Author:佳音
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その後、全国各地に近代式水道が布設されていきますが、明治の末期で全国で23水道、普及率8.4%。1925年(大正14年)で106水道、普及率20.7%です。 (ソースはこちら→http://www.city.toyohashi.lg.jp/3984.htm)https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190524-00125728/また、上記サイトに上水道普及率のグラフが掲載されています。これによると戦後の1950年の上水道普及率はわずか26.2%にすぎません。戦時中はまだ近代水道が普及しておらず、蛇口をひねったら水が出るという状態ではなかったのでしょう。 ④1903年、消防用ホースが製造される。ホースは400年ほど前にドイツにおいてはじめて用いられたとされますが、日本で最初に作られたのは1886年(明治19年)で、神戸の土谷護膜製造所が製造したゴム製のホースだそうです。。消防用ホースは1903年(明治36年)に日本製麻大阪工場(現帝国繊維)で製造されました。ドイツで作られていた初期の消防用ホースは、鞣革(なめしがわ/薬品などを用いて柔らかくした皮)を縫い合わせてリベット止めをしたものだったそうです。リベットとは金属製の釘のような形をした部品で、穴に差し込んで専用工具でかしめ、反対側の端部を塑性変形させて接合させます。鋲のある長い筒みたいなものんだったのでしょうか。しかし皮ホースは重くて硬いので、苧麻(ちょま)、亜麻(あま)などの麻織物にかわります。その後、ゴム製のホースが登場しますが、消防用のホースは現在も織物です。内側にゴムコーティングを施してあるそうです。水を通さないときは平たく潰れるので、収納スペースをとりませんね。 これは大阪市消防出初式で撮影したものです。 ⑤消防車の登場1911年、大阪市がドイツからベンツ社製の消防ポンプ車を輸入。1914年には横浜市がイギリス・メリーウェザー社より、名古屋市がベンツ社製の物を購入しています。1917年には東京市はアメリカン・ラフランス社から消防ポンプ車を購入しました。日本製消防ポンプ車の製作は1939年以降ということです。1939年はちょうど太平洋戦争がはじまるころですね。ですが数は足りていなかったでしょうし、戦争中なのでみんなで力をあわせようということでバケツリレーの訓練なども行ったのでしょう。しかし、空襲に対してバケツリレーはあまりに防御力がなく、日本の多くの都市が焼け野原になりました。
乾燥するシーズンになりますので、火の要鎮をこころがけましょうー。大阪市消防局のヘリコプターがメッセージをもってやってきました。小さくてわかりにくいかもしれませんが、手にメッセージの入った筒をもっています。 ※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。にほんブログ村
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