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大阪天満宮 猿回し 『こぐま座は猿座?』 


大阪市北区 大阪天満宮


猿回し 竹馬


①厩猿信仰


函館山 猿回し 『猿はなぜ馬の守護神とされたのか』 
↑ こちらの記事で次のようなことを書きました。

①古くから猿は馬の守護神と考えられていた。(厩猿信仰)
②正中年間(1324~1326)成立の石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれている。
③十一面観音の長い腕は猿をおもわせる。
④猿は十一面観音、馬は馬頭観音をあらわしているのではないか。
⑤十一面観音は花瓶を持っているが花瓶には水が入っているだろう。十一面観音は水の神ではないか。
⑥馬頭観音は憤怒の表情で、光背は炎で表現されることが多い。馬頭観音は火の神ではないか。
⑦陰陽五行説の『相克説』では『水剋火(水は火を消す。)』と考える。
水=十一面観音=猿、火=馬頭観音=馬 となるところから、猿は馬の守護神と考えられたのではないか。

Hokkeiji Nunnery Eleven-Headed Kwannon I (303)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_(303).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_%28303%29.jpg
Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition [Public domain]

大阪天満宮 猿回し

↑ この写真がわかりやすいかな? 
猿は膝を曲げて立つので、腕が長く見えますね。

②将門しか乗りこなせない馬

厩猿信仰から、私は繋ぎ馬の紋を思い出してしまいます。
繋ぎ馬の紋は相馬氏の家紋で、相馬氏は平将門の子孫を称しています。

CrestOfSoumaClan

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ACrestOfSoumaClan.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/CrestOfSoumaClan.jpg 
作者 正親町三条 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で

関西では平将門は朝廷に逆らい「新皇」を名乗った逆賊だととらえるむきが強いですが(私は将門ファンですが~)
関東では平将門は英雄視されているそうですね。

平安京の貴族たちが安逸をむさぼっているために将門が乱を計画し、天もこれを認めて黒馬を将門に与えたという伝説が伝えられています。
ところがこの馬は将門しか乗りこなすことができないので、繋いであるというのです。

 また「じゃじゃ馬に 常陸の伯父御 くいつかれ 」という川柳があります。
じゃじゃ馬とは平将門、常陸の伯父御とは将門の 伯父の平国香のことです。
このように将門自身が馬に喩えられることも多かったようです。

北斗七星は天帝の乗り物であるなどと言われます。
天帝にはさまざまな意味がありますが、道教でいう天帝とは北辰(天の北極)を神格化した神のことです。
天帝は天皇大帝ともいいわれます。

ということは、平将門が天帝であり、相馬氏の家紋の繋ぎ馬は北斗七星を表したものだったりして?

馬の形はなんとなく北斗七星を思わせる形をしていませんか?
頭から首が北斗七星の柄杓部分、胴体は持ち手です。

猿回し 竹馬  

③繋ぎ馬は北斗七星、二本の杭は北極星、をあらわす?

 飛鳥昭雄さんによれば古事記・神世第4代に登場する角杙神・妹活杙神という神名の『杙』とは牛や馬を繋ぎとめておくためのものであるといいます。

ヘブライ語で『角』と『光る』はどちらも『krn』と記します。
つまり角とは光のことで、角杙神とは光りながら地球のまわりを回る神=太陽、妹活杙神の活とは『満ち欠けする』の意で、満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女神=月のことであるというのです。
『杙』は地球で、太陽や月は地球につなぎ留められていると考えるわけですね。

飛鳥さんの説をヒントに考えてみたのですが、繋ぎ馬紋の馬を繋いである杭は北極星を表しているのではないでしょうか。
そして杭につながれている馬は北斗七星を表しているのではないかと思います。

「北極星はひとつだ、でも繋ぎ馬の家紋には杭が二つあるやん」って?

北極星がひとつだというのは現代の感覚ではないかと私は思います。
かつては北極星がふたつあった時代があったかも?

猿回し 竹馬


④歳差運動と変化する北極星

地球の北極の延長線上に位置する天球上の場所のことを天の北極(北辰)といいます。
これを神格化したのが天皇大帝(天帝)でしたね。

天の北極にある星のことを北極星といいますが、時期によって北極星は変わります。
北極星が変わるのは、地球が歳差運動といって下図のように独楽がぶれるような動きをしているためです。
地球の歳差運動の周期は約25800年です。

Gyroscope precession

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gyroscope_precession.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Gyroscope_precession.gif
LucasVB [Public domain] 


この歳差運動が原因で北極星になる星がかわってくるのです。

地球の歳差運動の周期は約25800年です。

Precession N

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Precession_N.gif
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/Precession_N.gif 
Tauʻolunga [CC BY-SA 2.5 (
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)]

↑ 歳差による北極星の変遷の図を見ると、かなり大きな円を描いて北極星が変遷することに驚かされます。

現在の北極星はポラリス(こぐま座α星/上図+2000の文字の向かって左の星)とされていますが、若干天の北極からずれており、天の北極の周囲を小さな円を描いて回っています。

上記図に+2000とか+4000とあるのは西暦だと思います。

武家の家紋は保元平治の時代(1156年以降)説、源頼朝の時代(1192年以降)説などがあります。
平将門が亡くなったのは940年、将門の子孫を称する相馬氏の初代・相馬 師常の生没年は1139-1205です。

そこで、ざっくりと1000年ごろの天の北極をみてみると、特に目立った星がありません。
ポラリスの下にある星はといいます。
天の北極はポラリスとイルドゥンの中間あたりにあったので、杭がふたつあるのではないでしょうか。

猿回し

⑤こぐま座は猿座?

http://shinshizo.com/2012/10/%E9%A6%AC%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%B8%96%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8C%BF-%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB-%E7%8C%BF%E3%81%A8%E9%A6%AC/

↑ こちらのブログに興味深い写真が掲載されています。 
神馬をひく猿の像の写真です。

神馬が北斗七星をあらわしているとするならば、猿はこぐま座をあらわしていたりして?

北斗七星・こぐま座・カシオペア座2 

こぐま座という名前は西洋でつけられたものです。
一方、厩猿信仰はインドから中国をへて日本に伝わったものですから、子熊ではなく、猿と認識されていた可能性はあります。

こぐま座には長い尻尾がある、日本猿は尻尾が短いといわれるかもしれません。

でも、中国に住んでいるキンシコウや、インドの猿の姿をした神・ハマヌーン、ハマヌーンのモデルとされるハマヌンラングールは尻尾が長いです。





Hanuman showing Rama in His heart

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hanuman_showing_Rama_in_His_heart.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/38/Hanuman_showing_Rama_in_His_heart.jpg
Anant Shivaji Desai [Public domain] 


そして厩猿信仰はインドから中国をへて日本に伝わったのでしたね。
なので日本においてもこぐま座は猿座であると考えられていた可能性はあります。

つまり、猿が馬を曳く像は、こぐま座が北斗七星を曳くのをあらわした像、いや北斗七星は平将門などの怨霊を象徴する星であり、猿(こぐま座)がその怨霊(北斗七星)が逃げ出さないようにとらえているの図なのではないかと思ったりします。

猿回し 




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[2019/09/30 17:35] 大阪の祭 | TB(0) | CM(0)

成田山不動尊 夕景『将門関連七神社は北斗七星をあらわしていない?』 


大阪府寝屋川市 成田不動尊



成田不動尊2

①平将門の乱平定に功績があった不動明王を祀る寺 

939年、関東で平将門の乱がおこりました。
寛朝(かんちょう)大僧正はこれを平定するため、空海によって開眼された不動明王を持って海路で大阪から関東へ向かいました。
関東に到着した寛朝大僧正は、不動明王に祈願して護摩法を行いました。
この霊験によって平将門の乱は平定されたというのです。

実際には、朝廷は将門の乱平定のため、藤原秀郷と平貞盛らを関東に派遣し、戦闘の中、将門は流れ矢にあたって死亡しています。
その一方で僧侶による戦勝祈願が功を奏した側面もあると考えられていたのでしょう。

その後、この不動明王は平将門の乱平定に功績があったとして、成田山新勝寺が創建され、寛朝大僧正が開山となりました。
昭和9年(1934年)千葉県にある成田山新勝寺の別院として大阪府寝屋川市に成田山不動尊が創建されました。

成田不動尊3 

②将門関連七神社を結ぶと北斗七星の形になる?


東京には平将門に関連する神社がたくさんあり、それをつなぐと北斗七星の形になると、加門七海さんが指摘しておられるそうです。本は読んでいないのですが~。

だけど私にはいまひとつしっくりこないです。
その理由をお話しします。

将門関連 七神社  
結構いい加減な地図ですw

③龍安寺石庭はカシオペア座を表している?


明石散人さんが京都・龍安寺の石庭とはカシオペア座を表したものではないか、とおっしゃっているそうです。(龍安寺石庭の謎/講談社文庫)
この本も読んでいないのですが(汗)、龍安寺石庭がカシオペア座を表したものだというのは、なるほど、と思います。           

カシオペア  
                       
龍安寺 石庭 レイアウト

石庭もカシオペア座もアルファベットのМの形をしていますが、石庭は向かって左側が広いのに対し、カシオペア座は向かって右側が広くなっていますね。
でも、天球(地球を中心としその上に広がる空を球と見立てたもの。惑星や恒星は天球上にはりついていると考える。)の上に神様がいるとして、神様が天球の上からカシオペアを見たとすると、私たちが地球上から眺めるのとは左右逆転したカシオペア座(向かって左側が広い)が見えるはずです。



拝観者が石庭を眺める広縁はカシオペア座や天の川よりも高い位置にある天上をあらわしているのでしょうか。
つまり広縁空石庭を望む人は、天上人というわけです。

④江戸の町は天の北極をあらわす?

すべての星は天の北極を中心にして左回りに回ります。
まるで天の北極星には夜空を回転させるパワーがあるかのようですね。
星が天球に張り付いているものとし、神様が天球の上から眺めたと想定した場合、すべての星は天の北極を中心に右回りに回るように見えるはずです。
江戸の町は江戸城を中心に「の」の字を描くように堀が掘られていますが、これは江戸の町が天の北極になぞらえられているのではないでしょうか。

ファイル:Edo hori.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edo_hori.png
よりお借りしました。
江戸中心部の堀、門等配置略図。著作権切れ(パブリックドメイン)の絵図の画像を
Safkanさんが加工されたものです。

⑤筑波山=カシオペア座

筑波山はⅯ字形をした山でカシオペア座に似ています。

Mt.Tsukuba

西側から望んだ筑波山
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMt.Tsukuba.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Mt.Tsukuba.jpgよりお借りしました。
作者 RESPITE (photo by RESPITE) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で



カシオペア 

上図は地球上からカシオペア座を見上げた図です。
⑦で説明したように、天球の上からカシオペア座を見下ろしたと想定すると、上の図を左右反転させないといけませんね。
するとカシオペア座は、下の図のように向かって右の山が高く、向かって左の山が低くなります。

カシオペア座

筑波山の南南西にある江戸から筑波山を望んでも、向かって右の山が高く、向かって左の山が低く見えるはずです。
筑波山はカシオペア座になぞらえられているのではないでしょうか。

⑥富士山=北斗七星?

江戸が北極星、筑波山がカシオペア座ならば北斗七星も何かに喩えられていそうですが
将門関連の七神社は北極星に近すぎるので、別のところにあると思います。

北斗七星は変形された形で祀られることが多いようです。
星田妙見宮では境内に北斗七星の神を祀っていますが、北斗七星の形になっていません。


星田妙見宮 境内図

星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)

日本には筑波山・江戸・富士山のほかにも、カシオペア・天の北極・北斗七星になぞらえた場所が複数あるように思われます。
これについては長くなるので、下記記事をお読みいただきたいのですが、
三上山・男体山・赤城山など、どうやら、湖のそばにある台形の山を北斗七星になぞらえることが多かったようです。

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮ 日光にもあったカシオペアと北斗七星、北極星 
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 

富士山の北には富士五胡があります。




また、その位置関係からみても、江戸を天の北極、筑波山をカシオペアとすると、富士山は北斗七星を表しているように思えます。

北斗七星 カシオペア座 こぐま座 




上の地図の赤印のところが筑波山です。 

北斗七星  

北斗七星は右側部分が霞んだ富士山の形のようにも見えますね。

⑦北極星を含む星座・こぐま座
 
北斗七星・こぐま座・カシオペア座2 
    

 現在、天の北極に近い場所にポラリスという星があり、北極星と呼ばれています。
そして、上の図のように、北極星ポラリスは周辺の星と組み合わさってこぐま座を形成しています。
こぐま座は北斗七星に似た形をしています。

そして将門関連七神社の近くには江戸城(現在の皇居)があります。

 将門関連 七神社

江戸城が天の北極を表すと考えると、将門関連七神社はこぐま座をあらわしている?
でも形はこぐま座よりも北斗七星に似ていますね。
それにこぐま座だとすると柄杓のコップ部分が上向(南向き)になるはずですが、将門関連七神社は下向き(北向き)になっています。


また将門関連七神社といいますが、
将門関連神社はほかにもあり、下の図には将門に関係する神社として11か所マーカーがたてられています。



 
11か所ある神社から7つのみを選び出して北斗七星またはこぐま座の形になっていると主張してもこじつけっぽく思えます。

将門に関連する神社が7つしかなく、それらが北斗七星やこぐま座の形をつくっているのであれば、こじつけだとは思わないのですが。
将門関連七神社が北斗七星またはこぐま座の形になっているというのは、偶然そうなったにすぎないのではないかと思えなくもないです。

これ以上の考察は11神社について詳しく調べ、加門七海さんの本も読んでみないと前にすすめそうにありません。
ということで、今回はここで筆をおきますw。


成田不動尊


東大寺 三月堂 百日紅 『将門魔法陣は存在したか?』  へつづく~



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[2019/09/28 00:09] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

函館山 猿回し 『猿はなぜ馬の守護神とされたのか』 

 
賀県高島市 箱館山
2018年9月下旬 撮影


猿回し

①猿は馬の守護神

古くから猿は馬の守護神と考えられていました。(厩猿信仰)
猿が馬の守り神であるという信仰はインドから中国を経由して日本に伝えられたとされます。

正中年間(1324~1326)成立の石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれています。
中世より猿飼といって厩祈祷をする人々がおり、これが発展して猿回しになったそうです。

なぜ、猿は馬の守護神と考えられていたのでしょうか?
この理由には諸説あるようです。

猿回し  

②陰陽五行説からくる説

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考えます。

例えば季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていました。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまいますね。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られました。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのです。


干支 

旧暦では
1月(寅)2月(卯)3月(辰)を春、
4月(巳)5月(午)6月(未)を夏、
7月(申)8月(酉)9月(戌)を秋、
10月(亥)11月(子)12月(丑)を冬としていました。

虎 1月巳 4月申 7月亥 10月
卯 2月午 5月酉 8月子 11月
辰 3月未 6月戌 9月丑 12月


そして陰陽道では世の中に存在する物全てに始まりがあり(生)、次に壮んになり(旺)、最後に終わる(墓)という気の循環があると考えるそうです。これを三合といいます。

三角



三合は上の図の大きな三角形が示すような関係になっています。

「申-子-辰」「巳-酉-丑」「寅-午-戌」「亥-卯-未」の4つのグループを三合というようですね。

火の三合は寅(生)・午(旺)・戌(墓)、水の三合は申(生)・子(旺)・辰(墓)となり、
厩猿信仰は、馬の火(旺)を猿の水(生)で制御しようという仕組みであると、吉野裕子氏はおっしゃっています。

えーーっ、なんで馬の火(旺)を子の水(旺)で制御しないの?
大量の水をかけて水浸しになったら困るから?
う~ん、なんかこじつけっぽいなあ?

③猿は十一面観音、馬は馬頭観音

猿は十一面観音、馬は馬頭観音であり、十一面観音によって馬頭観音を制御することができる、という信仰からくるのではないかと、思ったりします。

十一面観音で有名な像で、法華寺像があります。
光明皇后の姿を映したともいわれる美しい像ですが、特徴的なのはその腕の長さです。
この十一面観音は特別腕が長いですが、その他の十一面観音も腕が長いのが多いです。

Hokkeiji Nunnery Eleven-Headed Kwannon I (303)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_(303).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Hokkeiji_Nunnery_Eleven-Headed_Kwannon_I_%28303%29.jpg
Imperial Japanese Commission to the Panama-Pacific International Exposition [Public domain]



私はこの像を拝んだとき、失礼かもしれないですが、猿のようだ、と思いました。
猿は膝を曲げて立つので腕が長く見えるんですよね。

大阪天満宮 猿回し 

大阪天満宮にて

厩猿信仰はインドから中国を経て日本に伝わったということですが、中国にはキンシコウという金色の猿がいます。
日本猿も手が長いと思いますが、キンシコウはさらに腕が長いように見えます。
http://japanese.china.org.cn/photos/2018-08/06/content_58143845.htm

またインド神話に登場するハヌマーンという神猿の像は、顔が5つある姿で表されることがあり、十一面観音を思わせます。
インドや中国にはハヌマンラングールという猿が生息していますが、やはり手が長いです。







十一面観音は左手に花瓶を持っていることが多いです。
花瓶には蓮の花が活けられていますが、花瓶の中にはもちろん水が入っているでしょう。
また、水神は女神であることが多く、川や池のほとり二は弁財天や善女龍王が祀られています。
猿(十一面観音)=水と考えられます。

一方、馬頭観音は他の観音像が温和で女性的なお姿をされているのに対し、憤怒の表情をしています。
また光背には燃え盛る炎をデザインしたものが用いられることがあります。
すなわち、馬(馬頭観音)=火、といえます。

④ビナヤキャ女神=十一面観音、鬼王ビナヤキャ=馬頭観音?

大聖歓喜天というみほとけがいます。


Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説があります。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物でした。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになりました。 
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまいました。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延しました。
そこで十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われました。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓いました。


この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思います。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれます。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があります。
すると神の本質である御霊とは男女双体ということになると思います。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神


またビナヤキャ女神が十一面観音の化身とあるところに注意してください。
鬼王ビナヤキャは馬頭観音のは化身であると考えられたのではないでしょうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・馬頭観音・・・・男神(火の神)
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・十一面観音・・・女神(水の神)


猿回し 竹馬   

⑤妙性寺縁起

妙性寺縁起にはこんな伝説が伝えられていますよ。

晩年、小野小町は天橋立へ行く途中、三重の里・五十日(いかが・大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。
すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。
再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、辞世の歌を残して亡くなった。

九重の 花の都に住まわせで はかなや我は 三重にかくるる
(九重の宮中にある花の都にかつて住んだ私であるが、はかなくも三重の里で死ぬのですね。)
後に深草の少将が小町を慕ってやってきたが、やはり、この地で亡くなった。
(妙性寺縁起)


五十日→五十火→火事になる→五十河→河の水で火が消える→火止まる→ひとまる→人産まれる

このような語呂合わせのマジックで村の火事はなくなり、女性は安産になった。

火の神は荒魂で男神ですが、水の神は和魂で女神なので、火が止まり、さらに女神なので、火止まる→人産まれるというわけです。

猿回し2

⑥水克火

陰陽五行説には『相生説』と『相克説』があります。

『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説です。

『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。


『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説のことです。

『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。


この『水剋火』という考え方により、水=十一面観音が火=馬頭観音を制御すると考えられたのではないでしょうか。

 
猿回し3  

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[2019/09/25 11:55] 滋賀の祭 | TB(0) | CM(0)

飛鳥 光の回廊 まとめ 

 
飛鳥光の回廊2019・・・https://naratrip.com/asukahikarinokairou

※写真はすべて過去のものです。

【石舞台古墳】

石舞台 夕陽

石舞台古墳 ライトアップ


【あすか風舞台 (石舞台横)】

飛鳥 光の回廊 ファイアーダンス

飛鳥 光の回廊 ファイアーダンス2


【川原寺】

川原寺 飛鳥光の回廊2018

川原寺 飛鳥光の回廊2018

川原寺 彼岸花 飛鳥光の回廊2018 『飛鳥に置き去りにされた寺』 

川原寺 ライトアップ


飛鳥板葺宮跡

飛鳥板葺宮跡


【飛鳥寺】

飛鳥寺 ライトアップ

飛鳥寺 飛鳥大仏

【入鹿の首塚】

飛鳥寺 入鹿の首塚 


【橘寺】

橘寺 観音堂 ライトアップ

橘寺 ライトアップ 月




【岡寺】

岡寺 三重塔 ライトアップ



【高松塚古墳】

高松塚古墳と飛鳥美人

高松塚古墳 光の地上絵 飛鳥美人


高松塚古墳 光の地上絵 飛鳥美人と官人

高松塚古墳 光の地上絵 四神 
四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)を描いたもの




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[2019/09/21 10:43] まとめ | TB(0) | CM(0)

交野山 朝景 百済寺跡 夕景 『百済王善光と本田善光』 


大阪府交野市 交野山
大阪府枚方市 百済寺跡

百済寺跡付近より交野山を望む 
百済寺跡付近より交野山を望む(朝焼け)


①百済王善光と本田善光

百済寺は750年ごろ、百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)によって建立されたと伝わります。
現存せず、百済王神社の隣に百済寺跡として、塔の礎石などが残されているのみです。
ですが廃墟萌え、っていうんですか。
わずかに残された礎石を見て、かつてここに塔が建っていた風景などを想像してみると、何やら心がざわざわw。

百済寺 東塔跡 
百済寺 東塔跡 正面に見えている建物は百済王神社

百済王氏は、百済最後の王・義慈王の子・善光を始祖とします。
善光ってどこかで聞いた名前だなあ?

そうそう、長野県の善光寺を創建したのが、本田善光という人なのでした。
善光寺 門前町 ライトアップ 『善光寺は物部守屋を慰霊する寺だった?』 

善光寺 ライトアップ

善光寺

②善光寺由来

天竺(インド)の月蓋長者は尊いみほとけを持っていました。
みほとけは百済の聖明王に渡り、さらに日本に伝えられました。
日本にやってきた仏像は崇仏派の蘇我稲目が建てた向原寺で祀られていました。
しかし552年、排仏派の物部尾輿は「疫病の流行は仏を祀ったのが原因である」として、仏像を難波の堀江より流してしまいました。
のちに難波の堀江を通りかかった本田善光という人が信濃に持ち帰ったのが、善光寺の御本尊であると言い伝わっています。

物部御輿が仏像を捨てた難波の堀江とは和光寺(大阪市西区北堀江3-7-27)の阿弥陀池のことであるとか、向原寺(豊浦寺/奈良県高市郡明日香村大字豊浦630)の近くにある難波池のことだといわれています。

大阪・奈良と長野は離れていますが、つながりがあったんですね!

和光寺 

和光寺の阿弥陀池

向源寺 難波池  

向原寺近くにある難波池


③善光寺は物部守屋を慰霊するための寺?

宮元 健次さんが、『善光寺の謎 (祥伝社黄金文庫)』という本の中で次のような意味のことを書いておられるそうです。

①善光寺内陣に守屋柱と呼ばれている柱がある。
②戒壇めぐりを行うことは、守屋柱を一周し、錠(独鈷)によって守屋柱に宿る守屋の霊を封じることである。
③善光寺は物部守屋を慰霊するための寺である。

百済寺 西塔跡 
百済寺 西塔跡

④物部氏、百済王氏の本拠地だった交野ケ原

百済寺跡は交野ケ原(大阪府枚方市・交野市あたり)と呼ばれる野の小高い丘の上に立っています。
そしてこのあたりは肩野物部氏の本拠地であり、物部氏の祖神・ニギハヤヒを祀る磐船神社もあります。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 天の磐船

どちらも交野ケ原を本拠地にしているあたり、物部氏と百済王氏は関係が深そうに思えます。

⑤百済王善光と本田善光は同一人物?

また四天王寺は崇仏派・蘇我馬子(聖徳太子も参戦)vs廃仏派物部守屋の戦いに勝利した聖徳太子が、物部守屋の土地と奴婢を用いて建てた寺とされますが
その四天王寺の西に一心寺という寺があります。

一心寺は四天王寺の別当・慈円の要請をうけて法然が草庵を結んだのが創建とされ、四天王寺と関係の深いお寺です。

そして、その一心寺に本多忠朝の墓があり、酒断ちの神として信仰されています。

本多忠朝と本田善光。本多と本田。似ていますねえ。
本多忠朝は本多善光の子孫なんてことないですかね?

つまり、本田善光は物部守屋と関係の深い人物であり、本多忠朝は本田善光の子孫なので、四天王寺に関係の深い一心寺にお墓が作られたとか?

もっといえば、百済王善光と本田善光は同一人物ではないか?と思ったりするのです。

一心寺 ジャカランダ4

一心寺 本多忠朝の墓

⑥今も大阪に残る百済の地名

百済王氏は交野に移り住む前に、摂津国難波京あたりに住んでいたと考えられています。
そして難波京には「百済寺」「百済尼寺」があったと考えられています。

『日本霊異記』第14話に「難波百済寺」とでてきます。
また1997年、細工谷遺跡から「百済尼」「百尼寺」の墨書のある奈良時代の土器が出土しています。

「百済寺」は大阪市天王寺区
堂ヶ芝廃寺、「百済尼寺」は同区の細工谷遺跡と考えられていますが、どちらも四天王寺に近いです。

大阪市中央区に久太郎町という地名がありますが、この地名は「くだら」に漢字をあてたものだとする説があります。
また、大阪市東住吉区に百済および南百済という地名は現在はないと思いますが、JR貨物の百済貨物駅、百済バス亭、南百済小学校、南百済公園などがあります。

古地図には狭山川(今の駒川)と平野(ひらの)川が合流するあたりに「百済郡」と書かれているそうです。

百済からの渡来人が多かったために百済郡と呼ばれていたとされます。

百済寺跡 
百済寺跡より百済王神社を望む




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[2019/09/20 16:35] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

新薬師寺 萩 観月会 『炎の中で微笑む薬師如来』 


奈良市高畑町 新薬師寺


新薬師寺 萩3

①怨霊・藤原広嗣を祀りあげて新薬師寺の守護神とする。


新薬師寺の隣には鏡神社があり、藤原広嗣を祀っています。
鏡神社は新薬師寺の鎮守です。

鏡神社

729年、藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)は、長屋王が謀反を企てているとでっちあげ、長屋王を自殺に追い込みました。(長屋王の変)
長屋王を廃した藤原四兄弟は妹の光明子を人臣初の皇后とすることに成功します。
しかし737年、天然痘が流行り藤原四兄弟は次々に天然痘にかかって死亡してしまいました。
そしてそれらは長屋王の怨霊の祟りだと噂されました。

そんな中、朝廷では橘諸兄が権力を握るようになりました。
橘諸兄は吉備真備と玄昉を重用し、藤原広嗣(藤原宇合の長男)を大宰府に左遷してしまいました。
740年、不満を持った広嗣は大宰府で挙兵しますが、朝廷軍に敗れて斬殺されました。

747年、新薬師寺は光明皇后(藤原光明子)が夫聖武天皇の病気平癒のためにたてたと伝えられます。
藤原四兄弟の例からもわかるように、当時、病は怨霊の祟りがひきおこすと考えられていました。
聖武天皇の病は長屋王や藤原広嗣の怨霊の仕業だと考えられたのでしょう。

806年、新薬師寺の鎮守として藤原広嗣を御祭神とする鏡神社が創建されました。

広嗣の怨霊の祟りで聖武天皇が病となったと考えられ、その治癒を祈願して新薬師寺を建てたのに、なぜ広嗣を祀る鏡神社を新薬師寺の鎮守にするのか、と思われるかもしれません。

怨霊は神として祀り上げると守護神に転じるという信仰がありました。
聖武天皇の病が広嗣の怨霊の仕業なのであれば、広嗣を神として祀り上げて守護神にするのが最良の方法だと考えられたのではないでしょうか。

新薬師寺 萩2 

②本地垂迹説

明治まで神仏は習合されて信仰されていました。
神社に神宮寺があったり、寺に鎮守の社があったりしたのです。

北野天満宮の例がわかりやすいと思います。

北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺のご本尊は道真御作と伝えられています。
しかし、東向観音寺の門前には「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられています。

「天満宮」とは北野天満宮の御祭神・菅原道真のことだと思います。
「本地仏」とは本地垂迹説からくる言葉です。
本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うため仮にこの世に姿を現したものであるとする考え方です。
そして仏教の神が仮にこの世に姿をあらわした日本古来の神々のことを「権現」、
日本古来の神々のもともとの姿である仏教の神々のことを「本地仏」といいました。
つまり、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真は十一面観音の生まれ変わりである」というような意味になると思います。

東向観音寺 

東向観音寺

すると、「道真御作」というのは本当に道真が十一面観音を刻んだという意味ではなく、「怨霊として(道真の死後、疫病や天災があいつぎ、これらは道真の怨霊の仕業と考えられました。)人々に畏れられた道真が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思えます。

すると、鏡神社の御祭神・藤原広嗣と新薬師寺のご本尊・薬師如来も習合されていそうです。
新薬師寺の薬師如来は、怨霊・藤原弘嗣と習合されている。
怨霊・藤原広嗣が成仏して悟りを開いたのが、新薬師寺の薬師如来であると考えられるように思います。

新薬師寺 萩

③光背の7体の化仏は北斗七星をあらわす?

新薬師寺の観月会では本堂を外からながめると、開け放たれた扉からご本尊の薬師如来やそれをとりまく十二神将が月のように輝いてみえます。

新薬師寺 観月会2

Bhaisajyaguru of Shin-Yakushi-ji

新薬師寺 薬師如来像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/Bhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg よりお借りしました。
撮影・小川一真 [Public domain]


光背に6体小さい仏がついています。光背の先端部は宝珠形にくりぬかれ、中になにか入っています。
小さい写真でわかりにくいのですが、やはり小さな仏が入っているのではないかと思います。

法隆寺の薬師如来の光背には7体の仏がつけられていますし、
栄山寺や恵日寺の薬師如来の光背にも7体の仏がつけられていますので。
http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/eisanji/event/02o0zk7wqw/(栄山寺)
https://www.jalan.net/yad352180/blog/entry0004748805.html(恵日寺)

私は薬師如来は北極星を神格化した御仏ではないかと思います。
というのは、薬師三尊像は、中央に薬師如来、その左手(向かって右/東)に日光菩薩、右手(向かって左/西)に月光菩薩を配します。
このレイアウトは陰陽道の宇宙観を表していると思います。
陰陽道の宇宙観では、東は太陽の定位置、西は月の定位置、中央は星の定位置としているのです。
中でも夜空の中心にあるのはその位地をほとんど変えない北極星です。

すると光背の周囲にある7体の小さな仏は北斗七星を表しているのではないでしょうか。

新薬師寺は観月会より観星会のほうが似合っていたりして。


http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/rekisi/sekai_isan/Japanese/data/128.htm (明通寺)
http://www.nanshoin.com/staticpages/index.php/yakushi (南昌院)

Yakushi Nyorai Kondo Horyuji

法隆寺 薬師如来

④炎の中で微笑む薬師如来

もう1度、③の新薬師寺の薬師如来の写真を見てください。
この光背、どう見ても炎ですよね?

調べてみると、薬師如来の光背の中には炎をイメージさせるものがいくつかあるようです。
法隆寺の薬師如来の光背も炎のイメージですね。

不動明王が背負う光背は火焔光といい、怒りをあらわすとされます。

正寿院 不動明王 

正寿院 不動明王

新薬師寺の薬師如来は藤原広嗣のイメージですが、おだやかな顔をして笑っていても、内面は怒っているということを表しているのかもしれません。

新薬師寺のご本尊・薬師如来を取り囲む十二神将も炎髪といわれる逆立った髪を持つものが多いです。

Basara 12 Heavenly Generals ShinYakushiji

新薬師寺 十二神将のうち伐折羅大将(迷企羅大将)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Basara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/Basara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG
日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者)English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous  photographer in Japan [Public domain]


その他の十二神将の写真はこちら→http://www.shinyakushiji.or.jp/junisinsho/

炎髪はやはり憤怒相をあらわします。

新薬師寺 観月会


[2019/09/18 21:55] 奈良県 | TB(0) | CM(0)

月見祭 布団太鼓 百舌鳥(もず)八幡宮 『古墳の向きと祭の日の関係』 

 
堺市北区 百舌鳥八幡宮
月見祭・・・
http://www.mozu8.com/

写真は2014年度のものです。

百舌鳥八幡宮 布団太鼓 

百舌鳥八幡宮  
 

①百舌鳥古墳群

百舌鳥八幡宮があるあたりには、数多くの古墳があり百舌鳥古墳群と呼ばれています。
百舌鳥八幡宮の西には御廟山古墳もあり、世界一の墓域面積を持つ仁徳天皇陵(大仙陵古墳)もすぐ近くです。

百舌鳥八幡宮 模型   

堺市役所21階展望ロビーにあった模型(見やすくするため一部加工しました。)

現在、応神天皇陵は古市古墳群にある誉田御廟山古墳とされていますが、宮内庁は御廟山古墳を応神天皇陵の第2候補として陵墓参考地に指定しています。

実際、御廟山古墳が応神天皇の御廟であるという伝承があったようで、御廟山という名称は、百舌鳥八幡宮の奥の院、御廟であると考えられたところからくるとも言われています。

百舌鳥八幡宮

②古墳の向きは方位暦になっている?

『古墳の向きがバラバラなのは、古墳の向きが方位暦になっていて、前方後円墳の主軸の後円部がさししめす位置が、被葬者の命日をあらわしているとする説があります。

方位暦は、1年を360度であらわしたもので、冬至が北、春分が東、夏至が南、秋分が西となります。

応神天皇の命日は西暦310年2月15日となっています。
命日の2月15日は旧暦(太陰暦)ですが、方位暦は太陽の運行に基づくものなので、これを新暦(太陽暦)に換算する必要があります。

ネットを探してみると旧暦を新暦に換算するサイトはたくさんあるのですが、西暦310年を計算できるサイトが見つかりません。
そこで、2001年~2010年の旧暦2月15日を新暦換算してみたところ、旧暦2月15日は新暦3月9日から4月2日ごろと出ました。
ざっくりとした計算ですが、旧暦の310年2月15日はだいたい3月9日ごろから4月2日ごろだと考えていいでしょう。 

方位暦では真東は春分、新暦3月21日ごろをさしています。
御廟山古墳の主軸の後円部の方角は春分から約9度ほど南にずれています。
円は360度で、太陽暦の1年は365日なので、方位暦は365日÷360度=1.01日、1度は約1.01日を示します。
9度は1.01度×9度=9.09日なので、御廟山古墳の主軸の後円部の方角は、だいたい新暦3月21日から9日目の新暦3月30日ごろを示しているということになると思います。。
応神天皇の命日は新暦換算するとと3月9日ごろから4月2日ごろでしたね。
古墳が方位暦をあらわしていると考えた場合、御廟山古墳の主軸の後円部がさししめす方角は、応神天皇の命日とほぼあっていそうです。 
何度も言いますが、ざっくりした計算なんですけどね。
応神天皇の命日が正確に計算できればいいんですが~。

御廟山古墳 

現在、応神天皇陵とされている誉田御廟山古墳の主軸は真南から30度ほど東に傾いているので、方位暦では5月20日ごろとなり、応神天皇の命日とあいません。

③前方部は被葬者を祭祀する日?

さらに古墳の後円部の向きが被葬者の命日を表すとする説では、古墳の前方部は被葬者を祭祀する日であるとしています。

先ほど、『御廟山古墳は百舌鳥八幡宮の奥の院、御廟であると考えられていた。』と書きましたが
百舌鳥八幡宮の祭は『月見祭』といって本来は中秋の日に行われていました。
中秋とは旧暦8月15日のことです。
旧暦8月15日は応神天皇の命日である旧暦2月15日から約半年後となります。
(※旧暦は3年に1度閏月があり、また年によって閏月が異なるなど計算がややこしいです。上記もざっくり計算した場合と考えてください。)

方位暦でみれば、御廟山古墳の後円部は応神天皇の命日である旧暦2月15日ごろを、前方部は旧暦8月15日ごろをさしています。
百舌鳥八幡宮の月祭は、応神天皇の命日から半年後の応神天皇を祭祀する祭だとも考えられます。

本当の応神天皇陵は誉田御廟山古墳ではなく、百舌鳥古墳群の御廟山古墳だったりして?

百舌鳥八幡宮 布団太鼓2 

④被葬者の特定が難しい~

ただ古墳の向きが命日を表しているという説を証明するのはなかなか難しいでしょうね~。
というのは日本には墓誌を残すという習慣がなかったため、古墳の被葬者の特定が難しく、また太陰暦といっても様々な暦があり、どのような暦を用いて日本書紀に命日が記されているのか、よくわからないからです。

百舌鳥八幡宮 少年 

百舌鳥八幡宮 布団太鼓


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[2019/09/15 21:44] 大阪の祭 | TB(0) | CM(0)

正寿院 猪目窓 『ハート形は夫婦猪の形?』 



京都府綴喜郡宇治田原町 正寿院

正寿院 猪目窓


①なぜハート形を猪目というの?


正寿院はハート型の窓、猪目窓が人気です。
稲目とはハート形のことをいいます。

なぜハート型のことを猪目というのでしょうか?

いくつか説があるようです。

a.猪の目に似ているため。
b.「い」の字の変形。
c.梵字の「い」の字の変形。
d.菩提樹の葉を象ったもの。(なぜ猪目というのかの説明ではないですが)

菩提樹の葉 

正寿院に展示されていた菩提樹の葉

②猪の目はハート形ではない・・・・

猪はどんな目をしているのか、見てみましょうー!

馬見岡綿向神社-猪像 

馬見岡綿向神社 猪像

上は像ですが、実際の猪も同じような目をしています。
ハート形には見えませんね~

どちらかというと鼻のほうが、ハート形(上下逆に見る)に近いように思います❤

https://news.mynavi.jp/article/20181226-747380/
上のページに掲載されている猪の鼻もハート形をしています。

正寿院 天井画 
天井画 

正寿院 天井画2 
舞妓さんの絵もありました。



③目の意味


猪目の「目」は見るための器官としての「目」ではなく、別の意味かもしれません。

漢和辞典で「目」をひいてみると次のように書いてあります。

目/目つき/みる/みあわす/目くばせする/見つめる/要/個条/こわけ/シナサダメ/すじめ/すじのあらわれている模様/かしら/さかん

うーん?

正寿院 内陣 
本堂の中も撮影okでした❤

④猿丸神社にもあったハート形

正寿院の帰りに猿丸神社に行ったのですが、この猿丸神社にもハート形がありました。

猿丸神社 夫婦猿 

猿丸神社 夫婦猿

ハート形に見えますよね。

このハート形の石が夫婦猿と呼ばれているということは、二匹の猿が合体した石であると、古の人がみなしたということでしょう。

④猪目は夫婦猪をあらわす?

すると猪目もふたつのものが合体した形であると認識されていたとかいうことはないでしょうか。

①の菩提樹の写真を見てください。二枚の葉が合体したように見えますね。

随分昔ですが、本来ならば普通の葉の形(例えば薔薇の葉のような形)であるものが、上の夫婦猿や菩提樹の葉のように先がふたつに割れているのを見たことがあり、シャム双生児のようだと思ったことがあります。

また③で目という漢字には「見る」という意味があると書きましたが、「見る」という言葉は古語では「男女関係を持つ」という意味もあります。

猪目って雌雄の猪が合体している姿だったりして?

そう思って「夫婦猪」で画像検索してみるとヤフオクにこういうのがありました↓
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o283230907

ハート形に似ていますよね。

干支で猪は亥と書きますが、亥子餅というお菓子があります。

画像検索するとまん丸ではなく少し細長いラグビーボールのような形をしています。
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL5QxMntdEU4AThOU3uV7?p=%E4%BA%A5%E5%AD%90%E9%A4%85&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

猪の形を象ったお餅なんでしょうか。

この亥子餅をふたつ重ねると、ハートの形になります。


正寿院 不動明王 

IMG_0549.jpg 

正寿院 屏風 

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[2019/09/13 16:43] 京都府 | TB(0) | CM(0)

中秋の名月 観月会 まとめ 

下鴨神社 名月管絃祭 白拍子

中秋の名月 と 観月の夕べ 大覚寺 『名こそ流れてなほ聞こえけれ』  
大覚寺 観月の夕べ


中秋の名月と采女祭 采女神社 『猿沢池の采女伝説のモデルとは?』  
采女祭

采女祭3


[2019/09/12 11:09] まとめ | TB(0) | CM(0)

正寿院 風鈴 猿丸神社 『お寺の鰐口と神社の鈴の関係は?』 


京都府綴喜郡宇治田原町 正寿院
風鈴まつり・・・9月18日まで 
http://shoujuin.boo.jp/?page_id=224

今回も風鈴にちなみ、鈴彦姫の話でーす。

正寿院 風鈴


①ひとつの体でパーツが二人分ある神(妖怪)

前回、妖怪鈴彦姫の顔になっている大きな鈴(鰐口)は女性器、鈴彦姫の頭についている鈴は男性器の隠語であり
鈴彦姫とは男女双体の妖怪である、という話をいたしました。
おふさ観音 風鈴 『鈴彦姫は彦?姫?どちら?』 

SekienSuzuhiko-hime

hhttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/SekienSuzuhiko-hime.jpgttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:SekienSuzuhiko-hime.jpg よりお借りしました。
Toriyama Sekien (鳥山石燕) [Public domain]


そして、男女双体の神として、歓喜天(仏教野神)、伏義&女媧(中国の神)、道祖神(日本では猿田彦&天鈿女)などをあげました。

多気山不動尊 道祖神 

多気山不動尊 道祖神


ここでこんなことをおっしゃる方があるかもしれません。

歓喜天(仏教の神)、伏義&女媧(中国の神)、道祖神(日本では猿田彦&天鈿女)は体はつながっているかもしれないが、体がふたつある。
しかし、鈴彦姫は体は一つしかない。

そのとおりですね、説明が足りませんでした。

鈴姫彦は体はひとつですが、頭部に大きな鈴(鰐口)と小さな鈴をつけており、男女双体をあらわしているように思えます。

同じように体はひとつで、別の部分で男女双体をあらわしていると考えられる神がいます。

吉田神社 方相氏 と しん子

吉田神社 鬼やらい神事

方相氏です。

平安時代、節分には、上の写真のような四ツ目の方相氏と呼ばれるものが「鬼やらい」といいながら宮中を歩き回り、目に見えない鬼を祓うという行事を行っていたそうです。

方相氏はなぜ四ツ目なのでしょうか。

以前、ネットで以下のような内容の記事をよみました。今、ぐぐっても見つからないのですが~。(すいません!)

(い)方相氏は中国の天神、蚩蚘(シュウ)ではないか。
(ろ)蚩蚘は炎帝神農氏の子孫であり、兵器を発明し、霧をあやつる力を持つ神。
(は)『帰蔵』は蚩蚘の姿を『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)、疏首(別れた首)』と記す。
(に)『疏首』というのは、首が二つあるということだ。
(ほ)蚩蚘とは二頭の獣が合体した神ではないか。
(へ)そう考えると蚩蚘が『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)』をもっていることの説明もがつく。
(と)『述異記』には『銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ』とある。
(ち)『四つの目』とあるのも二頭が合体しているのだろう。
(り)二頭を合わせると足は8本だが、人の体をしているので、8本の足のうち2本が脚で、残りの6本が手(腕)ということだろう。

つまり、方相氏は蚩蚘(シュウ)を日本的にした神であり、体はひとつだが、四つの目を持たせることで男女双体を表した神ではないかと思われるわけです。

正寿院 楓 風鈴 
正寿院 地蔵堂

正寿院 地蔵堂

正寿院 より茶畑をのぞむ 
正寿院より茶畑をのぞむ

②お寺の鰐口と神社の鈴の関係


①で「大きな鈴のことを鰐口という」と書きましたが、お寺のお堂前につりさげられているこれ ↓ も鰐口といいます。

正寿院 鰐口 

正寿院 鰐口

正寿院へ行った帰り、猿丸神社を参拝しました。

猿丸神社 拝殿 
猿丸神社

↓ 神社にはこういった鈴がとりつけられています。

猿丸神社 鈴 

猿丸神社 鈴

つまり、寺では鰐口、神社では鈴を鳴らして参拝するわけですが、次のように考えられないでしょうか。

寺社神社
鳴り物鰐口(女性器の隠語)鈴(男性器の隠語)
神仏女神(和魂)または
男女双体の神(仏)を祀る。
男神(荒魂)を祀る。


③本地垂迹説

補足が必要ですね。

まず、明治まで神仏は習合されて信仰されていました。
神社に神宮寺があったり、寺に鎮守の社があったりしたのです。

北野天満宮の例がわかりやすいと思います。

北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺のご本尊は道真御作と伝えられています。
しかし、東向観音寺の門前には「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられています。

天満宮とは北野天満宮の御祭神・菅原道真のことだと思います。
本地仏とは本地垂迹説からくる言葉です。
本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うため仮にこの世に姿を現したものであるとする考え方です。
そして仏教の神が仮にこの世に姿をあらわした日本古来の神々のことを「権現」、
日本古来の神々のもともとの姿である仏教の神々のことを「本地仏」といいました。
つまり、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真は十一面観音の生まれ変わりである」というような意味になると思います。

東向観音寺 

東向観音寺

すると、「道真御作」というのは本当に道真が十一面観音を刻んだという意味ではなく、「怨霊として(道真の死後、疫病や天災があいつぎ、これらは道真の怨霊の仕業と考えられました。)人々に畏れられた道真が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思えます。

寺社東向観音寺北野天満宮
鳴り物鰐口(女性器の隠語)鈴(男性器の隠語)
神仏女神(和魂)または
男女双体の神(仏)を祀る。
十一面観音(菅原道真が成仏した姿)を祀る。
男神(荒魂)を祀る。
菅原道真を祀る。


北野天満宮 楼門 紅葉 
北野天満宮

④女神は和魂、男神は荒魂をあらわす?


次に御霊信仰についてお話しします。

神はその表れ方で御霊・荒魂・和魂にわけられるといい、御霊は神の本質を、男神は荒魂を、女神は和魂をあらわすとする説があります。

荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体


これに③を合わせて考えると、次のようになると思います。

荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・神社・・・鈴(男性器の隠語)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・寺・・・・鰐口(女性器の隠語)
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体


もしかしたら鈴彦姫の顔になっているのは、大きな鈴ではなく、お寺にかけられている鰐口なのかも?

猿丸神社 夫婦猿 

猿丸神社 夫婦猿。この石も男女双体の神石、道祖神として信仰されていたのかもしれませんね。




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[2019/09/10 15:19] 京都府 | TB(0) | CM(0)