兵庫県尼崎市 大覚寺
大覚寺身振り狂言…2月3日追儺湯立が始まりますよ~。
神職さんが湯に枝をつけて振り回します。
ありゃ、鬼がいますよ。
お多福さんが現れました!
あれっ?鬼がいませんよ?鬼さんやーい、どこ行った~?
①湯立の由来湯立は古代の裁判・盟神探湯(くかたち)が由来だと言われます。
盟神探湯とは煮えたぎる湯の中に手を入れ、火傷をしなければ無罪、火傷をしたら有罪と判じるものです。
熱湯に手を入れて火傷をしない人がいるのか、と思いますが
以前テレビで修験者が熱湯の中に入っているのを見たことがあります。
肌は少し赤くなっていましたが、火傷というほどではありませんでした。
修験者は火渡りなどもしますが、大して火傷をおったりはしないようです。
宝山寺 火渡りをする修験者日本書紀にこんな話があります。
278(応神天皇9)年、兄の失脚を目論んだ甘美内宿禰(うましうちのすくね)が『武内宿禰は天下をねらう野心があり、筑紫を割いて取り三韓を自分に従わせたら天下を取る事が出来る、と言っている。』と、応神天皇に讒言しました。
天皇は二人に盟神探湯をさせて、真偽を測ることにしました。
結果、武内宿禰が勝ち、太刀をとって甘美内宿禰を倒し殺そうとしました。
しかし天皇が間に入って止め、甘美内宿禰は許されました。盟神探湯をして火傷をしなかった竹内宿祢は修験道をやっていたのかも?
②湯立は禊?
現在では湯立は裁判という意味合いは失われています。
湯立で吉凶を占ったりすることもあるようですが、禊の意味合が強いように思います。
キリスト教の洗礼式には浸礼(全身を水に浸す)・灌水礼(頭部に水を注ぐ)・滴礼(手を濡らし、頭に押し付けて水に沈める所作を真似る)があるそうですが、湯立の湯をあびるのは灌水礼。滴礼に似ているようにも思えます。
湯立の湯を浴びると無病息災になる、などといわれますが、それは湯を浴びること=禊であり、厄落としになると考えられたためではないでしょうか。
湯立の後、鬼はなぜ消えてしまったのでしょうか?
鬼は厄を視覚化したものであり、湯立の湯を浴びた(禊)結果、消えてしまったのではないでしょうか?
③節分は二十四節気の大晦日
節分の行事を考えるためには、まず節分とは何かを考えなければなりません。
江戸時代までの日本では太陽太陰暦(旧暦)と二十四節気の二つの暦を併用していました。
大晦日・・・太陽太陰暦(旧暦)の12月晦日(12月最後の日、1年の最後の日)
節分・・・・二十四節気の立春の前日(立春より新年になると考えられており、節分は二十四節気の大晦日だといえる。)
つまり、江戸時代までの日本にはお正月が2回あったのです。
太陽太陰暦は太陽暦(新暦)より1か月ほど遅くなりますので、節分と大晦日はほぼ同時期でした。
④鬼は目には年の移り変わりを視覚化したもの鬼は厄をあらわすものであると同時に、目には見えない年の移り変わりを著すものだと思います。
鬼は頭に牛の角を生やしていますね。
牛=丑
12か月を干支でいうと丑は12月です。
新年に湯立を行う神社もいくつかありますが、それは12月=丑=牛=鬼に湯をかけて禊をさせることで新年がやってくると考えられたためではないでしょうか。
⑤お多福は立春をあらわす?鬼に変わって現れたお多福さんは立春(二十四節気の正月)を表すものだと思います。
というのは、節分祭におかめが登場する例がたくさんあるからです。

千本釈迦堂 おかめ節分

北野天満宮 北野追儺節分
市軸稲荷神社 節分祭近所のスーパーの店頭に並んでいる節分の豆菓子も鬼の面とお多福の面がセットになっています。
これは鬼=大晦日、お多福=新春だからだと思います。
大覚寺身振り狂言の追儺湯立は目には見えない年の移り変わりを視覚化したものだといえるのではないでしょうか。
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