Author:佳音
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大阪市和泉市 施福寺2013年11月23日 撮影 ①僧・行満槇尾山施福寺は飛鳥時代、欽明天皇(509-571年)の勅願によって行満が創建したと伝わります。日本への仏教伝来は552年または538年とされ、百済の聖王より伝えられたと考えられています。そして施福寺は仏教伝来後、まもない時期に創建されたということになりますね。行満でぐぐっても、僧侶の名前としてはあまりヒットしません。そのかわり、大行満・行満大明神などがでてきます。 ②大行満は千日回峰行をした人大行満とは密教・修験道で、千日回峰行をした人に与えられる称号です。千日回峰行とは千日間かけて霊山を巡拝行することで、比叡山の相応和尚によって始められました。回峰行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠を被り、白装束をまといます。千日回峰行は一度始めたら途中でやめることができないとされ、行半ばで挫折した場合には自ら命を絶つものとされています。白装束をまとうのはそのためであると言われます。 千日回峰行に要する期間は7年間。1年目から3年目までは、毎年100日間、1日に30キロ歩いて260箇所を礼拝します。4年目と5年目は、同じく30キロを200日礼拝します。その後、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけるとのこと。6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復を加えて、1日約60キロの行程を100日。7年目の前半は比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼する84キロを100日。最後の100日間は、1年目と同じく1日30キロをめぐり満行となります。 施福寺は天台宗で、天台宗の総本山は比叡山延暦寺です。延暦寺の創建は788年で、施福寺は延暦寺よりも創建が古いです。(欽明天皇の勅願によって創建された寺なので、仏教伝来の538年から欽明天皇が崩御した571年の間に創建されたと考えられますね。)日本の寺院は宗派を途中で変えることがしばしばありますので、施福寺が天台宗であっても不思議はないです。 ③行満大明神行満大明神を祀っているのは三重県鈴鹿市山本町の椿大神社です。参拝したことはないのですが~。椿大神社の主祭神は猿田彦大神、相殿に皇孫・瓊々杵尊、幡千々姫命を、配祀に天之鈿女命、木花咲耶姫命を、前座に行満大明神を祀っています。
行満大明神は猿田彦の神裔で、修験神道の元祖。役行者を導いた神ということです。大行満とは密教・修験道で、千日回峰行をした人に与えられる称号でしたね。すると、施福寺を創建した僧・行満とは修験道の祖・行満大明神のことであるのかも? ※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。ありがとうございました!にほんブログ村
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