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山田神社 (枚方市) 雪 『山田神社末社の石神社はミシャグジ様?』 



大阪府枚方市山之上 山田神社


山田神社 由緒書

①安倍晴明が加持祈祷した石を祀る石神社

山田神社の由緒書に次のように記されていました。

末社 石神社
寛弘元年、 安倍晴明 藤田ノの里に滞在シテ修業シタ時ノ加持石ヲ田中修理亮芳秀ガ本社ノの傍ニ祀ル


寛弘元年(1004年)安倍晴明が藤田の里で修行したときに用いた鍛冶石を、のちに田中修理亮芳秀が祀ったのが石神社だということですね。

田中修理亮芳秀が山田神社を創建したのは1279年ですから、そのころ石神社も作られたということになります。
しかし、加持石はそれ以前からこの場所にあったということでしょう。

「藤田の里」とありますが、山田神社の前を流れる川は藤田川(とうだがわ)といいます。
現在山田神社がある場所はかつて藤田の里と呼ばれていたということではないかと思います。

それではお参りしましょう~。

山田神社 雪2 
あれっ?本殿の横に石神社があるはずなのにありません。

山田神社 本殿 
扉をあけてみると梁の部分に石神社、春日神社と書いてありました。

山田神社 本殿 石神社 春日神社 
↑ 建物の中に3つの社が並んでいました。
建物は本殿ではなく、拝殿だったんですね。
拝殿の中にある3つの社は中央がスサノオ・イナダヒメを祀る本殿、向かって右側が春日神社、向かって左が石神社です。

②物部氏と安倍氏の関係

枚方市・交野市あたりはかつて交野ケ原と呼ばれ、平安貴族たちの狩猟の場であったといわれます。
そのため惟喬親王や在原業平にまつわる伝説が多いですが、安倍晴明の伝説は初めて聞きました。

交野が原と呼ばれるこの地域は古くは肩野物部氏の土地であったといわれます。
物部氏と安倍氏は関係なくもないように思います。

というのは次のような伝説があるからです。

初代神武天皇は九州より東征して現在の大阪あたりから上陸。
しかし、そこにはすでに天孫(天照大神の子孫)であるニギハヤヒ(物部氏の祖神)が天下っており、ナガスネヒコがニギハヤヒを神として奉じていた。
神武とナガスネヒコは戦うが、ニギハヤヒは神武に服してしまい、ナガスネヒコはニギハヤヒによって殺された。

ナガスネヒコにはアビヒコという兄がおり、津軽地方へのがれた。
アビヒコは安倍氏の祖とも伝わる。


安倍晴明の生没年は921年~1005年(83~84歳)なので、晴明がここで加持祈祷をしたのは、かなり晩年のことになりますね。
もしかしたら、鍛冶石は安倍晴明の霊が宿る石として信仰されており、そこから安倍晴明の加持石であるといわれるようになったのかも?

安倍晴明神社 阿倍晴明像 

安倍晴明神社 安倍晴明像


③石神社はミシャグジ様

石神社という名前は聞いたことがあります。

http://kntryk.blog.fc2.com/blog-entry-609.html


参拝したことはないんですが、名古屋市南区に石神社があります。

石神社はミシャグジ様と呼ばれ、杓子を奉納する習慣があるということです。
山田神社末社の石神社には杓子は奉納されていませんでしたが、
もしかして、山田神社境内にある石神社もミシャグジ様?


山田神社 末社 春日神社 

春日神社

ミシャクジ様の正体については、下記に書きました。
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-29.html


だけど記事が1~18まであって長いんですよね~。
特に下記2つの記事を読んでいただければ嬉しいなと思います♪

ミシャグジ様の謎 ⑯ 『糸切餅は何をデザインしたもの?』 
ミシャグジ様の謎⑰ イザナギ&イザナミは物部氏の神? 


山田神社 末社 石神社 

石神社

山田神社 雪 




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[2020/03/07 23:15] 大阪府 | TB(0) | CM(0)