すみのえ南港 光のワンダーランド2018
2018年は12月25日まで
①平安時代、住之江区は海だった。住之江区にある南港の海を見ていると、百人一首にあるこんな歌を思い出します。
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ (藤原敏行)墨の江というのにぴったりな夜の住之江。この住之江の岸に何度も波は寄ってくるのに、あなたは私に寄ってこない。
住之江の岸に寄る波の「寄る(よる)」という言葉は「夜」を思い出せるが、
その夜にさえ、夢の中で私のもとに通う道にあなたは人目を避けてあらわれてくれない。平安時代に藤原敏行はこのあたりでこの海を読んだのでしょうか。住之江区だし。
残念!
藤原敏行が歌に詠んだ住之江とは現在の住吉大社付近にあった入り江のことだというのです。
そこで住吉大社付近の地図を見てみると、あれっ?海がない?
海岸線ははるか遠くです。
実は現在の住之江区あたりは、平安時代にはほとんど海だったのです。
②河内湾・河内湖かつて大阪湾の海岸線は現在の平野部まで深く入りこんでいました。(河内湾)
そして上町台地のみが海の上に姿を見せていました。
古墳時代’(3世紀~ら7世紀ごろ)にはなると、河内湾は淀川・大和川が運ぶ水によって淡水化し、河内湖となりました。
住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
と詠んだ藤原敏行(?年~901年)の時代、海岸線が現在の住吉大社あたりまであったのですね。
また藤原家隆(1158~1237)は現在の四天王寺あたりに庵を構え、海に沈みいく夕日を拝して「日想観」を修したといわれます。
(日想観とは沈む太陽を見て、その丸い形を心に留める修行とのこと)
ですが、四天王寺の西にある高台に登って西を眺めても、ビルが林立する平野が広がっているばかりで、海など見えません。
現在の海岸線は四天王寺から7km以上も西です。
淀川や大和川の度重なる氾濫により土砂が堆積し、また干拓工事なども行われた結果、河内湖は徐々に平野へと変わっていったようです。
門真市の弁天池・大東市の深野池は河内湖の名残なのだそうです
↓ こちらのページに河内湾(河内湖)の変遷図が掲載されています。
https://www.suito-osaka.jp/history/history_2.html
③大阪府の天然島はいくつある?
海に面している都道府県には島が含まれているケースが多いです。
一番多いのは長崎県で外周0.1km以上の島が1,041あります。
大阪には外周0.1km以上の天然島はいくつあるでしょうか?
答は0個です。
人工島はあるのですが。
[2018/12/27 00:31]
大阪の祭 |
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