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海遊館 ジンベエ幟 『江戸時代の吹き流しはなぜ赤い?』 


大阪市港区 海遊館
2019年5月初旬 撮影

 
海遊館 ジンベエのぼり2 
海遊館にジンベエのぼりが登場ー。

①5月の節句には幟を立てていた。


日本の武家では、男子が誕生すると家紋のついた幟を立てる習慣がありました。
これがだんだんと庶民の間にも広まって五月の節句に幟を立てるようになったそうです。


関ヶ原 堺火縄銃保存会

上の写真は関ケ原戦場跡の写真に、堺祭に登場した堺鉄砲隊の方々を合成したものです。
人物の背後に細長い長方形の形をした布がたてられていますね。
これが幟です。

現在でも鯉のぼりとともにこのような幟がたてられているのを見かけることがあります。

海遊館 ジンベエのぼり

②幟→吹き流し→鯉のぼりの順で登場した。

鯉のぼりには五色の吹き流しがついていますね。
なんで五色なのかというと、陰陽五行説の五行からくるといわれています。 

五行説とは万物は、木・火・土・金・水の五つの要素からなるとする考え方のことです。
そして木は青、火は赤、土は黄・金は白、水は黒で表現されます。

浅草寺 鯉のぼり

↑ これは浅草寺で撮影した鯉のぼりと吹き流しですが、吹き流しは青・赤・黄・白ときて、黒ではなく緑になっていますがw。
黒だと彩がさえないので黒の代わりに緑を用いたのかもしれませんw。

ウィキペディアには次のような記述があります。

一方、大きな経済力を身につけながらも社会的には低く見られていた商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、
のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。

さらに、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A#発生過程 より引用

これ読むと、どうやら「幟→吹き流し→鯉のぼり」の順で登場したようです。

③江戸時代の絵を見ると吹き流しは五色ではなく赤?

しかし、このウィキペディアの記述には納得できない点があります。
「黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。 」とありますが、
江戸時代の絵を見ると吹き流しは赤になっているのですw。

File:Japanese Festival in Honor of the Birth of Children.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Japanese_Festival_in_Honor_of_the_Birth_of_Children.jpgよりお借りしました。
Sketches of Japanese Manners and Customs (1869年) より。


100 views edo 063

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:100_views_edo_063.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/11/100_views_edo_063.jpg よりお借りしました。

上は歌川広重が描いた五月の節句です。
大きく描かれた鯉のぼりに目がいきますが、その背景に小さく幟や赤い吹き流しが描かれています。

ウィキペディアは「黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾るようになっている。 」と記します。
黄表紙とは江戸時代の大人向け絵本のようなものです。江戸時代の漫画といってもいいかもしれません。

黄表紙で画像検索してみるとほとんど黒白です。うっすら色のついたものもいくつかあるようですが。
https://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RivcaVZeZcXxUARRKU3uV7?p=%E9%BB%84%E8%A1%A8%E7%B4%99+&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

ウィキペディアの筆者は白黒で描かれた黄表紙の吹き流しを見て、五色の吹き長しだと早合点してしまったなんてことないですかね?
(私のほうが間違っていればすいません!)

④赤い吹き流しは魔除け?

それはともかく、なぜ赤い吹き流しがあげられていたんでしょうか?

旧暦では1月2月3月が春、4月5月6月が夏、7月8月9月が秋、10月11月12月が冬でした。
そして陰陽五行説では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていました。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまいますね。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られました。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのです。

季節五行
1月・2月・3月
4月・5月・6月
7月・8月・9月
10月・11月・12月

端午の節句は5月で火性の夏だから赤?

そういう考え方もできるかもですが、魔除けで吹き流しを赤にしてるとも考えられますし、どちらかというと魔除け・病気除けで赤説のほうを推したいです。

というのは旧暦5月は梅雨の時期で悪月とされており、五月忌といって婚姻をさけたりする習慣があったからです。
そこで魔除けになる赤い吹き流しをあげて魔を祓おうとしたのではないかと思うわけです。

神社の鳥居も赤いですね。神社の鳥居が赤いのは魔除けの意味があるといわれます。
魏志倭人伝に「朱丹を以って其の身体に塗る、中国の粉を用うるが如し」とあり、古代より赤い塗料を顔や身体に塗るということも行われていたようですが、
これらも魔除けを目的とするものと考えられています。

海遊館 ジンベエのぼり3  

⑤病から守ってくれる神・鍾馗

上の絵では鍾馗(しょうき)さんを描いた幟もたてられていますね。
④で5月の節句に上げる吹き流しが赤なのは魔除けの意味からではないかと書きましたが、鍾馗さんも魔除けの神様で、
端午の節句に絵や人形を奉納する習慣があったようです。
また屋根の上に像がおかれているのをよくみかけたりもします。

宇陀松山 薬の館 薬箱 
宇陀松山 薬の館に飾られている鍾馗

鍾馗には次のような話が伝えられています。

唐の6代皇帝玄宗(712~756)が瘧(おこり、マラリア)にかかり、夢を見た。
その夢は、宮廷内でいたずらをする小鬼を大鬼が食べてしまうという夢だった。
夢の中で玄宗が大鬼に名を問うと大鬼は自分の名前は鍾馗であること、
科挙の試験に落第して宮中で自殺したが高祖皇帝(566~635)が手厚く葬ってくれた恩に報いるためにやってきたこと
などを語った。
夢から覚めると玄宗の病は回復していた。


玄宗の時代から、邪気除けとして新年に皇帝から賜った鍾馗図を門に貼る風習があったことを示す史料があるようです。
宋(960~1279)代には年末の大儺の際にも鍾馗図を貼る習慣が生じ、17世紀の明代末期から清代初期に端午の節句にも用いられるようになったそうです。

日本の最も古い鍾馗図は平安時代末期作の辟邪絵で、室町時代以降、多くの漢画が残されています。
江戸時代末(19世紀)ごろから関東で鍾馗を五月人形にする習慣が生じたようですが、関西ではあまり見かけないですね。
関西では屋根に置いた鍾馗像をよく見かけます。

鍾馗2

昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が病をわずらい、
「薬屋の鬼瓦にはねかえった悪いものが自宅に入った」として、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ、
病が完治したという話があり、ここから屋根に鍾馗像を置く習慣が生じたと言われます。

端午の節句と鍾馗が結び付けられたのは、悪月・5月には伝染病が流行ることが多かったためではないでしょうか。

鍾馗

⑥江戸時代の鯉のぼりは一匹だけだった。

鯉のぼりは「鯉の滝のぼり」に由来するといわれます。
「鯉の滝のぼり」とは中国の黄河の急流・竜門と呼ばれる滝をのぼりきることができると、その鯉は龍になることができる、という伝説です。

旧暦の5月は新暦では6月、梅雨のシーズンです。
その雨を滝に見立て、滝をのぼろうとする鯉をのぼりとしたのではないかと思います。

鯉のぼりはもともとは関東の習慣で天保9年(1838年)の『東都歳時記』には「鯉幟は東都の風俗」と記されています。


備中国分寺 鯉のぼり  

備中国分寺 鯉のぼり

江戸時代の浮世絵を見てみると、鯉のぼりに吹き流しはなく、また複数の鯉のぼりを同じポールにつけるということはせず、一匹だけつけていますね。

この黒い鯉は真鯉で、食用にもなります。

鯉は平安時代ごろに中国から日本に伝わったといわれます。
文化文政(1804~1830年)の頃、現在の新潟県の山間部(主に山古志・小千谷・魚沼の二十村郷)において食用として飼われていた真鯉の中に、
変わった体色のものが出現し、そのような鯉を何代も交配していくうちに緋鯉が出現したといわれます。
こうして鯉は食用のみならず観賞用としても飼育されるようになりました。
この緋鯉をさらに改良して錦鯉がつくられるようになりました。

赤い色をした鯉のぼりは緋鯉なんですね。
広重が浮世絵を描いたころは、まだ緋鯉が普及していなかったとウィキペディアに説明があります。

http://nipponsharemono.net/koinobori-1132

上のサイトによれば、真鯉と緋鯉をあげるようになったのは明治~昭和中期、
真鯉・緋鯉・子鯉の三匹になったのは昭和中期以降、とあります。

近年では川にロープをはってたくさんの鯉のぼりをあげることが増えていますね。

マーケットプレイス前 レゴのキリン 

海遊館近くの茶碗蒸し拉麺の店 

巨大なタマゴ?


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[2019/05/23 23:20] 大阪府 | TB(0) | CM(0)