大阪市此花区 舞洲シーサイドパーク
2019年5月2日 撮影
①茅渟の海と衣通郎姫が住む茅渟宮舞洲は大阪湾につくられた人口島です。
ネモフィラの青いカーペットの向こうには茅渟の海が見えます。
茅渟の海は大阪湾の別名で、たいへん古い地名です。
允恭天皇のころ、すでに茅渟の海と呼ばれており、衣通郎姫(そとおりひめ)が住む茅渟宮があったとされます。
茅渟宮跡は大阪府泉佐野市とされ、舞洲よりかなり南になりますが(汗~)
えー、日本書紀は衣通郎姫は応神天皇の子・稚渟毛二岐皇子(わかぬけのふたまたのみこ)の娘で、允恭天皇の皇后忍坂大中姫の同母妹としています。
「美しさが衣を透して輝く」という意味で、衣通郎姫と呼ばれたとされます。
(古事記は允恭天皇の皇女で、母は忍坂大中津比売命、軽大郎女と同一人物としていますが~。)
舞洲②蜘蛛が衣につくと親しい人が訪ねてくる。日本書紀に衣通郎姫の歌が二首あります。
我が夫子(せこ)が 来べき夕(よひ)なり 小竹(ささ)が根の 蜘蛛の行ひ 今宵著(しるし)も
(私の愛しいあの人が来る夜だと思う。笹の根での蜘蛛の行いが、今夜ははっきり見えるので。)允恭天皇が藤原に行幸された際、おしのびで衣通郎姫に会いにいこうと考えておられました。
この夕べ、天皇を恋しく思った衣通郎姫は、天皇がこられることを知らなかったのですが、この歌を詠んだということです。
千人万首の現代語訳は次のようになっています。
今晩は、きっとあの人が来てくれるに違いない。笹の根元で蜘蛛が巣を張っている、今夜はそれがはっきり見えるもの。http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sotoori.html より引用
「蜘蛛の行い」を「雲が巣を張っている」と訳していますね。
蜘蛛が巣をつくると愛しい人がやってくるというような迷信があったんでしょうか?
私なんかは不吉な歌のように思ってしまいますが。
蜘蛛が巣をつくるのは獲物を捕獲するためですよね。
まるで衣通郎姫が蜘蛛で、允恭天皇は蜘蛛の獲物のようではありませんか。
ですが、中国では蜘蛛が衣につくと、親しい人が訪ねてくるという俗信があったようで、ここから蜘蛛を喜母と呼んでいたということです。
不吉な歌だと思うのは、私の勘違いかもしれません。
また、実際に允恭天皇は衣通郎姫のもとにやってきたようなので、衣通郎姫は未来予測ができたということかもしれませんね。
③なのりそも衣透郎姫が詠んだもう一首を見てみましょう。
允恭天皇は皇后の嫉妬を怖れ、衣通郎姫を河内の茅渟宮に住まわせ、狩をすると偽っては頻繁に茅渟宮の衣通郎姫に会いにきていました。
しかしうすうす感づいた皇后が恨みつらみを言うので、なかなか衣通郎姫に会えなくなりました。
そしてようやく1年後に衣通郎姫に会うことができました。
天皇にあった衣通郎姫はこんな歌を詠みました。
とこしへに 君も遇(あ)へやも いさなとり 海の浜藻の 寄る時々を
(しょっちゅうあなたに会いたいけれど、海の浜辺に藻が寄せるように千人万首の現代語訳は次のようになっています。
いつも、しょっちゅうあなたに逢いたいけれど、そんなことができるでしょうか。海の浜辺に藻が寄せるように、時々しかあなたは寄ってくれないのに。http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sotoori.html より引用
これを聞いた天皇は衣透郎姫にこう言いました。
「この歌を他人に聞かせてはいけないよ。皇后が聞いたら恨むだろうから。」
それで時の人は浜裳を「なのりそも」というようになりました。
「浜藻」とは浜に打ち上げられた藻、あるいはホンダワラの別名とのことです。
ホンダワラは楕円形の気泡があるため海面に浮き、流れ藻になるそうです。
「とこしへ」は永遠に、「いさなとり」は「鯨をとる」という意味で、海・浜・灘にかかる枕詞です。
永遠にあなたといっしょにいたい。漁師が鯨をとる海。その海の浜藻が岸に寄るたびごとに。みたいに訳すのはダメなんですかね?
「時々しかやってこない」のであれば、皇后はそんなに嫉妬しないのではないかと思ったりするのですが。
④お不言さまえー、それはさておきまして、福岡県の宗像大社は宗像市田島の片津宮、筑前大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮からなる神社ですね。行ったことないのですが。
このうちの沖津宮は古来より女人禁制となっており、男性は真っ裸になって禊をしてから入島するのがしきたりです。
なぜ女人禁制なのかについては諸説ありますが、御祭神の田心姫神が女神で嫉妬深くて祟られるからなどともいわれます。
嫉妬深いというのは、なんだか、允恭天皇の皇后みたいですね。
そして沖津島に立ち入った男性は島で見聞きしたことを誰かにしゃべったりしてはいけないと言い伝えられています。
そのため、沖ノ島(沖津宮)は「お不言さま(おいわずさま)」と呼ばれています。

お不言さまというネーミングは、允恭天皇の皇后の妹・衣通郎姫を思い出してしまいます。
衣通郎姫は允恭天皇に「その歌を他人に聞かせてはいけないよ」と言われたのでした。
「聞かせてはいけない」ということは「しゃべってはいけない」ということです。
もしかして、沖津宮の田心姫神とは衣通郎姫のことだったりして?
でも嫉妬深いのは衣通郎姫の姉の皇后でしたね。
沖津宮が女人禁制なのは沖津宮の田心姫神が嫉妬深いからというのは一説にすぎず、絶対的なものではありません。
女性の中には允恭天皇の皇后もいます。
その皇后が沖ノ島にいって、そこでいちゃついている允恭天皇と衣通郎姫の姿を見たら、皇后は嫉妬のあまりヒステリーをおこしてしまうかもしれない。
そういうわけで沖ノ島は女人禁制になっているのかも?
お不言さまと呼ばれているというだけで、他人にしゃべってはいけないと允恭天皇に命じられた衣通郎姫と田心姫神を同一神とみなすのはちょっと乱暴ですね。
もう少し考えてみます(汗)。
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