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永谷宗円生家 茶宗明神社 『喜撰法師が飲んだお茶の色は何色?』 


宇治田原町湯屋谷 永谷宗円生家 茶宗明神社
2019年12月1日 撮影


永谷宗円 生家2  
永谷宗円生家

①やんたんって何?

「やんたん」ってMBSの深夜放送「MBSヤングタウン」のことじゃないの?
確かに「MBSヤングタウン」は略して「やんたん」と言われていますが、今日お話しする「やんたん」はこれではなく、京都府宇治田原町にある「やんたん」のことですw。
宇治田原町には湯屋谷という地名があり、正式には何と読むのか知りませんが(汗)、地元では「やんたん」と呼ばれているそうです。

このあたりは宇治茶の生産地で、たくさんの茶畑がありますよ。
また日本緑茶の祖と呼ばれる永谷宗円の生家(復元)もあります。

永谷宗円 生家 
永谷宗円生家

永谷宗円生家の隣には茶宗明神社があり、永谷宗円を祀っています。(昭和29年、大神宮社に合祀されました。)

茶宗明神社 

茶宗明神社

②お茶は緑色なのに、なぜグリーンではなくブラウンを茶色というの?

煎茶の製法に青製煎茶製法というものがあります。
この青製煎茶製法について、ネットでぐぐっていろいろなサイトを読んでみると説明が微妙に食い違っています。
そのため、はっきりしないのですが、たぶん、こういうこと↓ ではないかと思います。(間違いがあったら教えてくださいね。)

かつてのお茶の製法では、茶の芽を釜でいったのち、むしろに広げて手足でもみ、日光で乾燥させていたようです。
こうしてできたお茶は「釜炒り茶」といい、茶葉が黒っぽくなるので青製煎茶製法に対して黒製とも呼ばれます。

1738年、永谷宗円は、茶葉を煎るのではなく蒸し、焙炉(ほいろ)を使って乾燥させながら手で茶葉をもむという製造方法を考案しました。
この結果、茶葉は黒っぽくならず、現在のような緑色のものになりました。
これを青製煎茶製法といいます。

永谷宗円 生家-ほいろ 

永谷宗円生家 ほいろ


たぶん茶葉が黒っぽくならないのは、釜でいらずに蒸しているためだと思いますが、これについては、後に⑤のところで、もう少し詳しく述べます。

茶葉をそのまま放置しておくと酸化して茶色くなります。
これを防ぐために、蒸して酸化をとめることを殺青というそうです。

昔から「お茶は緑色なのに、なぜグリーンではなくブラウンの事を茶色と言うんだろう?」と疑問に思っていましたが、もともとお茶とは茶色をしたものだったんですね。

永谷宗円 生家6 
永谷宗円生家

③本当に青製煎茶製法は永谷宗円が考案したものなのか?

ですが、ウィキペディアには青製煎茶製法を永谷宗円が考案したというのは、次のような理由から、伝説で史実ではない可能性があると記されています。

a.同時代の文献資料から「釜炒りから蒸し製への移行」や「茶葉を揉み乾かす工程」を宗円が初めて導入したものではないと考えられる。

b.「ほいろ」の上で茶葉を揉みながら乾かす作業は、明治時代に鉄の枠組みを持つ「ほいろ」が登場したことで初めて可能になった。
江戸時代までの「ほいろ」は、竹の骨組みに和紙を貼り付けたものであり、耐久性にかけていた。

そして永谷宗円の本当の功績は、宇治田原の茶(宇治茶)を、江戸で直販するルートを開拓したことだと記されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E8%B0%B7%E5%AE%97%E5%86%86

永谷宗円なくして宇治田原の発展はなかったということですね。

永谷宗円 生家-5 
永谷宗円生家

④日本のお茶の歴史

お茶は奈良時代、平安時代に遣唐使によって唐より持ち帰られたと考えられており
『日本後記』には、「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあります。
このころの茶は餅茶であったと考えられています。

餅茶については⑤で説明します。

「吾妻鏡」によれば、1214年、栄西は、お茶に「喫茶養生記」をそえて源実朝に献上したとに記されています。
「喫茶養生記」には、宋代に作られていた蒸し製の散茶(茶葉をひいて粉にしたもの)製法についての記述があります。
これにお湯を注ぎ、茶筅で泡立てていたようです。抹茶のルーツといえるかもしれませんね。

明恵上人(1173-1232)は、京都栂尾の高山寺に茶を植え 最古の茶園を作ったとされます。
足利義満(1358-1408)、豊臣秀吉(1537-1598)らが宇治茶を保護し、安土桃山時代には、宇治で覆下栽培が始まり、抹茶の原料である碾茶に加工されました。

15世紀後半に村田珠光(1423~1502)は「侘茶(わびちゃ)」を考案、
武野紹鴎(たけのじょうおう、1502~1555)、千利休(1522~1591)らが侘茶を「茶の湯」へと発展させました。

 茶宗明神社4

茶宗明神社

⑤餅茶 塾茶 生茶 緑茶

④に嵯峨天皇に献上されたお茶は餅茶であると書きました。
餅茶
[とは、丸餅を模した緊圧茶(茶葉を圧縮して固めたもの)で、直径は約20cmもあったようです。
これを削って用いていたようですね。

110601 204646

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:110601_204646.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/110601_204646.jpgよりお借りしました。
静葉 [CC BY-SA 3.0 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)] 

上は緊圧茶を撮影したもので、プーアル茶の餅茶、碑茶、沱茶、小沱茶ということです。

プーアル茶には、加熱によって酸化発酵を緩めた緑茶を麹禁で発酵させた「熟茶」と、経年により熟成させた「生茶」があるそうです。
写真は塾茶だと思います。

生茶はいったん緑茶を加熱(たぶん蒸しているのではないかと思います。写真を見ると緑色をしているので。)するようですが、完全に酵素を殺すほどには加熱しないようです。
そのため、その後天日乾燥をすることで、酵素発酵させてつくるようです。(機械乾燥させると緑茶になる)

この生茶を多湿な状態に置き、菌によって発酵をさせて作るものが塾茶なのだと思います。

②で「たぶん茶葉が黒っぽくならないのは、釜でいらずに蒸しているためだと思います。」と書きました。
焙じ茶は茶色い色をしているように、釜でいると茶色い色になるのは確かだと思います。
しかし、どうやら、蒸せば緑色のお茶になるというわけでもなさそうですね。
蒸し時間なども関係するのかもしれません。

また、蒸したあと天日干しすると、酵素が残って発酵がすすみ、黒っぽい色になるようです。
日本の煎茶は蒸したあと、ほいろの上で手でもみながら乾燥させることで、酵素が残らなくなるということでしょうか。
ちょっと専門知識が不足しているのでよくわかりません(汗)

茶宗明神社3 
茶宗明神社

⑥喜撰法師が飲んだお茶は黒っぽい茶だった?

平安時代の歌人に喜撰法師がいますが、喜撰法師は「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢやまと人の言うなり」という歌を詠んでおり、また宇治に喜撰洞があって、喜撰法師が住んだ庵とはこの喜撰洞であるとも言われています。
そして、喜撰とはお茶の隠語でもありました。上喜撰というお茶の銘柄もありましたね。

喜撰法師は平安時代ごろの人物だと考えられています。
喜撰法師の時代はお茶は高級品で、飲めたのは上流貴族くらいだったでしょう。
また喜撰法師がお茶を飲んだとすれば、やはり平安時代の人物・嵯峨天皇が飲んだのと同じような餅茶で、黒っぽいお茶だったのではないでしょうか。

そして、喜撰洞は写真をみると横穴の洞窟になっているようですが、即身仏となるべく入定した場所は喜撰洞のような洞窟であることがあったようです。

仏隆寺 入定石窟 

上は仏隆寺の入定石窟ですが、やはり横穴になっています。

喜撰法師は入定したのではないかと私は考えています。
これについては話すと長くなるので、次の記事をお読みください。
私流 トンデモ百人一首 9番 花のいろは・・・  『小町の歌は男らしく堂々とした歌だった。』 

入定するためには木食といって木の皮や木の実のみをたべる木食という修行を行い、漆のお茶を飲んで入定したといわれます。
漆を飲むことで、胃の中のものを吐き出し、さらにうるしには防腐効果があるので、死後腐りにくい体になる効果が期待されたようです。

https://tutayayome.exblog.jp/16784666/
↑ この方のブログに、漆のお茶の写真が掲載されています。
記事をよむと、おいしいと書いてあり、吐いたとは書いていませんw。

もしかしたら記事にあるような煮だしたお茶ではなく、天然樹脂塗料の漆をそのまま飲んだのかもしれません。
漆塗りの色といえば、黒か朱ですが、黒は漆に酸化鉄粉や煤、朱はベンガラや辰砂を顔料として漆にまぜたものです。
漆本来の色は乳白色だそうですが、酸化鉄粉などをまぜた黒っぽい漆を入定する前に飲んだのだったりして?

漆塗りの歴史は古く、縄文時代すでにそういった記述があったようです。
喜撰法師が生きていた平安時代には、漆塗りの銘品が数多く作られています。

また、喜撰がお茶の隠語とされたり、お茶の銘柄になっているのは、彼が漆のお茶を飲んで入定したことにちなむのではないか、などと考えたりもします。

死後腐らない即身仏になることを、昔の人は不老不死と考えていたように思います。
(即身仏に湯をかけたら生き返ったという話があったと思います。)

つまり、茶の湯は不老不死になるまじないとして行われていたのではないかと思ったりするわけです。

茶宗明神社-2 

茶宗明神社


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[2019/12/03 18:28] 京都府 | TB(0) | CM(0)