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柿屋と古老柿 『平安時代、古老柿は朝廷の祭礼で用いられていたかも?』 

京都府綴喜郡宇治田原町 柿屋
2019年12月1日 撮影


宇治田原 柿屋4 
①柿屋と古老柿

宇治田原に出かけた目的のひとつは、柿屋を見ることでした。
どこに行ったら柿屋を見ることができるのかな?
あっ、ありましたよ! ラッキーでした。

柿屋とは、宇治田原の名産品・古老柿をつくるための設備で、藁で作ってあります。
刈り取った稲藁を使うんじゃないでしょうか。

毎年11月ぐらいになると刈り取りの終わった田圃に建てられます。
土地の有効活用ですね。
藁の屋根は風が抜けるのでつぶれにくく、結露もたれないという利点があるそうです。

古老柿に用いられるのは「鶴の子柿」という渋柿です。
このあたりは宇治茶の生産地で茶畑が多いのですが、その茶畑の霜よけとして古くから植えられてきたものだということです。

宇治田原 茶畑

作り方は次のとおり。

1.先端が二股になった竹竿で、「鶴の子柿」という小ぶりの渋柿を収穫する。
2.柿のへたをとって皮をむき、柿屋の棚に並べて15~20日乾燥させる。雨の日は柿を濡れない場所に移動させる。
3.夕方になったらシートやむしろでくるむ。こうすることで内部の水分とともに糖分が表にでてきて白くなる。
4.柿屋から柿をおろし、むしろに広げ、箕の上で柿をころころと回転させる。(この作業を「柿を躍らせる」という。
最近は専用の機械を用いて行っている。

古老柿

↑ 柿を躍らせる作業をされているところだと思います。

②孤娘柿伝説

この古老柿は禅定寺のご本尊の十一面観音が娘に化けて村人に製法を教えたという伝説があります。
そのため「孤娘柿(一人の娘の意)」とも呼ばれるそうです。

伝説では「村人が娘のあとをつけると、禅定寺近くの岩場で娘の姿は見えなくなり、かわって十一面観音が姿を現し」とあり
平成5年、禅定寺境内の美女石近くに「おとめ観音(柿の木観音)」像が作られたそうです。

以前、禅定寺は参拝したことがあるんですが、おとめ観音のことは全くしらず、参拝しませんでした。
残念ながら今回も禅定寺は参拝できなかったので、次回はこのおとめ観音を参拝しにいってみたいです。

乙女観音像の写真はこちらにありました。→ 
http://zenjyoji.jp/infomation1027.html
禅定寺については以前の記事に書いています。→
禅定寺 紅葉 柿 『象に乗った大威徳明王 と アシカの顔の獅子』 

禅定寺 池

禅定寺

③禅定寺の大威徳明王は藤原詮子のイメージ?

大威徳明王はふつう、水牛に乗ったお姿をされているのですが 
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Daiitoku_myoo_painting.jpg 
禅定寺の大威徳明王(藤原時代)は象に乗っておられました。

一般的に普賢菩薩は象に乗ったお姿をされています。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fugen.jpg
賢菩菩薩は女人成仏を説く法華経に登場する菩薩なので女性から厚く信仰されていました。

禅定寺の大威徳明王は普賢菩薩の徳を持ったみほとけなのかもしれません。

禅定寺は991年、藤原兼家によって創建されました。
991年は藤原兼家の娘・藤原詮子( せんし/あきこ)が出家した年です。

詮子は第64代円融天皇の女御で、980年に天皇の第一皇子・懐仁親王(のちの一条天皇)を産みました。
ところが990年に関白藤原頼忠の娘・ 遵子( じゅんし/のぶこ)が円融天皇の皇后となってしまいました。
そのため詮子は東三条邸にひきこもり、円融天皇に会おうとしませんでした。
その後、986年に詮子の子、・懐仁親王が即位して一条天皇となり、詮子は皇太后となりました。
991年、円融法皇が崩御されると、詮子は出家して、皇太后を辞し、女院となりました。

詮子は一条天皇の母親としておおいに政治に介入したそうです。
また、詮子は弟の道長をかわいがり、兄道隆・道兼が没したのち、執政者に道長を押しました。
そのため、兄一家は没落したと言われています。

禅定寺の象に乗った大威徳明王は詮子のイメージでつくられたものなのかもしれませんね。

宇治田原 柿屋 
④古老柿は朝廷の祭礼で用いられていたかも?

干し柿は弥生時代から作られていると考えられていますが、
日本における史料への初出は927年の延喜式で、祭礼用の菓子としての干柿の記述があります。
延喜式とは律令の施行細則を記したもので、神祇官という朝廷の祭祀を司る官庁のことです。
延喜式に記された干柿とは朝廷の祭礼に用いるものでしょう。

その干柿はどこから調達されたものなのでしょうか。

平安時代、禅定寺付近は藤原氏の別荘があった土地なのだそうです。
禅定寺を創建した兼家、または娘の詮子もこの付近にはやってきたことがあったでしょう。
そして村人がから献上された古老柿を朝廷の祭礼に用いていたなんてことがあったかもしれませんね。

宇治田原 柿屋2
 
宇治田原 柿屋3

食べてみたい!



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[2019/12/07 19:00] 京都府 | TB(0) | CM(0)