Author:佳音
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守口市史編纂委員会は調査結果より次のように説明しています。⑴2世の時代以降に北朝方の足利義満から圧力を受けて創建当初の堂宇を維持できなくなった。⑵住職相続を直檀家の内34家からなる床仲間からくじ引きで決めていたため、代替わり毎に相続者の居村に移転した。⑶同村の者が相続した場合は移転していない。
来迎寺③幽霊の足跡この寺には幽霊の足跡と呼ばれる足形が伝えられています。
1743年7月14日、35世慈天上人の前女の幽霊が現れてこう言いました。「私は江戸にで天筆如来さまのご縁にあいました小網町の大工の妻お石と申します。臨終の際、主人が葬いもしてくれませんでしたので、成仏できずに迷っています。どうかご回向をして下さい。」慈天上人は幽霊に「心光清蓮」という法名を授け、座具を敷き幽霊をその上にたたせて念仏回向しました。すると幽霊は「迷いはさめ、仏さまのもとへ参れます。」といい足跡を残して姿を消しました。えーっ、幽霊なのに足跡?幽霊って足なかったんじゃないの?以前、大阪市平野区の大念仏寺にある幽霊博物館で、幽霊の絵を見たことがあります。もう随分昔のことなので、ほとんど忘れてしまいましたが、その図録が手元にあります。 大念仏寺平知盛亡霊図、菅公怨霊図、仙台高尾亡霊図などなど。写真が小さくて確認できない絵もありますが、明確に足が描かれているものはないです。幽霊の足がなくなったのは、円山応挙(1733~1795年)が足のない幽霊を描いて以降、と言われます。来迎寺に幽霊が現れたのは1743年で、このとき円山応挙はまだ10歳。1743年にはまだ足のない幽霊が登場していなかったのかも?地獄絵に描かれた亡者には足は描かれていますけどね。 西福寺 地獄絵それはともかく、私が気になるのは、融通念仏宗の寺に幽霊の絵が残されているということです。幽霊の足跡がある来迎寺は現在は浄土宗ですが、もともとは融通念仏宗。幽霊博物館がある大念仏寺は融通念仏宗の総本山です。融通念仏宗は幽霊と関係が深い宗派だったりして? 来迎寺(4枚とも)※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!にほんブログ村
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