
②てるてる坊主は天照国照日子火明命?
なぜいきなりてるてる坊主の話をしたのかというと、てるてる坊主って、ここ鏡作神社の御祭神の天照国照日子火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)の事じゃないかと思うからです。
天照国照日子火明命という神名の中に照(てる)という言葉が2回でてきますね。
そてで「てるてる坊主」なんじゃないかと。
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしみかたま にぎはやひ の みこと)という神様もいます。

③本物の天照大神とは天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命だった?
各地に天照大神は男神と伝わっており、天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命が本当の天照大神だとする説があります。
天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメのストリップに興味を持って出てきた、ゆえに天照大神は男神だとする説もあります
天照大神=天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命=てるてる坊主?
ということはですよ、「てるてる坊主」って太陽の神様の首をちょんと切ってやるぞ、という歌?
なんてバチあたりな!

④初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があった?
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命は天の磐船を操って、神武天皇より早く河内に降り立ったとされる神様で、物部氏の祖神とされます。
ここから、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説もあります。
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命を神と奉じる長髄彦なる者がおりまして、長髄彦は遅れてやってきた神武の軍と戦い、破れてしまいます。
↑ これ、普通に読めば王朝の交代、ですね?
なのに、なぜかこれを大っぴらに語る人は少ないです。タブー視されてるってことかな。

⑤邪馬台国=大和国は物部王朝?
日本は神武天皇がつくり、現代までずっと皇統が続いてきたといいますが、それは嘘で王朝交代があったと思います。
邪馬台国は大和国で物部王朝だと思います。
籠神社で発見された系図に、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』、『またの名を神大市姫命』、『日神ともいう』と記されています。
卑弥呼とは日女命に漢字をあてたものではないかとする説があります。
卑弥呼=日女命=倭迹迹日百襲姫命
そして日女命=倭迹迹日百襲姫命の先祖の彦火明命は、天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命という神名の中に『彦火明 命」があるので、
彦火明命と天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命は同一神だと思われます。
すると、邪馬台国=大和国は物部王朝だということになります。

⑥神武は入り婿になって大和国を乗っ取った?
古事記によれば、神武天皇は大物主神の娘のヒメタタライスケヨリヒメを皇后にしたとあります。
大物主神とは奈良県桜井市の大神神社の御祭神で別名を倭大物主櫛甕魂命ともいいます。
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命と倭大物主櫛甕魂命は神名の甕・玉(魂)が共通するので同一神ではないかともいわれています。
物部氏の祭祀する神社は磐船神社・石上神社(現在の神殿は最近になってつくられたもので、もともとは神殿がなかった)神殿をもたない神社が多いです。
大物主神を祀る大神神社も神殿がありませんので、もとは物部氏が祭祀する神社であったのではないかと思います。
すると、神武天皇は、物部王朝の娘を皇后にしたということになります。
神武は入り婿になって大和国を乗っ取ったのではないでしょうか。

⑦天照大神が女神である理由
このように考えると、天照大神が女神である理由がわかります。
本来、天照大神とは物部氏の神であったのでしょう。
そして、天照大神の子孫が天照大神の名前を襲名して大和をおさめるというしきたりがあったのだと思います。
それだと神武は天皇にはなれません。
そこで、自分の妻を天皇とし、彼女を天照大神としたのではないでしょうか。
こうしておけば、神武自身は天皇になれなくとも神武の子孫は天皇になれます。
もともとの天照大神は男神で物部氏の祖神だった。
天皇家の祖神ではないので首をチョンと切っても構わない、と考えられたのかもしれません。



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