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鶏足寺 紅葉 『天照大神の足跡』 


滋賀県長浜市 鶏足寺

鶏足寺付近2

鶏足寺付近

①鶏を神使いとする十一面観音

鶏足寺って変な寺名だなあ?
なぜそんな名前つけたんでしょう?

紅葉が美しい寺なので、鶏の足を紅葉に見立てたとかw?

調べてみると、そうではありませんでしたw。

奈良時代、行基(668?―749年)と、泰澄(682?ー767年)が近江の国の鬼門・己高山(こだかみやま)に常楽寺を創建し、十一面観音をご本尊としました。

平安時代、最澄(767?ー812年)がこのあたりにやってきたとき、不思議な鳥の声がしました。
道には鳥の足跡がついていたのでたどっていくと、朽ちた寺に十一面観音があったという伝説があります。
それで鶏足寺と名付けられたようです。

つまり、不思議な鳥の声とは鶏の「コケコッコー」という声だったのでしょう。
そして鶏は飛べない鳥なので、道に足跡がついていたのでしょうね。

鶏は朽ちた寺の十一面観音の神使だったということでしょう。


鶏足寺付近3 

鶏足寺付近

②本地垂迹説
 
鶏は伊勢神宮の神使です。

そして明治の神仏分離令まで神仏は習合して信仰されていました。
神仏習合のベースとなったのは本地垂迹説という考え方です。


本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うために仮に姿を現したものである、とする考え方のことで
仏教の神々が衆上を救うために仮に姿を表した日本の神々のことを権現
日本の神々のもともとの正体である仏教の神々のことを本地仏といいます。

つまり鶏足寺の本地仏は十一面観音であり、天照大神は十一面観音の権現ということになります。

鶏足寺付近 
鶏足寺付近

③石上神宮と伊勢神宮は関係がある?

と書きましたが、鶏を神使いとしているのは伊勢神宮だけではありません。
奈良県天理市にある石上神宮も鶏を神使いとしています。

伊勢神宮の古名は「磯宮(いそのみや)」といい、「いそのかみ」と関係があるのではないかとも言われています。

鶏足寺4 
鶏足寺

④天照大神は男神だった?

石上神宮は物部氏が祭祀する神社だが、磯部氏の祖神・ニギハヤヒは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神ではないかともいわれています。

天照大神は女神とされていますが、ニギハヤヒは男神です。
しかし、天照大神を男神とする伝承は各地に伝わっており、祇園祭・岩戸山のご神体の天照大神も男神です。

岩戸山ご神体 天照大神 

岩戸山ご神体 天照大神

記紀神話ではアメノウズメのストリップダンスを見て神々がどっと笑い、天照大神は不思議に思って岩戸をすこし開けて外を覗いたとありますが
この神話は天照大神がアメノウズメのストリップダンスに興味を持って岩戸の外を覗いたというようにも読めます。
女神のストリップダンスに興味を持つのは男神だ、よって天照大神は男だ、とする説もあります。

鶏足寺6 
鶏足寺

⑤石上神社、伊勢神宮、石切神社に共通する五角形(鶏足寺はニギハヤヒと関係がある?)

石上神宮の御祭神はフルノミタマという、剣の霊ですが
ニギハヤヒを祀る石切神社のシンボルは剣です。

石切駅 

石切駅付近

この剣、熨斗を包む紙に似ていませんか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%A8%E6%96%97#/media/ファイル:Noshi.gif


熨斗とは本来、アワビの肉を薄くそいで乾燥させて伸ばすという作業を繰り返してつくった熨斗鮑のことでした。
剣形に折った紙はこの熨斗鮑をつつむためのものです。

伊勢神宮では6月と12月の月次祭(つきなみさい)、10月の神嘗祭(かんなめさい)に熨斗鮑を奉納する習慣があるということです。

また伊勢の名物といえば赤福餅のほか、生姜糖がありますが、この熨斗の形をしていますよ。

https://iwatoya.shop-pro.jp/?pid=90423357

もしかして、天照大神とはニギハヤヒのことであり、熨斗が五角形なのはニギハヤヒを御祭神とする石切神社のシンボル・剣を象ったものであるなんてことないかな?

長々と語ってしまいましたが、言いたいことは、鶏足寺の十一面観音がニギハヤヒと習合されている可能性があるということです。

そしてニギハヤヒは神武より早く天の磐船を操って畿内に天下った神で、のち日向より東征してやってきた神武に服した(政権を譲った)神です。

鶏足寺2 

鶏足寺

⑥長屋王はニギハヤヒのイメージと重ねられた?

創建に行基や泰澄の名前がでてくるのは、彼らの次代、このニギハヤヒのイメージに重ねられた人物がおり、その人物を祀るために常楽寺(のちの鶏足寺)が創建されたのではないかとも考えられます。

とすれば、ニギハヤヒにイメージが重ねられた人物として長屋王が浮かび上がってきます。

というのは、有馬温泉にこんな伝説が伝えられているのです。

行基は旅の途中で出会った病人を有馬温泉に連れていきました。
病人は「温泉では私の皮膚病は治らないので、舐めてくれないか」と行基に頼みました。
行基はためらうことなく、膿んで異臭のする病人の肌を舐めました。
すると病人の肌は金色に輝いて薬師如来になりました。


これと同様の伝説が光明皇后にもあります。

光明皇后は法華寺に浴室を建立し、千人の民の汚れを洗い流そうと願を立てました。
千人目は膿のある病人で、病人は皇后に『膿を口で吸い出してほしい』と頼みましだ。
皇后が病人の膿に唇を近づけたとたん、病人は阿閦如来になりました。 


膿のある病人とは天然痘のことだと思います。
で、貧乏神はいかにも貧乏そうな姿をしていますね。
天然痘をはやらせる神は天然痘を患った姿をしていると考えられていたのではないでしょうか。

鶏足寺  
鶏足寺

そして光明皇后は天然痘を流行らせる神をたいへん恐れていたのではないかと思います。

729年、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)は、長屋王が謀反を企てているとでっちあげ、長屋王を自殺に追い込みました。(長屋王の変)
長屋王を廃した藤原四兄弟は妹の光明子(光明皇后)を人臣初の皇后とすることに成功します。
しかし737年、天然痘が流行り藤原四兄弟は次々に天然痘にかかって死亡してしまいました。
そしてそれらは長屋王の怨霊の祟りだと噂されたのです。

天然痘を患った病人とは長屋王の怨霊だと思います。
しかし光明皇后が怨霊の体を洗って浄めたので、怨霊は荒魂から和魂に転じ、本地垂迹説で阿閦如来に転じたという話だと思います。

※神は現れ方で御霊・荒魂・和魂の3つに分けられるといいますが、和魂=仏と考えられたのではないでしょうか?
御霊・・・神の本質
荒魂・・・神の荒々し側面
和魂・・・神の和やかな側面・・・仏

すると同様の話なので行基が出会った病人とは長屋王のことではない思われます。

鶏足寺の十一面観音は長屋王のイメージを写したものだったりして?

鶏足寺3 

鶏足寺5 

鶏足寺 





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[2020/01/07 14:50] 滋賀県 | TB(0) | CM(0)