を表す『大』と地=女性を表す『大一』の送り火を点火するのではないでしょうか。
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晴明神社を出て堀川通を北に向かって歩いていくと、ワインレッド色の楓の木が。
その楓にひきよせられるように近づいてみると、そこは慈受院というお寺でした。
1428年、室町幕府4代将軍・足利義持の正室の栄子が、義持の遺言を受けて個室の菩提を弔うために創建したお寺です。
その後、皇族・将軍家・近衛家・花山家が住職を務める門跡寺院となりました。
三条東洞院の高倉宮御所跡(中京区曇華院前町の東)に通玄寺という3代将軍・足利義光が創建したお寺がありました。
慈受院は曇華院・総持院とともに通玄寺の三子院のひとつとされていました。
慈受院は竹之御所、総持院は薄雲御所と呼ばれていました。
のちに通玄寺と曇華庵は合併し、曇華院と改称されましたが、1864年の蛤御門の変で焼失してしまいました。
慈受院は廃絶したようですが、総持院が両院の法灯を引き継ぐとして、寺号を慈受院と改めました。
しかし、寺名を改めたのちも、薄雲御所と呼ばれたようです。
ううーん、ややこしいですね~。
わかりやすいように、まとめておきますね。
通玄寺の三子院
①曇華院・・・通玄寺と曇華庵が合併し、曇華院と改称された。1864年の蛤御門の変で焼失。
京都市中京区曇華院前町
②慈受院(竹之御所)・・・廃絶
京都市上京区荒神口通寺町東入北側
③総持院(薄雲御所)・・・大正時代、総持院と慈受院の法灯を引き継ぎ慈受院と改めるが、薄雲御所はそのまま。
京都市上京区京都市上京区堀川通寺ノ内上ル百々町
●源氏物語ゆかりの寺院 慈受院前の案内板には「源氏物語ゆかりの寺院」と記されています。
これはどういうことなのでしょうか?
源氏物語の主人公・光源氏のモデルは、源徹・源高明・光孝天皇・藤原伊周・源光・嵯峨天皇・藤原実方など、諸説ありますが
藤原道長も光源氏のモデルではないかと言われています。
旧慈受院はその道長が創建した法成寺の旧地にありました。
そういうことで、源氏物語ゆかりの地だというのですね~。
ただ、現在の慈受院は、もともと総持院があった場所にあり
総持院は廃絶した慈受院の法灯を引き継いで慈受院と改称したのですから、少々、むりくり感が~。
けれど、総持院はもともと「薄雲御所」と呼ばれていました。
そして源氏物語の中で、光源氏は藤壺中宮が亡くなった際にこんな歌を詠んでいます。
入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる(夕日がさす峰にたなびく薄雲の色は、私の喪服の袖に色を似せているのだろうか。)
総持院が「薄雲御所」と呼ばれたのは、この光源氏の歌と関係があるのかもしれませんね。
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智積院(京都市東山区)
写真と全然関係ないけど、「ガラスの仮面50巻」いつ発売になるの?
マヤちゃんと真澄さん、亜弓さんとハミルさんどうなるのかな、紫織さんはどうなっちゃうんだろう、と気になって仕方ないんですがw
こないだ読み返してみたら、新幹線が0系だったw
それなのにしばらくしたら携帯電話使ってたりする。
時間の流れが不思議なのもこの漫画の魅力w
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水火天満宮

赤く色づいているのは野村楓? 遠くに見えているのは比叡山?
水火天満宮 しだれ桜 『平敦盛は皇統だった?』 もよかったら読んでくださいね。
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8月7日は立秋でした。
テレビでアナウンサーが「こんなに暑くて秋の気配なんて感じられませんが」と毎年のように言います。
でも昔もこんな暑い中で立秋を迎えていたのではないかと思います。
二十四節気とは1年を24分割して分割点を含む日に季節を表す名称をつけたものです。
なぜ二十四節気が用いられていたのでしょうか。
江戸時代まで日本では太陽太陰暦(旧暦)を用いていました。
月の周期は約29.5日なので、 1年=29.5日×12ヶ月=354日となります。
ところが、地球が太陽の回りを一周するのに要するのは365日なので、太陽太陰暦は実際の季節とは1年で約11日もずれてしまいます。
そのため、4年に一度閏月を設けて修正する必要がありました。
太陽太陰暦では月齢がそのまま何日であるかを示します。
これは月がカレンダーがわりになるということで、紙が貴重品だった時代には大変便利でした。
けれど太陽の運行によって生じる季節とは、最大で一ヶ月もずれてしまい、農作業などに不便が生じます。
そこで1太陽年(太陽が黄道上の分点(春分・秋分 )と至点(夏至・冬至)から出て再び各点に戻ってくるまでの周期。約365.2424日)を24に分割した二十四節気を太陽太陰暦と併用していたのです。
つまり、古も今も立秋は新暦(太陽暦)の8月7日ごろだったのです。
旧暦では約1か月遅れの7月ごろでした。
また、旧暦では1月、2月、3月を春、4月、5月、6月を夏、7月、8月、9月を秋、10月、11月、12月を冬としていました。
ざっくりと新暦換算すると約1か月遅れの2月、3月、4月が春、5月、6月、7月が夏、8月、9月、10月が秋、11月、12月1月が冬となります。
つまり、我々の先祖はもっとも暑いさなかに秋を迎えていたのですね。
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毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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西洋あさがおの一種「そらいろあさがお」
花はかわいいけど、種に毒があるらしい。
リゼルグ酸アミドという成分が含まれており、これはLSDに似ていて幻覚症状を引き起こすんだとか。
これを服用してトリップし、意識不明になった人もいるらしい。
和朝顔の種も毒性がきつく、下痢をひきおこすとのこと。
追記/梅雨があけたら暑すぎるのか、朝顔の蕾が開かないまましおれてしまうようになってしまいました(涙)
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渡月橋を超えると嵐山に法輪寺がある。
十三歳になった子供はこの橋を超えて法輪寺へ十三詣をする。
虚空蔵菩薩より知恵を授かるために。
渡月橋はこの世とあの世をつなぐ橋。
参拝を終えて渡月橋を渡るとき、後ろを振り返ってはいけない。
イザナギは黄泉の国で後ろを振り返り、腐ったイザナミの姿を見た。
すると恐ろしい黄泉のしこめがイザナギを追いかけてきた。
うっかり橋の上で振り返ると、そんな目にあい、せっかく授かった知恵を失ってしまう。
だから後ろを振り返ってはいけない。
橋の後ろにある嵐山、そこは黄泉の国なのだから。
法輪寺参照/
渡月橋 桜 『決して後ろを振り返ってはいけない!』 まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
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