奈良市菩提山町 正暦寺
①ぶんぶく茶釜
正暦寺の福寿院に入ると広い土間になっており、アンティークなへっついさんが目に入ります。
そしてその上に、狸を象った茶釜が!
やーもう、これ欲しくて仕方ないです~。どっかに売ってませんかね?
ぶんぶく茶釜の昔話にちなんで作られたものだと思います。
和尚が茶釜を買って小僧に洗わせたところ、茶釜が痛がった。
さらに小僧が茶釜を火にかけたところ、熱さに耐え切れなくなったのか、茶釜が動き出した。
気持ち悪くなった和尚は古道具屋に茶釜を売った。
小道具屋は鯛を買って食べようとしたが、鯛がなくなっていた。
そこへ茶釜を背負った狸が現れて、「食べたのは自分である。私は化け比べをして茶釜に化けたがもとに戻れなくなったのです」といった。
古道具屋は狸をかわいそうに思って家にとめてやった。
狸は古道具に見世物小屋をつくらせ、客に茶釜が綱渡りするさまを見せた。
見世物小屋は大流行して古道具屋は金持ちになった。
狸が化けたとされる茶釜は「ぶんぶく茶釜」といわれ、現在でも群馬県の茂林寺にあるそうです。
「ぶんぶく茶釜」の昔話は、茂林寺の伝説をベースに作られたと考えられています。
茂林寺の伝説は次のようなものです。
上州(現在の群馬県)の茂林寺の僧・守鶴の茶釜は 汲んでも汲んでも湯がつきない釜だった。
あるとき、別の僧侶が守鶴のお尻から狸のしっぽが生えているのを見つけた。
守鶴の正体は狸が化けていたのだった。
インドで釈迦の説法を受け、中国を経て日本にやってきた狸で、湯のつきない茶釜も狸の魔法だった。
狸は、幻術で源平合戦の八島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せて去っていった。
②茶釜の綱渡りと飛行する鉢
茶釜が綱渡りするという話はどこから着想をえたのでしょうか?
私は信貴山縁起絵巻にある飛行する鉢から着想を得たのではないかと考えます。
命蓮法師が托鉢のために飛ばした鉢が、長者のところに頻繁にやってくるようになったので、長者はこれに腹を立てて鉢を米蔵に閉じこめました。
すると鉢は倉から飛び出して倉をのせて信貴山に飛び去りました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/Sigisanengi_tobikura.jpg よりお借りしました。
作者 English: unknown 日本語: 作者不詳 (不明) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で「鉢が開く」「鉢巻き」「鉢合わせ」など頭のことを鉢ということがあります。
鉢とはドクロを比喩的にいったものではないかと思います。
また玄ボウ・曽我入鹿・平将門らの首が飛んだという伝説があります。
多武峯縁起絵巻 複製 中大兄皇子に首を斬られる蘇我入鹿(談山神社)③釜は髑髏の比喩だった?鉢が綱わたりをすれば、鉢が飛んでいるように見えると思います。
狸が見世物小屋で見せたのは、茶釜の綱渡りであって鉢の飛行ではありませんが
釜も丸い形をしていて、髑髏っぽい形をしているでしょう。
釜と言えば、岡山県の吉備津神社で鳴釜神事が行われており、
神事の由来として次のような伝説が伝えられています。
吉備の国には温羅(うら)という鬼がいて悪事を行っては人々を困らせていたため、大和朝廷は四道将軍の一人、吉備津彦を派遣しました。
吉備津彦は温羅の首をはねましたが、首ははねられたあともうなり声をあげ、犬に食わせてもうなり、御釜殿の下に埋めてもうなり続けました。
ある時吉備津彦の夢に温羅があらわれ「私の妻で阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、私があなたの使いとなって吉凶をつげよう」と告げました。
鳴釜神事とは、うなる髑髏を陰とすれば、それを陽に転じた物語のように思えます。
トイレ前に大きな釜もおいてありました。
駐車場に置いてあった狸の置物
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