祇園祭宵山 7月14日~16日
①太子山と奇応丸太子山の前に雰囲気のある店が。
かつては薬屋さんだったのでしょう。
奇応丸の看板があげられています。
関西の人なら「ひや きおーがん♪」と歌われるCMソングを1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
「ひや」は「樋屋」で「樋屋製薬会社」という会社名、「奇応丸」は赤ちゃんの夜泣き・疳の虫に効能があるとされる薬です。
奇応丸は奈良時代に鑑真が6度目の渡航で来日に成功した歳、戒律とともに日本に伝えたとされる生薬です。
のちに東大寺の太鼓を修理した際、腔裏(こうり)にその製法が記されており、これをもとに奇応丸が作られるようになったといわれます。
太子山を祀る山鉾町に奇応丸があったのは偶然なんでしょうか?
私には聖徳太子と奇応丸には関係があったのではないかと思えるのです。その理由をお話しします。
②疳の虫封じの寺社京都や大阪に虫封じにご利益があるとされる寺社があります。↓
1 | 北向虫八幡神社(京都) | 桂川の草津湊にあったが1872年に伏見の田中神社境内(明治5年)に遷宮 平安時代、藤原安子が憲平親王(後の冷泉天皇)の癇の虫治癒祈願し効果があった。 社殿が北を向いているのは平安京鎮護のためといわれる。 |
2 | 三十三間堂(京都) | 三十三間堂の僧侶が夢のお告げで夜泣泉(よなきせん)を発見した。 すすり泣きに似ているので夜泣泉の名前がある。 冷たく、おなかをこわさない。枯れることがない。 夜泣泉の隣には夜泣地蔵がある。 お地蔵様の前掛けを持ち帰り、幼児の枕に敷くと、夜泣きが治るという。 |
3 | 剣神社(京都) | 願掛けの期間中は飛び魚を断って祈願する。 疳の虫と神、白山姫命を祀る。 |
4 | 壬生寺(京都) | 塔頭・中院の夜泣き地蔵(おせき地蔵)が幼児の夜泣きにご利益あり。 |
5 | 三宅八幡宮(京都) | 通称虫八幡。子供の疳の虫除けや夜泣きにご利益がある |
6 | 自性院(大阪) | |
谷町筋付近 自性院 ③夜泣き地蔵=お石地蔵=お咳地蔵?
壬生寺の「夜泣き地蔵」は「おせき地蔵」とも呼ばれているそうです。
「おせき地蔵」は石像なので「お石地蔵」となり、ここからさらに「お咳地蔵」に転じたのではないでしょうか。
自性院は大坂の谷町筋近くにあるお寺ですが、このあたりはかつて日想観の聖地でした。
日想観とは沈みいく夕日を見て西国浄土に思いをはせるという仏教の修業のことを言います。
日想観の信仰の中心地は四天王寺でしたが。その四天王寺には牛王尊を祀る「石神堂」があります。

牛王尊とは厄神の牛頭天皇ではないかと思いますが、その牛王尊=石神ということだと思います。
さらに
四天王寺境内には「咳(せき)の地蔵尊」があります。
咳の地蔵尊は牛王尊=石神と関係のある地蔵尊ではないかと思います。
石は「せき」と読むので、石神は咳の地蔵尊に変化したのではないでしょうか。
実際、ミシャクジ様を咳を治してくれる神として信仰しているところもあります。(横浜市の社宮司社)
そして、壬生寺の夜泣き地蔵=おせき地蔵が疳の虫にご利益があると信仰されているということは、
四天王寺の牛王尊=石神および咳の地蔵尊も疳の虫にご利益があると信仰され、
その四天王寺の牛王尊=石神=咳の地蔵尊に関係する仏さまを自性院ではお祭りしているのではないかと私は考えました。
④ミシャクジ様は疳の虫を切る神石神とは御石神(ミシャクジ)様のことだと思います。
このミシャクジ様について、次のような内容の書き込みを見つけました。
1.諏訪大社の御祭神はミシャグジ様(御石神様)。
2.疳の虫とつながりがあるとされ、ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を お供えするという風習がある。
3.昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用した。https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/occult/1162037686/ №26
ミシャクジ様と疳の虫を切る儀式との関係については明確に記されていませんが、
ミシャグジ様にはさみの絵をお供えする習慣があったということは、ミシャクジ様は疳の虫を切ってくださる神様、という信仰があったということでしょう。
そしてハリガネムシ(針金のような形をした虫)を疳の虫に喩え、これをはさみで切る儀式をミシャクジ様の前で行ったということではないかと思います。
祇園祭 太子山⑤ミシャグジ様に奉納する杓子をひっくり返せば燗をする徳利の形にミシャグジ様が疳の虫治癒の神様でもあるとすれば、なぜミシャグジさまは疳の虫治癒に霊験があると考えられたのでしょうか。
ミシャグジ様は杓子(シャクシ/しゃもじ)の音に通じるため、杓子を奉納する習慣があります。
滋賀県の多賀大社にはしゃもじを奉納する習慣がありますが、多賀大社もミシャグジ様と関係があるのでしょう。
胡宮神社には青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれているそうです。
磐座の神は石神ですね。
多賀大社前にある多賀屋さんの看板は多賀大社に奉納するしゃもじを象ったものです。
このしゃもじをひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になりますね。
それで、燗→疳の虫となったのかも?
参照/
谷町筋付近はお寺だらけ!『疳の虫祈願の神様。その正体は?』 ※追記
酒をつぐことを「酌(しゃく)」といいますね。
御石神(みしゃくじ)の「しゃく」を語呂合わせで酌にかけたのかも?
さらに杓子には切断した頭部のイメージがあるので、「酒を断つ」神様となったのかもしれません。
「杓子に切断した頭部のいめーじがある」については長くなるので、以下の記事をお読みください。
多賀大社 『糸切餅は胡弓をデザインしたものだった?」
⑥本多忠朝の墓にしゃもじを奉納するのはなぜ?そう考えると、四天王寺近くにある一心寺に祀られている本多忠朝の墓にしゃもじが奉納されている理由が説明できます。
本多忠朝は本多忠朝はお酒が大好きで、そのため冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたそうです。
それで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのですが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれています。
しゃもじは酒の燗の形に似ています。
それで酒絶ちの神・本多忠朝にしゃもじを奉納するのではないでしょうか。

一心寺 本多忠朝の墓 ⑦石神=聖徳太子?四天王寺は聖徳太子が建てた寺なので、石神=ミシャクジ様=咳の神=疳の虫の神の正体は聖徳太子なのでしょうか。
そういえば、聖徳太子を祀っている奈良県明日香村の橘寺にもしゃもじが奉納されていました。
すると、聖徳太子をご神体とする太子山の山鉾町に疳の虫の薬・奇応丸を販売する薬屋があるのは偶然ではないかもしれません。
奇応丸を販売する薬屋は疳の虫封じの神として聖徳太子を信仰しており、そのため祇園祭で太子山を奉仕しているのではないかとも思えます。
祇園祭 太子山 ご神体(聖徳太子像)⑧神殿をもたないのは物部氏の祭祀スタイル?ですが、四天王寺にはは物部守屋を祀る守屋祠もあります。
聖徳太子は崇仏派蘇我氏vs廃仏派物部氏の戦いで蘇我氏側で参戦しました。
戦いは蘇我氏側が勝利し、聖徳太子が物部守屋の土地と奴婢を用いてたてたのが四天王寺なのです。
かつて神仏は習合して信仰されていました。
四天王寺に守屋祠があるということは、四天王寺は守屋の怨霊を鎮魂するための寺ではないかとも思えるのです。

そして奈良県天理市には石上神宮があります。
石上神社は物部氏が祭祀擦る神社ですが、石上という神社名は石神を思わせます。

石上神宮
また大阪府交野市・枚方市あたりにはかつて肩野物部氏が住んでいましたが、ここには本殿がなく磐座などをご神体とする神社が多いです。(磐船神社・星田妙見宮・片埜神社の境外社・瘡神社など)
天理市の石上神宮には現在は本殿がありますが、かつては本殿はなく拝殿奥の土地をご神体としていたのです。(布留高庭または御本地)
どうも神殿をつくらない古いタイプの神社は物部氏の祭祀によるものではないかと思えるのです。
そして石神=磐座であり、石神=みしゃくじとは物部氏の神ではないかとも思えます。
磐船神社 ご神体 天の磐船
⑨大神神社は物部氏の神を祀っている?
神殿を持たない神社といえば奈良県桜井市の大神神社が有名ですね。
大神神社の御祭神・大物主は別名を倭大物主櫛甕魂命といいます。
そして物部氏の祖神・ニギハヤヒは別名を天照国照彦火明櫛玉饒速日命といい、櫛と魂(玉)が同じなので、二神は同一神ではないかとする説があります。
大神神社は物部氏の神を祀っているのではないか。
そう思えるのです。
大神神社 ご神体の三輪山
⑩菅原道真は十一面観音の生まれ変わり
北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺のご本尊は道真御作と伝えられています。
しかし、東向観音寺の門前には「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられています。
天満宮とは北野天満宮の御祭神・菅原道真のことだと思います。
本地仏とは本地垂迹説からくる言葉です。
本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々が衆上を救うため仮にこの世に姿を現したものであるとする考え方です。
そして仏教の神が仮にこの世に姿をあらわした日本古来の神々のことを「権現」、
日本古来の神々のもともとの姿である仏教の神々のことを「本地仏」といいました。
つまり、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真は十一面観音の生まれ変わりである」というような意味になると思います。
東向観音寺
すると、「道真御作」というのは本当に道真が十一面観音を刻んだという意味ではなく、「怨霊として(道真の死後、疫病や天災があいつぎ、これらは道真の怨霊の仕業と考えられました。)人々に畏れられた道真が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思えます。
そして大神神社の神宮寺だった平等寺では聖徳太子御作の十一面観音をご本尊としていました。
平等寺の十一面観音が聖徳太子御作だというのも、怨霊として畏れられた聖徳太子が成仏して十一面観音になった」という意味ではないかと思えます。
ですが、神殿をもたない大神神社は物部氏の神社ではないかとも思えます。
どうも聖徳太子と物部守屋のイメージが重なります。
もしかして聖徳太子と物部守屋って同一人物?
平等寺
⑪陰陽に描き分けられた守屋と聖徳太子
下図に示したように守屋と聖徳太子は陰陽に描き分けられています。
聖徳太子 | 物部守屋 |
少年 | 大人 |
崇仏派 | 廃仏派 |
弓で射られたが椋の木に隠れて難を逃れた。 | 榎木の木の上にいるところを弓で射られて死んだ。 |
聖徳太子と物部守屋が同一人物だというのはあまりにもトンデモで、物部守屋は陰、聖徳太子は陽の存在とされているため、
イメージが重なって見えるのかもしれません。
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