Author:佳音
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⑥今も大阪に残る百済の地名百済王氏は交野に移り住む前に、摂津国難波京あたりに住んでいたと考えられています。そして難波京には「百済寺」「百済尼寺」があったと考えられています。『日本霊異記』第14話に「難波百済寺」とでてきます。また1997年、細工谷遺跡から「百済尼」「百尼寺」の墨書のある奈良時代の土器が出土しています。「百済寺」は大阪市天王寺区堂ヶ芝廃寺、「百済尼寺」は同区の細工谷遺跡と考えられていますが、どちらも四天王寺に近いです。大阪市中央区に久太郎町という地名がありますが、この地名は「くだら」に漢字をあてたものだとする説があります。また、大阪市東住吉区に百済および南百済という地名は現在はないと思いますが、JR貨物の百済貨物駅、百済バス亭、南百済小学校、南百済公園などがあります。古地図には狭山川(今の駒川)と平野(ひらの)川が合流するあたりに「百済郡」と書かれているそうです。百済からの渡来人が多かったために百済郡と呼ばれていたとされます。 百済寺跡より百済王神社を望む※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。歴史ブログ・旅 free style もよろしくお願いします~。毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!にほんブログ村
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