大阪市北区 大阪天満宮
星合七夕祭・・・7月7日
①大阪天満宮の伝統行事・七夕祭が平成7年に復活!
地下鉄扇町駅を下車すると夫婦橋があります。
この夫婦橋から天神橋筋商店を天満天神七夕祭のパレードが出発しました。
天満天神とは「天満の天神さん」、すなわち、大阪天満宮のことです。
「天満の天神さん」の「天満」は地名だと思います。
大阪天満宮の住所は天神橋ですが、大阪天満宮の南は天満という町名なのです。
といっても、天満という地名の由来は大阪天満宮の天満からくるんじゃないかと思いますがw。
大阪天満宮の七夕祭は飛鳥時代より大将軍社で行われていたそうです。
もともと大阪天満宮の土地には大将軍社があり、平安時代、村上天皇の御代になって、ここに菅原道真公を祀る天満宮が建てられました。
大阪天満宮は大将軍社の土地を借りている、つまり賃貸なのだそうで、
現在でも年初めに大将軍社に「祖(そ)」という借地料をおさめる神事を行っているということです。(暁祭/ふつぎょうさい)
戦国時代に大将軍社の七夕祭は途絶えてしまい、江戸時代になって菅原道真の誕生日である6月25日に祭を復興させたのですが
6月25日の祭は菅原道真の徳を偲ぶ祭であったので、あらためて平成7年に七夕祭を復興させたということです。
②大将軍は天津甕星?
大将軍社の祭が七夕祭はであったということは、大将軍社は星の神様だったということですね。
大将軍は星神天大将軍と呼ばれる神様で、方位を司るとされます。
『暦林問答集』には「大将軍とは『新撰陰陽書』によると太白の精なり。 3年ごとに四方を巡り12年で元の位置に戻る」と記されています。
太白とは金星のことです。
大将軍は中国由来の神で、のち日本で陰陽道の神として信仰されるようになりました。
そして日本における基本的な信仰形態は習合(異なる宗教の神を同一視する)でした。
大将軍は仏教においては他化自在天として信仰されました。
また仏教の神・明星天子はずばり金星を神格化した神ですから、大将軍と明星天子の習合もあったでしょう。
それでは大将軍は神道のどの神と習合されていたのでしょうか。
大将軍は金星の神です。
日本の神で金星の神は何という神様なのでしょうか。
意外なことに記紀神話には星の神は一柱しか登場しません。
天津甕星(別名カカセオ)です。
星の神が天津甕星たった一柱しかいないのは、星を信仰する氏族がいたが、政権交代があって星の神は抹殺されたためではないかともいわれています。
天津甕星は天照大神の芦原中国平定に最後まで抵抗した荒々しい神と記紀には記述されており、金星を神格化したものではないかともいわれています。
大将軍は記紀に登場する唯一の星神・天津甕星と習合して信仰されていたことでしょう。
すてきな笑顔をありがとう。
③菅原道真は日本版ゼウスだった?
菅原道真は藤原時平の讒言によって醍醐天皇に大宰府へ流罪とされた人物です。
そして死後、疫病の流行や天災などが相次ぎ、これらは菅原道真の怨霊の仕業と考えられました。
天照大神の芦原中国平定に最後まで抵抗した荒々しい神・天津甕星と、菅原道真は習合されたのでしょう。
大阪天満宮では茅の輪くぐりも行われていました。
しかし、菅原道真は雷神でもあり、清涼殿に落雷がおちて炎上した事件は雷神となった道真の怨霊の仕業であると考えられました。
ギリシャ神話で雷を武器としている神といえばゼウスですが、ゼウスは雷神ではなく天空の神です。
道真も天空を司る神だと考えると辻褄があうかもしれません。
天空の神なので、雷神になったり、また大将軍=金星=天津甕星など星の神にも変身するということではないでしょうか。
そう考えると天満宮という名前の意味も説明できるように思います。
天満宮とは天空を雷や星などで満たす神、という意味ではないでしょうか。
関連記事/八坂神社 石見神楽 天神 『道真は天神?雷神?天満って何?』
⑥星合池・七夕池・明星池はみたらし星をあらわしている?

星合池
http://bittercup.web.fc2.com/04osaka/myoujiike.html
上記サイトに掲載されている地図(南が上)を見ると星合池(合星と右から記されています。)があり、その西に七夕池・明星池があります。
この付近に霊松があり、大阪天満宮の御祭神・菅原道真菅が明星(金星)になって松の梢に降りたとき、明星池にその姿が写ったという伝説があります。
七夕池・明星池は明治のころはあったそうなんですが、現存していません。
星合池の星合という言葉は、牽牛と織姫が逢瀬を楽しむという伝説を思い出させます。
明星池の明星とは金星ですね。
七夕星とは織女星(ベガ)と彦星(アルタイル)のことです。
七夕池が細長い形をしているのは、織女星(ベガ)と彦星(アルタイル)ふたつの星が合わさっていると考えられたためかもしれません。
また星合池・七夕池・明星池の配置はみたらし星(オリオン座の三つ星)を思わせます。
住吉大社はみたらし星を神格化した神をまつっているのではないかともいわれています。
⑦大川(天満川)は天神さんの川
大阪市中を西流する大川は、かつては「天満川」とも呼ばれ、その川面に満天の星を映す様子は“地上の天の川”のようでした。
まさに「天満ちる川」だったのです。
そして、大川右岸にあった「明星池」「七夕池」「星合池」の名は、この辺りが七夕の夜に星辰崇拝を行ったことを伝えています。
http://www.osaka-amanogawa.com/concept.html より引用
「大川」が「天満川」と呼ばれていたのは、大川の近くに大阪天満宮があるためだと思います。
大阪天満宮から天神橋筋商店街を南に500mほどいくと天神橋があります。
天神とは「天満の天神さん」=大阪天満宮のことでしょう。
この天神橋の下を流れる大川が天満川と呼ばれていたということは、大川は大阪天満宮の川だという認識が人々にあったということでしょうね。
大阪天満宮の祭礼・天神祭の船渡御が行われるのも大川だし。
大川 OSAKA天の川伝説 水につかると青く光る玉を大川に投げ入れて祈願します。みなさまに幸せが訪れますように!
⑧大川が天の川なら大阪天満宮はベガ、お旅所はアルタイル?
と、ここまで考えて思い出したのは、奈良県橿原市にある春日神社・八幡神社の配置です。
参照/ほうらんや火祭 『ほうらんや火祭は七夕の行事だった?』

上の図を見ていただくとおわかりいただけるように、曽我川は天の川に、春日神社はベガ(織女星)に、八幡神社はアルタイル(彦星)になそらえられているように思えます。
もしかして大川(天満川)は天の川、大阪天満宮はアルタイルかベガに喩えられているのではないか?
すると、大川の対岸にアルタイルまたはベガに相当するものがある?
天神橋から大川を西に行くと、西区となります。
この西区松島のあたりにかつて大阪天満宮の御旅所があったそうです。
(かつての松島は木津川と尻無川に挟まれた中州の島であったようです。)
大阪天満宮とかつて松島にあったお旅所は大川(安治川)を挟んで対面しており、ベガとアルタイルになぞらえたようにも見えます。
枚方市 観音山公園近くの説明版https://www.astroarts.co.jp/special/2006summer/image/starchart.jpghttps://www.astroarts.co.jp/special/2006summer/constellation-j.shtml上記、アストロアーツの図を見ると、6月の23時ごろ、7月の21時ごろ、8月の19時ごろ、東の空を見上げると、天の川が横方向に流れ、アルタイルとベガが天の川ごしに対面しています。
「東の方角に見た夏の大三角」の図は、地上から星空を見上げたものです。
星が天球にはりついており、天球の上から神様が見下ろしたとすると、アルタイル・ベガの位置関係は逆になります。
すなわち、地上から夜空を見上げた時、アルタイルが右でベガが左となりますが
天球の上から天球を見下ろした際には、アルタイルが左でベガが右に見えるはずです。
すると、大阪天満宮はベガ、御旅所はアルタイルをあらわしている?(ちょっと無理っぽいかw)
もしもそうであれば、大川の船渡御は白鳥座の役割をはたしていそうです。
織女星と彦星は年に一度かささぎがかける橋を渡って逢瀬を楽しむといわれますが
古の人々は天の川にかかる白鳥座をかささぎと見たのではないでしょうか。
そして天神祭で大川を渡御する船は、天の川にかかるかささぎの橋のイメージだったりしないかな、と考えたりしました。
でも、あんまり自身なしw。

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